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パラサイトな私の日常 第8話:クリスマスイブの約束

 あの日、夜遅くまで寒い公園で泣き続けて帰宅したら、翌朝から発熱した。何も考えられなかった。何も考えたくなかった。これまで有給休暇ゆうきゅうきゅうか病気休暇びょうききゅうかも取ったことのない悠が、初めて二日連続欠勤した。
 
 うつろな頭でベッドに横たわったまま、インターネットで『失恋』と検索してみる。
 
 ・失恋の時やってはいけないこと〇選
 ・失恋の辛さはいつまで続くのか?
 ・失恋した時はどうすればいい?
 ・失恋から立ち直るためには?
 ・
 ・
 
 『失恋』という検索ワードで、こんなにも情報が出てくるとは思いもよらなかった。ちまたでは、こうも失恋に関する情報があふれているのか。需要じゅようがある……つまり、多くの人がこんなにも辛い経験をしているということだ。
 
 でも、どれももっともなことを書いているようで、どれも自分には当てはまらないような気がした。

『こんなにしんどい思いをするくらいなら、
 いつもの変わらない日常の方が良かったのかな……』

 悠の『平穏な日常』は、侑との再会を果たしてから、いとも簡単に乱高下らんこうげし、色鮮いろあざやかにも、モノトーンにも色付けられたのだった。
 
***

 土日も合わせて4日間、部屋にこもってたっぷり静養せいようし、月曜日から出社した。

 たった4日ぶりなのに、長く会社を休んだ気分になり、悪い事をしたわけでもないのに、おどおどしながら席に着いた。すると、いつもは何の反応もない上司がよそよそしく声を掛けてくれたり、隣の席の鈴木陽介すずきようすけねぎらってくれたりした。陽介は悠と同期だが、四年制大学卒業後の入社で、悠の2歳年上だった。

「調子はどう? もう大丈夫?」
「はい……」
 
「有田さんが居なくて仕事がこんなにまっちゃったよ」
「……ご迷惑をおかけしてすみません」
 
「アッ、違うよ。責めてるわけでも嫌味を言ってるわけでもないんだ。有田さんが抜けた穴は大きかったってこと伝えたかったんだ」
「え?」
 
「いつも黙々と仕事をしてくれて、それが当たり前で、その有難さに気付けなかったって……。みんな言ってたよ」

「そ・そんな……。私なんて与えられた仕事をただこなしてただけで……。誰でもできる仕事しかしてないです」
 
「ううん。データ入力も、一見雑用にみえる仕事も、依頼された仕事を期日までにミスなく的確にこなすって、重要な仕事だよ。実際に有田さんが居ない二日間、俺達てんてこ舞いだったんだよ。有田さんが会社になくちゃならない大切な要員よういんなんだって身にみた。上司からは『どれだけ甘えてたんだ!』っておしかりも受けたけどね。これまで頼りすぎてたのかも。ごめんね」

「そんな……」

 自分はてもなくてもいい、かげのような存在だとずっと思ってきた悠にとって、これほど嬉しい言葉はなかった。涙が出そうなのをぐっとこらえた。
 これまで地味な作業をこつこつと真面目まじめにやってきたことは無駄むだではなかった。きちんと届いていた。
 
 自分にも存在価値そんざいかちはあった。

 溜まった仕事を一つ一つ丁寧に、より迅速じんそくにこなしていく。これまでは淡々たんたんとこなしてきた業務ぎょうむだったが、その日から心持こころもちが大きく変わった。
 相手がより見やすいように資料作成を工夫くふうしたり、共用きょうようの場所を整頓せいとんしたり、会社の人が喜ぶ顔を想像しながら仕事に取り組むようになった。こうして一週間が過ぎた。

 カフェで別れてから侑との連絡をっていた。LIMEがきても返事をしなかった。仕事が忙しかったこともあったが、いつもの電車より一本早く出て、いつもの電車より一本遅く帰った。計算でもかけひきでもない。
 
 侑とどういう風に付き合っていけばいいのかわからなくなった。自分が侑に対しどういう反応をしていたのかもわからなくなった。
 ただ一目ひとめ侑と会うことが、ただLIMEで他愛たあいもないやりとりすることが楽しかったはずなのに、今はすべてが受け入れられなかった。
 
 時間が心をいやす。次の恋愛が侑を忘れさせてくれる。きっとこれが正解だ。

でも、クリスマスイブの約束がある――。

 あの日から10日後、ついに悠はスマートフォンを手に取った。何件か来ていた侑からのLIMEに目を通す。最後のLIMEは昨日だった。
 
 <俺、何か怒らせるようなことしちゃったかな‥‥‥?>

 きゅっと心が傷む。スマートフォンを握りしめ、何度も何度も読み返して、深呼吸をした後、送信ボタンを押す。
 
 <今日から冬休みかな? 返事できなくてごめんね。高熱で寝込んでいたの。会社も2日ほど休んじゃった。その分仕事が溜まってしまって、この一週間本当に忙しかったの。今日はやっと普通に休めたよ。ごめんね。>

 送信後、すぐに侑から返事がきた。
 
<そうだったんだ。返事がないから心配したよ。大丈夫?>
 
<もう大丈夫だよ! 12/24行くよね? ショーは13時からだから、向こうでランチをしてから見ようか?>

 クリスマスイブまであと4日と迫っていた。

 ***

 12月24日㈬。悠は初めて私用しようで有給休暇を取り、いつもの駅で侑と待ち合わせをした。
 グレーのニットに黒いパンツ、黒いコートを羽織はおった格好良かっこいい侑が寒そうにたたずんでいるのが遠目とおめに見えた。悠に気付いた途端とたん、無表情で不愛想ぶあいそうだった侑の顔が満面まんめんの笑みに変わる。
 モデルのような侑も、子どものように無邪気むじゃきに手を振る侑も、今日という日の自分のために、特別に存在するモノだと思わずにはいられなかった。
 この日を迎えるにあたり、悠は『自分は侑の特別な人ではない』『侑のあねになりきる』と自分を洗脳せんのうした。それなのに、侑の姿を見ただけで一瞬にして『姉』という設定をくつがえされる。

 無意識に立ち止まり、小さな小さな声がれる。

「やっぱり好きだなぁ……」
 
 すぐさま『いけない』と頭を横にふり自制じせいする。この数日間の洗脳を今一度いまいちど思い返し、侑のもとに辿たどり着くまでに、悠は『姉役の仮面かめん』をうまくまとった。

 ***

 混み合う電車で一時間半。金と赤と緑でキラキラと輝く街並みは、悠にはまぶしすぎて、目がくらみそうだった。クリスマスイブとはいえ、平日なのになぜこんなにも人があふれているのか……。
 初めてのデート(厳密にはデートではないけれど)で、何をどうしていいかわからず、そそくさと予約していた店に入る。クリスマスの装飾そうしょくほどこされたカップルシートのような席に案内され、一瞬思考が固まる。

 『年上の私がリードしなければ』と無駄むだに力が入るばかりで、グラスを倒しそうになったり、注文をんで言ってしまったり、全く格好かっこうがつかない。侑を意識しすぎるあまり、会話もぎこちない。

 侑もさぞかしあきれていることだろうと、そっと様子をうかがうと、侑も同じく緊張しているように見えた。
 
 『なんだ侑も同じなのか……』目が合う二人。互いに苦笑いをする。二人して、考えていることは同じだった。

 『慣れないことはするものじゃないね』

 
心の中でつぶやいているのが互いに聞こえてくるようだった。二人とも、下を向いてクククッと笑うと、そこからは力が抜けて、食事を楽しむことができた。
 
 ランチを済ませると、早めにアイスショーの会場に入った。二人とも、初めて見るショーに心をうばわれた。あまりに美しく感動して、これまでのぐちゃぐちゃした感情が一気に吹き飛んだ。単純にこの感動を一緒に味わえたのが侑で良かったと素直に思えた。

 アイスショーが15時に終わると、そこから先の計画は何もなかった。この日まで、『約束さえ果たせば早く帰りたい』と思っていた悠。けれども、その心は揺れていた。『もう少し一緒にいたいな……』

「この後どうする? 少し早いけど……帰る? それともどこかに……」

 そう言うか言わないかのうちに、侑が言葉を発した。
 
「悠さん、俺、話したいことがあるんだ。
 今からあの公園に行かない――?」

 


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