パラサイトな私の日常 第4話:決意のルージュ
カレンダーが最後の一枚になると街は、金や赤や緑で彩られ、人も街もソワソワしてくる。
『クリスマス』……それは、悠にとって何の関係も興味もないイベントだった……が、今年は何だか違った。
ふいにクリスマスカラーのポスターに目が留まる。赤いドレスを身にまとった眼力の強い女優がこちらを見つめる中吊りポスター、この冬限定の口紅の広告だった。
『この冬あなたはどうなりたい——?』
そのキャッチコピーから目が離せなくなる。
『あなたはどうなりたい?……か。私は……』
***
その日のうちにファッション雑誌を買い、翌日から、寄り道で到底行くことのないデパートへ通うようになった。初日は、ショップに入る勇気もなく、入口に展示してある服をひっそりと見るだけで終わった。店員が近寄ってくる気配があると、途端に逃げ出してしまうのだ。自分みたいな地味な女にどんな服が似合うのか、皆目見当もつかない。かといって店員に相談する勇気もない。毎夜、雑誌とにらめっこしては、明日こそはと狙いを定めた服を探しに行く。ついに『この服』と心に決めて、そのショップに入った。
大人しそうな店員がにっこりと笑いかけてくる。この人なら大丈夫そうだ。腹を決めて、その店員にスマートフォンで撮った雑誌の写真を見せ、『心に決めた服』を探してもらう。上品なデザインのベージュのモヘアニットが手渡され、試着してみる。
「……変じゃないですかね?」
「ええ。お似合いですよ……」
最後の沈黙がひっかかる。
『誰にでもそう言うのかな? 買ってくれれば、なんだっていいもんね……』
変にやさぐれていると、店員が次の言葉を発する。
「そちらもとてもお似合いですけれど、お客様だとこちらの色味の方がお似合いだと思うのですが、よろしかったら試してみられませんか?」
それは、今試着しているニットの色違いで、自分だと絶対に選ぶことのない淡いミントグリーンの色味だった。
これまで着たことのない色の服を着るのは、気が進まないし、人に見せるのにも勇気がいる。いつものように断ろうとした……が、『自分を変えるためにここにいるのだ』と思い返し、勇気を出して着てみることにした。
さぞかし鏡に映る自分は違和感があるだろうと予想していたが、そこにはいつもより顔が明るく品のある女性が佇んでいた。
「お客様、いかがですか?」
「あ……はい」
カーテンをそろりと開けると、試着姿を見た店員の顔がパッと華やいだ。
「やっぱり! いいですね。先ほどより、お顔写りも良いですし、華やかに見えますよ」
試着室から出て、蛍光灯の当たる外の全身鏡で改めて見ると、ますます顔が明るく、自分で言うのも何だがとても似合っていると感じた。
「あ・ありがとうございます。今までこんな色の服を着たことがなかったので自信がなかったのですが、気に入りました。これにします」
「かしこまりました。ボトムスは大丈夫でしたか?」
「あぁ……。じゃぁ店員さん、これに似合うスカートかパンツを見繕って頂けますか?」
店員は、ひざ丈のリブのニットスカートや、短めのタイトスカートや、ストレートパンツなどを持ってきた。色合わせや雰囲気の説明を聞きながら、その店員と一緒に服を選ぶのはとても楽しいものだった。最終的に白に近いグレーのひざ丈のリブニットスカートに決めた。
これまで、近くの量販店で試着もせずにMサイズの無難な無地の服しか買ってこなかった悠にとって、オシャレ女子の仲間入りを果たせたような気持ちになった。そして背中に羽が生えたように、身も心も軽かった。
『デパートで服を買うなんておこがましい。店員に地味な女が何しに来たんだと思われる』と自分で自分にストップをかけていた。自分が好きな服を買うことを咎める人なんて誰もいなかったのに。
『私はこうあるべき』と呪いをかけていたのは、他でもない、自分自身でしかなかったことに、今更ながら気付いたのだった。
その翌日は、デパートの1階のコスメ売り場へ向かった。少しの自信と勇気を携えて――。
***
さらにその数日後、時間休をとった仕事帰り、先日そろえた『勝負服』を身にまとった悠は田河駅の3つ前の『山並高等学校前』の駅に降り立っていた。駅から北西にしばらく歩くと懐かしい母校が見えた。LIMEの画面を映したスマートフォンを握りしめ、深呼吸をひとつ。
『よし……自然だよね?』
作った文章を何度も読み返し、おかしなところはないか最終確認をする。もちろん下校時刻は確認済みだ。
<まだ、学校かな? 山並文具堂に用があって、今、高校の近くにいるんだけど、お茶でも飲まないかな? お姉さんがおごってあげます!>
『LIME送信……と。え……っと、どれくらい待つ? 5分くらい? 10分? カフェで待ってた方が自然かな? 侑、嫌だったら、うまく断る理由あるかな?』
送信すると、途端に問題が山積みで、不安と後悔しかない。1分がとてつもなく長く感じられた……。居ても立っても居られないとは、このことだ。スマートフォンを持ったまま、ウロウロと同じ場所を行ったり来たりして、3分が経過した。ついにいたたまれなくなり、『送信取消し』をしようとスマートフォンを持ち直したその瞬間、侑からの着信があり、あわてて電話に出る。
「悠さん、近くにいるの? どこ?」
「あ……、が・学校裏の本屋の向かいにあるね……、カ・カフェに行こうかと思ってて……」
今日という日を綿密にシュミレーションしていたはずだったが、突然の電話で声がうわずる……。
「あ、わかるわかる! 『カフェ・永遠』ってところだよね? もう少ししたら学校を出るからそこで待ってて!」
電話が切れたのを確認して、大きく息をつく。
『私ったら、息を止めてたんだ……』
LIMEでやり取りをする予定だったのに電話がかかってくるとは想定外だった。
初めての侑との電話。電話越しの侑の声は耳がくすぐったく、会話を堪能する余裕もなかった。こんなに寒いのに、変な汗をぬぐいながら、足早に目的地に向かって歩いた。
コートのポケットに手を入れると『この冬限定の口紅』に触れた。そのお守りの口紅を握りしめる。
『この冬あなたはどうなりたい――?』
『私は……自分を変えたい!
自分が好きな自分になりたい!』
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