パラサイトな私の日常 第12話:対峙
2月の最終週。すべての二次試験を終えた侑から、2月28日の朝一番の飛行機で帰ってくると連絡があった。奇しくもその日は悠の誕生日だった。
〈やっと試験終わったよ! 明後日の朝の飛行機でそっちに戻るから、クリスマスにランチした店で待ち合わせない?〉
〈お疲れ様! よく頑張ったね! わかった! 12:30に予約しておくね!〉
2月28日㈯
27歳になった悠は、まだ東の空が白む前から起き出し、キッチンに立ってチョコチップが入ったカップケーキを作っていた。ホットケーキミックスを使った簡単なレシピだったけれど、悠にとっては初挑戦のお菓子作りだった。溶かしたチョコレートを生地に混ぜ込んだものとそのままのもの、2種類が上手に焼き上がった。
『うわぁ! 私もやればできるじゃない?』
100円ショップで買っておいたラッピング材で、かわいく装飾する。母親が起きてくるまでに、キッチンを元通りの状態にしておいた。甘い香りだけは残して——。
職場の食事会のお蔭で服のレパートリーも増えていた。その中でも、同僚に評判が良かった服をセレクトする。全身鏡でくまなくチェック。10:40発の電車に乗り、少し早めにお店へ着く。侑は定刻通りに飛行機が到着すれば、一ヵ所寄る所があって、その後12:15にはお店に着くと連絡があった。悠はお手洗いを探し、お守りの口紅を丁寧に塗りなおす。準備万端だ。今にも小躍りしそうなくらい悠の気持ちは浮ついていた。
『早く来ないかなぁ……』
でも—— その日、約束の場所に侑が来ることはなかった。
***
〈行けなくなった〉
そっけないLIMEが悠のスマートフォンに届いたのは約束の時間から30分も過ぎてからだった。その前後、電話もLIMEも繋がらず、仕方なくお店の人に頭を下げて店を出る。わけがわからない。どうしようもなく惨めだった。
ぼんやりと電車に乗り、いつもの田河駅に降り立つ。しばらく棒立ちしたあと、悠は自宅とは反対方向に歩いていた。『きっと何かあったんだ』そう思うと、足はおのずと侑の家の方向へ向かっていた。場所は大体わかっていた。行っても会えないかもしれない。でも侑を一目見たら、安心できる気がした。一方で『行くな行くな』と悠の敏感な何かが訴える。
遠目に侑の後ろ姿を捉えた。
「侑……」
姿を見てホッとして走り寄ろうとして……足が止まる。誰かと もみ合っているように見えた。咄嗟に物陰に隠れて目を細めて見る。
相手は加奈だった。
話し声は聞こえないが、緊迫した雰囲気が見て取れ、歩み寄れなかった。
次の瞬間、加奈が侑に抱きついた。
侑はただじっとしている。
時間が止まったように感じた。
心臓がドクンと動き出すのと同時に、悠は後ずさりし、気が付くと家まで走って帰っていた。そのままベッドにうずくまる。さっき見た光景が脳裏に焼き付いていた。かき消したくても消えない。
二人が自分をあざ笑っている映像が追加される。
『あんたみたいな陰キャ、誰が相手するかよ』
『地味女が色気づいて何 調子に乗ってんだか』
そんなセリフが次々と聞こえてくる。
「うるさいっ! うるさいっ!」
耳を覆っても次々と聞こえてくるネガティブな声——。
——ひとしきり泣くと、いつもの部屋はいつも通り静かだった。静けさは、悠の繊細な心を研ぎ澄ます。
侑との関係に名前はいらないはずだった。
どんな『愛』でも、傍にいて支えてあげられればいいと思っていた。
でも、さっきの心臓をえぐるような感情の正体は、一体何なのだろう?
そして、今のこの虚無感の正体は、一体何なのだろう?
『もう、ホントに疲れた……』
普通の人付き合いにも、イベントという非日常にも慣れない自分が『恋愛』という上級ステージに立てるわけがなかった。ましてや、『恋愛とも親愛ともわからない関係』。
これまで経験したことのない起伏の激しい自分の感情に寄り添うのも、相手の気持ちを汲み取ることにも、ほとほと疲れた。悠は何もかもどうでも良くなり、ただひたすらに眠った。
最悪の誕生日だった——。
***
翌朝。昨夜22時22分に陽介からLIMEが来ていることに気付く。
<HAPPY BIRTHDAY!
今度良かったら食事をご馳走させて♪>
続けてもう一通。
<あ、さっきのLIMEの送信時間みた?
ぞろ目! 幸先良き!>
悠の顔にふっと笑顔が戻る。陽介といると、ささやかな自信と平穏な自分が保てる。
泣き腫らした瞼を両手でそっと押さえ、上を向く。悠はスマートフォンを手に取り、陽介に電話をかけた。
「朝早くから、ごめんなさい。寝てました? あの……今日さっそくご馳走してもらっても……いいですか……?」
悠は陽介に逃げた。
あの誕生日の約束から、悠と侑は互いに連絡をとることはなかった。そして悠と陽介は、互いに下の名前で呼び合うようになっていた。付き合うのは時間の問題だった。
陽介といると安心できる。そのままの自分を肯定できる。自分に自信が持てる。悠は陽介に素直に甘えられた。
***
3月13日㈮
お昼過ぎに侑からLIMEが入り、心臓が跳ね上がる。
〈 悠さん、はじめまして。私、侑の家の隣に住んでいる西方加奈といいます。侑のことで、悠さんにお話したいことがあります。会ってお話しできないでしょうか。今日はお仕事ですよね? 場所は、私がバイトをしている ”カフェ永遠” で、18時くらいから待っています。今後の連絡はこちらのIDに——〉
侑からのメッセージではなかった。どうやら悠への連絡手段がなく、加奈が侑のスマホを使ってLIMEを送ってきたようだった。
『加奈さんが私に話? 何を聞かされるのだろう? 行かなければならないの?「侑に近づかないで!」とか言われるの?』
想像しただけで苦々しい。思考拒否し、仕事に集中するべく、スマートフォンを鞄に投げ入れた。だが加奈の言葉が頭から離れるわけもなく、就業時間は刻一刻と迫っていた。
17:15就業の合図が鳴る。隣の席の陽介は、まだ帰社していなかった。
「お先に失礼します。お疲れさまでした」
悠が挨拶をすると方々から挨拶が返って来る。
「おう、お疲れ」
「お疲れさまでしたー」
早急に着替え、駅に向かう。
もっともらしい言い訳を考えて、断りのLIMEを送信しようとしたが、たとえ今日断ったとしてもまた連絡が来そうだと思い直し、やはり侑の話が聞きたい気持ちもあり、行くことに決めた。
気持ちの決着をつけるためにも、前に進むためにも、聞かなければならない気がした。何度ため息をついたことだろう。重い足を動かし、いつもの駅の3つ手前『山並高等学校前』の駅で降りた。
カフェ永遠に到着する。時刻は19:00少し前だった。加奈には事前に到着時刻を伝えてあった。店に入ると、前に座ったボックス席から、加奈がこちらに気付き駆け寄ってくる。
「初めまして。私、西方加奈です。悠さんですよね?」
口早に話す加奈。
それに対し頭を垂れたまま目だけを上向きにし「はぁ……」と自信のない声で答えるのが精一杯だった。
「あの、実は前に一度お会いしたことがあるんです。このカフェで侑と悠さんが会ってた時に、バイトしてて……。あ、とりあえず、席に座りましょう。奥のボックス席です」
陰気な気分で、加奈に言われるがまま付いていく。一番嫌いだった中学校時代の自分に戻ったかのようだった。
加奈は悠から聞いていた通り、正義感が強く、言いたいことははっきり言って、自分が思うままにちゃきちゃきと物事を進めるタイプに見えた。
『率先してクラスを取り仕切る側の人』
悠はこの手のタイプが苦手だった。
悠はコーヒーを、加奈はミルクティーを注文した。
「来てくれて、ありがとうございます。あの……どこから話せばいいのか……。うまく話せないかもしれませんが、最後まで聞いてもらいたいです。お願いします」
そう頭を下げると、加奈は話し始めた。
「侑と私は、小学校からの幼馴染なんです。私は母と二人暮しで、侑も昭恵さん……お祖母さんと二人暮しだったから、境遇も似ていて、分かち合えることも多かったと思います。
昭恵さんは、母の帰りが遅い日は決まって夕飯を誘ってくれて、侑の家によく入り浸るようになりました。侑は昔から無口で、人と関わりたがらないから、私が一方的に話したり、遊びに誘ったりしていました。
侑は……本当に誰とも話さないんです。誰にも心を開かない。笑わないし、怒らないし、泣かない……。感情を失くしてるみたいに……。
唯一、話が出来るのは私だけなんです。だから、私がずっと傍に居て、周りとの調整役をしてきました。侑は、私が居なきゃダメなんです!」
だんだん興奮して語気が強くなり、加奈自身、何が言いたいのかわからなくなっているように見えた。
ちょうどそこへ飲み物が運ばれてくる。「すみません」加奈は座り直し、そうぽそりと呟くと、ミルクティーに砂糖を入れながら、次に話す言葉の整理をしているようだった。
悠も加奈に何を言われるのかと怯えながら、機械的にコーヒーにミルクを入れた。
「中学生になると、部活のない日に侑が必ず行く場所があったんです。気になって後を付いて行ったら、学校近くの寂れた公園でした。『ここで何してるの?』って聞いても教えてくれない。公園のベンチに座って、ただ本を読むんです。17:30の音楽が鳴るまでずっと。私が横に座ろうとすると『帰れ』って追い返されるんです。
ある時、昭恵さんにその話をしたら『あの子、まだあそこに行ってるの?』って。それで悠さんの話を聞きました。侑に悠さんことを聞いてみました。はじめはビックリした顔をして、次に悲しい顔をして微笑んだんです。『特別な人だよ』って。あの無表情の侑が、はにかむような切ないような複雑な表情をしたんです。私ですら初めて見る顔でした。その日以来あなたの話はしていません。敵わないことが悔しかったから。侑に早く忘れてもらいたかったから。
高校生になると、あの公園に行くのもやめて、悠さんのことは諦めたようでした。『やっとあなたの呪縛から解放された。侑には私がいるから大丈夫』そう思っていました。でも、侑は高校生になっても相変わらずで、いえ……むしろ益々自分の殻に閉じ籠るようになりました。感情も益々乏しくなった。それでも私はいいって思ってました。
でも2学期くらいから、侑が変わり始めたんです。スマホで景色を撮ったり、時々ニヤけていたり。クラスメイトとも少しずつ話すようになって、私にも冗談とか言えるようになって……。変だなとは思ったけど、嬉しい気持ちの方が大きかったから、特に言及はしませんでした。12月にあなたと侑が一緒にカフェにいるのを見た時は、本当に驚きました。侑が私以外の人としゃべってる……しかも笑ってるだなんて……信じられませんでした。
……どうして? どうしてあなたなんでしょう……? 12年間、ずっと傍にいたのは私だったのに……!」
ここまで一気に話すと、加奈は下を向いて嗚咽した。悠は口に手を当て、呆然としていた。侑と再会を果たしてから、当初、今時のキラキラした男子高校生だと思っていた。侑の辛い過去を知ってもなお、いつも自分に見せるあの表情は、誰にでも見せているものだと見当違いをしていた。
侑が唯一自分にだけ心を許していただなんて、どうして想像ができたであろう。あの侑の喜怒哀楽が、悠にだけ見せる特別なものだったなんて——。
加奈にかける言葉が見つからず、悠も黙って下を向く。ミルクティーを何度かすすって飲むと加奈は顔を上げた。先ほどとは打って変わって、気の抜けた柔らかい声だった。
「あぁ~もう!……覚悟を決めてここに来たのになぁ……。結局、恨み言をぶちまけちゃった……。ごめんなさい。これじゃぁ何が言いたいかわからないですよね。……ここからが本題なんです——」
深呼吸をして息を整えると、また、落ち着いた声でぽつりぽつりと話し始めた。
「 2月28日……
昭恵さんが急逝したんです——。
心筋梗塞でした。その日、侑が帰って来るから『一緒に夕飯を食べよう』と昭恵さんから誘われていました。一緒に料理を作る約束もしていて、午前11時くらいにインターホンを鳴らしました。なのに自宅にいるはずの昭恵さんが出てこない。ドアの外で声を掛けても返事もない。部屋の窓のカーテンは閉まったまま……。おかしいと思って、ポストにあるスペアキーで開けて入りました。
そしたら、ベットの上で眠ったまま冷たくなっている昭恵さんを見つけて……。私……怖くて……パニックになりながら、侑に電話をしました。侑が自宅に戻ってからも、警察の検視やら死亡確認やら……すべてが現実のものとは思えなくて——。突然過ぎて、悲しむことさえできなかった……。幸い侑の父親にも早急に連絡がとれて、すぐに帰って来てくれたから、お通夜や葬儀は滞りなく終えることができたんですけど……」
悠は2月28日と聞き、ドクンと心臓が波打つと同時に、その後に続く加奈の言葉が現実のものとは思えず、頭が真っ白になった。急逝と聞いた後の言葉の理解と頭の整理に物凄く時間を要した。悠は気持ちを落ち着かせようと、震える手でコーヒーカップを持ち、味のしないコーヒーを何度かすすった。
『侑は今どうしているのか……』
途端に我に返り、カッと目が見開き、今日初めて加奈の顔を正面からとらえた。
大嫌いだった弱気な悠はもうどこにもいなかった。
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