パラサイトな私の日常 第1話:再会
有田悠。
事務職、8:30〜17:15勤務。17:14パソコンの電源を落とし、終業の合図と同時に席を立つ。
「お先に失礼します。お疲れさまでした」
ぽそりとつぶやく挨拶は誰の耳にも届かない。当然何の反応もない。ロッカーで制服から私服へ着替えたら、最寄り駅まで徒歩10分。そこから1時間20分電車で揺られ、終点から2つ手前の『田河駅』で降り、家路につく。田河駅周辺は、南側を向けば山が広がり、北側を向けば住宅地と田畑が見える。駅から自宅まで徒歩5分。今日も19:03ピッタリに玄関の扉を開ける。
「ただいまぁ」
夕飯の支度中の母の「おかえり」の声。
「ワンッワンッワンッ」と出迎えてくれる愛犬。
階段を上がりかけると、後ろから母親の声がする。
「悠、毎日毎日、あなた何もすることないの? いい年した娘なのに覇気がないわね。もっとシャキッと背筋を伸ばしなさい。みっともない。もっと・・・・・・・・・さいよ。まぁいいわ。早く降りてきて、夕飯手伝って——」
毎日同じようなセリフの繰り返し。母親の小言は慣れているとはいえ、ホント嫌になる。うんざりだ。いつもながら、聞き流すのが得策。途中何を言ってるのか、聞こえもしない。言いたいことだけ言って、結局最後は、悠を手伝い要員として呼びつけるのが目的だったりする。
のろのろと部屋着に着替えたら、愛犬の散歩に行く。家の周りをぐるっと一周するだけ。帰ると犬にドッグフードを与え、次にダイニングテーブルに食器を並べる。父親の帰宅を待ち、3人で夕飯を食べて、入浴し、23時までは、ぼんやりとネットサーフィンかWeb小説を読む。仕事が休みの日は、ほぼひきこもり。短大を卒業後、就職して6年間ずっと続いている悠のルーティーンだ。昨日も今日も明日も、ずっと同じ毎日。不幸とは感じないが、幸せとも感じないそんな毎日。
「今日も一日終わったなぁ……。おつかれさま、私」
『私の人生これでいいのか?』と考えないこともない。でも、何を変えればいいのかもわからず、結局考えること自体が面倒になってやめてしまう。自分の人生なんてこんなものだ。『考えない。変わらないほうがいい。不幸じゃないもの』それが悠の行きつく日常だった。
***
翌朝、いつも通り6:40に家を出る。いつもの時刻にいつもの駅。田舎の無人駅から乗る乗客は、悠を含めていつも3人。
……じゃない……。今日は4人いる。
松葉杖をついた男子高校生だ。3つ先の駅近くに、悠も通った山並高等学校がある。この距離だと、大抵は徒歩通学か自転車通学なのだが、足の怪我で電車通学を余儀なくされたのであろう。電車がきた。悠の前を慣れない松葉杖を駆使して乗車する男子高生。
「危ないっ」
乗車口でバランスを崩した男子高生を咄嗟に悠が支えた。
「すみません……」
消え入りそうな小さな声で、恥ずかしそうに俯きながら礼をいうと、まだガラ空きの車内をぎこちなく移動し、バランスを崩しながらドサッと席についた。
彼が席に着くのを見守りながら、はたと我に返る。
『あ……私のいつもの指定席……』
起点から3つ目の車内はいつもガラ空きで、いつもの乗客はいつも決まった場所に座る。その定位置を男子高生にまんまと占拠されてしまった。悠は仕方なく、……そして何となく彼から離れた席に座った。
『いつもの席じゃないと落ち着かないな……』そう感じつつも、いつも通りイヤホンと小説をセッティング。電車内では本の小説を読むと決めている。お決まりの1時間20分の通勤タイムの始まりだ。まもなく、悠は小説の世界に没頭した。
この時、いつもと変わらない日常にいる悠が、こちらをじっと見つめる男子高校生の視線に気付くはずもなかった……。
***
17:38、終業後いつもの電車に乗る。イヤホンと小説。いつもなら18:58の到着に合わせて降りる準備をするのだが……、今日はその3つ前の駅『山並高等学校前』で顔を上げた。空いている席はあるのに、電車内にわざわざ悠の前に立ちはだかる影があったからだ。
「あの……、今朝は……ありがとうございました」
松葉杖の男子高校生が、遠慮がちに挨拶をする。慌ててイヤホンを外す。
「いえ……」
「あの……間違ってたらアレなんですけど……、ユウ……さん?」
「…………」
確かに自分の名は『悠』だけど……。なぜ、歳の離れた男子高校生が、名前を知っているのだろう?瞬時に様々な可能性を弾き出したが、答えに辿り着けず「はぁ……」と腑抜けな顔で答えるしかなかった。
「やっぱりっ!」
そう言って、隣に座った彼は、嬉しそうに話し始めた。
まだ暑さの残る9月。ドアが開く度、熱風にまじり、まだかろうじて生き延びているセミたちが、二人の偶然の再会を祝すかのように必死で鳴いているのが聞こえてきた。
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