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【短編小説】2月の話/12カ月小説

「はよ起きなさ~い。学校遅刻するで〜?」

階下から母の体に見合った大きな声が響き渡る。家の外にも聞こえる野太い声。私はとても母に似ている。
とうに目なんて覚めている。昨日からずっと「今日」が憂鬱でほとんど眠れなかったのだ。のそりと体を起こし、県下一可愛いと評判の制服を恨めしく見つめる。パジャマのまま階下に降りた。

「あら? まだ制服に着替えてないん? どしたん?」
「うん。お母さん……、今日学校休んだらあかん? 行きたないねん……」
「どしたん? 珍しい。調子でも悪いの?」
「うん……、そうじゃないけど……。何となく行きたなくて……」

もごもごと上手く言葉が出てこない。

「結衣がそんなこと言うなんて余程よっぽどやな。病院行く? ちょっと待って。お母さん休みとれるか連絡してみるわ」

「ーーあ、……やっぱええわ。……学校行くわ。仕事休まんでええよ。ちょっとさぼりたかっただけやから」

「え? ……そうなん? 何かあったん? イジメとか……」

「違うって。なんでよ」

心配性の母が疑り深く、心配そうな表情で様子を伺っている。『今日休みたいだけ』なのだが、事が大きくなりそうなので諦めた。

「ホンマに大丈夫やって。昨日夜更かしして眠たかっただけ。何でもない」
「そうなん? ……どうしても休みたかったら休んでもええんよ?」
「大丈夫。着替えてくるわ」
バツが悪くなった私は、朝食を急いでっ込み、制服に着替えて家を出た。

自転車にまたがり、無心で自転車をこぐ。今日の憂鬱な朝礼のことをなるべく考えないように。


『あ”ーーー! いやや、いやや、いややっ! 熱出ーへんかなー』
無心のつもりが、頭の中はずっと朝礼のことばかり考えていた。

学校に着くとそのまま武道場へ向かう。2階の畳の稽古場が私の目的地だ。1階はフローリングで剣道部がモップ掛けの準備をしていた。雄哉先輩が視界の隅に入る。
2年生は秋で引退しているが、先輩はこうやって時々自主練習に来ているのだ。

武道場に入る前に、剣道部全員に聞こえる声で挨拶をするのが通例だが、自分の野太い声が少しでもかわいく聞こえるように、声色を調整しながら挨拶をする。
「おはようございます!」

「おはようございます!」
剣道部員たちの迫力ある声が重なって返ってくる。

剣道部は15名ほどいるが、柔道部は私を含め5名だ。柔道部では私が一番乗りだった。45分間の朝練を終えると、ついに忌まわしい時が近付いてきた。

教室に荷物を置き、全校生徒が集まる体育館に向かう。今日は全校朝礼の日だ。ついに始まった。司会を務める教頭の仕切りで着々と進んでいく。ついにその時が来た。

「本日は、遅くなりましたが10月に行われました西日本高等学校選手権で好成績を収めた生徒の表彰式を行います。名前を呼ばれた生徒は返事をして、順に登壇して下さい。個人の部ーー」

指名された生徒が次々と壇上に上がる。

「剣道部 個人戦優勝 佐伯雄哉」
「はい」という凛々しい声が体育館に響き、雄哉先輩が壇上に上がる。

『キタッッ。私の番や!』 
キュッと目を瞑る。

「柔道部 70キロ級 優勝 中川結衣」
弱々しい返事をして壇上に向かう。『誰も反応しませんように……』


『聞いたか? 70キロだってよ。俺より重いやん?』
『全校生徒の前で体重を公表されるなんて私なら生きていけない』


かすかなザワツキとクスクスと嘲笑する声が聞こえた気がした。ただの幻聴かもしれない。私は壇上に上がり、雄哉先輩の隣に立つ。

身長170㎝ 体重70㎏の私は、身長約175㎝で細身で筋肉質な先輩の横に並ぶのがとても恥ずかしかった。
中学校までは、階級のことを言われても何も気にならなかったのに……。

『せめて雄哉先輩だけは階級を聞いていませんように……』
それだけを願った。

***

教室に戻ると、何らいつもと変わらない。それほど真面目に朝礼に参加する者もいないのか。はたまた自分が気にするほどのこともないのかと、安堵する。親友の美香が席にやってきた。

「結衣、今週の土曜日空いてる?」
「えっと……。2月8日? 午前中は部活やけど、午後からなら空いとるよ。どした?」
「バレンタインチョコを作る練習に付き合ってよ❤」
「えぇ〜…… まぁ、ええけど」

美香は同じ中学校出身で、スタイルがよくて可愛くて、この学校の制服がとびきり似合っている。私が並ぶと引き立て役でしかなく、自分でも親友であることが不思議で仕方ないが、あることがきっかけで「親友」になったのだった。

***

土曜日、部活の後一旦家に戻り、ジーパンとニットに着替え、美香の自宅に自転車で向かう。家の人は誰も居なかった。広いオシャレなキッチンで二人並んで、スマートフォンのレシピと にらめっこしながら慎重に作る。美香はいつになく真剣そのものだ。

一つは、牛乳をレンジで温め、その中に刻んだチョコレートをいれて混ぜ、ガナッシュを作る。これで簡単に生チョコが作れるらしい。

もう一つは、溶かしたチョコレートに小麦粉を混ぜて、ブラウニーを作る。

『二種類も作るの?』と問うと、『こっちは本命で、こっちは友チョコなの』と美香は笑った。美香には大学生の彼氏がいる。

片付けに入ろうとした時、美香が唐突に言葉を放った。

「結衣ってさ、好きな人いるでしょう?」

「えっ? なんで?」
明らかに動揺してしまった。

自分が恋をしているなんて、自分自身が認めていないのに。

「初恋じゃないの? そのチョコあげてみたら?」

美香は余計なことを言ったり、詮索したり、面白がったりしない。それだけ言うと、鼻歌を歌いながら洗い物を始めた。

簡易包装したブラウニーと生チョコを見つめる。バレンタインのチョコを誰かに渡すなんて考えたこともなかった。私はそれほどまでにこのイベントに興味がなかったのだ。

***

美香の家を出た後、母親に遣いを頼まれていたため、行きとは違う道を自転車で走る。母の実姉じっしである美恵子みえこおばさんから煮豆を受け取るというお遣いだった。

家路に向かう。道すがら、長い石段の前で停車する。ここは有名な伊佐志摩神宮いさしまじんぐうだ。

「筋トレがてら、久々に登ってみるか」
本当の目当ては、願いが叶うという大イチョウだった。
自転車を駐輪場へ置き、110段の階段を上る。

正面に本堂が見える。本坪錫ほんつぼすずを鳴らし、お賽銭を入れる。手を合わせ、しばらく目を閉じて、先ほど作ったチョコレートの行く先を考える。

私は先輩が好きなのか? ただ気になるだけなのか? わからない。自分の気持ちがわからない。だって恋なんて知らない。

そっと目を開けると、砂利の音が近付いてきた。
「あ、やっぱり! 小林やん! 珍しいな、こんなところで」

初めて見る私服姿の雄哉先輩にドキリとする。
「何で……?」

「俺、ここの近くに住んでんねん。この神社も親戚の家みたいなもんで。しょっちゅう来とんねん」

あ……。そういえば『先輩は神社の娘と付き合っている』という噂を耳にしたことがあった。

「この神社、彼女さんの……?」
珍しく消え入るような声が出て自分でも驚く。

「え? あぁ、ちゃうちゃう。周りが勝手に言うてるだけで付き合ってへん」

「え? あ、そうなんですね」
顔の筋肉の強張りが解ける。

「小林はなんでこんな所に居るん?」
「あ、私は……」

ここの大イチョウに、バレンタインの願掛けに来たとは、本人を前に言えなかった。でも、ちょっとバレンタインデーの反応を見てみたい気もした。

「……友だちと一緒にバレンタインチョコを作る練習してました」
「バレンタイン……? へぇ、小林もそんなことするんやな?」

胸がズキンと痛む。
「そ、そうですよね? 私がチョコ作りなんて似合わないですよね?」
いたたまれず、自嘲する。

「いや、そういう意味ちゃうよ。柔道一筋なイメージがあったからさ。小林やって、女の子やもんな! 良いと思うよ! ギャップ萌えってやつ?」
ニシシと笑う先輩の口から見える八重歯がたまらなく愛おしかった。

渾身の勇気を振り絞った。
「あの……先輩! これ受け取ってください!」
包みに入ったチョコレートを先輩に差し出す。

ちょうどそのタイミングで砂利の音がして、音の方向を見ると、雪のように肌の白い、華奢で155㎝くらいの女性と目が合った。その女性は隣町の女子高等学校の制服を着ていた。

『小さくて華奢で綺麗な人……』

「あ、綾香! おかえり。ちょっと頼みたいことあんねん」

その女性は、私にぺこりと頭を下げると、先輩のことは無視して奥の家らしき建物に向かって歩き始めた。

「お、おい! 無視すんなや! 全く!」
先輩は私の方に向き直ると、口早に続けた。

「あれな、例の噂の幼馴染。全然彼女ちゃうやろ? あぁ、小林ごめん。何の話してたっけ? 俺、あいつに用があんねん。もう行かな」

私の差し出したものを見て、合点がいったようにさらに続けた。
「あ! 俺に味見させたいんやな? ありがたくもらっとく! 俺、甘いもん、好きやねん!」
そういうと手刀を切り、包みを受け取った。

「今日は寒いし、雪も降りそうやから、はよ帰りよ。じゃぁまた学校でな」

そういうと、先ほどの女性の後を追うように走り去ってしまった。

しばらく茫然としていたが、大イチョウの方へは行かず、そのまま石段の方向へきびすを返した。

ついさっきの数分のやりとりで色々とわかってしまった。

先輩はこの近所に住んでいる。
先輩に彼女はいない。
先輩は私のことを「女の子」だと言ってくれた。
先輩は甘いものが好き。

そして……
先輩は幼馴染に恋をしている。


だって……先輩のあんな顔、見たことない……。


石段を半分まで降りると、頬がだんだん冷たくなってきた。
『あ……私泣いてるんだ……』

頬の涙を拭い自転車にまたがる。

白い柔らかな雪が空から舞い降りてきた。ふうわりふうわり柔らかな結晶たち。とても優しく私の頬を撫でてくれるのに、あっという間に溶けてしまう。拭っても拭っても溢れ出てくる温かいものに溶かされる。

しばらく自転車を走らせ、誰もいない公園に自転車を停める。何年振りかもわからないブランコに腰を下ろす。空を見上げると、自分に向かって白い優しいものが降り注ぐ。鞄に手を忍ばせる。もう一つの包みを広げる。

ココアパウダーのたっぷりかかった生チョコレートが姿を見せた。

「ははは。私ってばドジだな」

あの時、美香はこう言ったのだ。

「こっち《生チョコ》は本命で、こっち《ブラウニー》は友チョコなの」


先輩に生チョコを渡したつもりが、ブラウニーの方を渡していたのだ。

『まぁ、結果オーライかな……』


生チョコレートを口に運ぶ。

『んん? なんかこれ、イマイチやな? 美香に教えたらんと』

「改良の余地ありやな!」

誰もいない公園で、大きな声で気合を入れる。そんな気分だった。

鞄の奥にはさらにもう一つの容器が見える。

「おばさんの煮豆大好きなんだよね」
ポツリと呟く。頬の涙はとうに乾いていた。

「……さ! 帰ろ!」


幸い、バレンタインデーまで時間はある。そうだ、美味しい生チョコレートの作り方を研究しよう。

口当たりなめらかな
とっておきの生チョコレートを
あなたに……。

いつのバレンタインデーになるかわからないけれど……ね。



St. Valentine’s Day


 

おしまい♡

【朗読しました♪】
読むのが苦手な方はこちらをどうぞ♡


★【1月の話】はこちらです♪


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