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いいこと発見器。
たとえば、昨日の朝の珈琲の味。
たとえば、おとといの夜、そっとベッドに忍び込んできた猫の、首筋のやわらかな匂い。
たとえば、出勤前にふっと目についた、道端の白い花。
そういう何気ないもの。ありふれたもの。
もしかしたら、昨日も今日も、いや、十年後でさえも、同じものを目にしたり、嗅いだり、味わったりしているのかもしれない。
そういうものは、日常と呼ばれ、特に注目されることはない。
昨日の朝だろうが、今朝だろうが、珈琲の味は変わらない。
というか、目覚ましのルーティーンだから、これまであまり気にしたことがなかったのだ。
珈琲の味どころか、昨日の朝の天気すら忘れていることのほうが多い。
ところが。
私の身体はちゃんと覚えているらしかった。
長田弘さんのエッセイ『私の好きな孤独』(潮文庫)は、私の中から「昨日の朝の珈琲」の味を掬いだしてくれた。
そして、たぶんその珈琲の味を、私は一生忘れない。
というより、おそらくこれから何度も思い出してしまうと思う。
どんよりとした曇り空の朝で、私は灯りをつけずにケトルの火を見つめていた。それが、なんだか心地よかった。薄暗いキッチンは、夜明け前みたいに落ち着いていて素敵だった。その隅っこで啜った珈琲は、いつもより軽くて優しい味がした。
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『私の好きな孤独』の中で綴られる物事は、ありふれている。
「猫の名前」「おいしい水」「本屋さん」「朝のカフェ」。
ほとんど出かけることのない私ですら、それらの記憶なら持っている。
うちの初代猫の名前は、ルドルフ。『ルドルフとイッパイアッテナ』が大好きだったから名付けたのだけれど、見た目は完全にイッパイアッテナだった。
祖父母の家のすぐ裏手に清水が湧いていて、そこから直に飲む水の味。(ちょっと苔の青臭さがあるのが好きだった)
子どものころ近所にあった本屋さんは、ベストセラーが置いてなくて、店長のおススメPOPがそこらじゅうに貼られていた。
初めて一人でビジネスホテルに泊まった朝、知らない街の知らないカフェで、朝食を注文できずに珈琲だけ飲んで過ごしたこと。
そういう忘れていた日常が、長田さんの言葉からどんどん紐解かれていくのだ。そして、胸がいっぱいになるのである。
ああ、あれってなんだかいい感じだったんだなぁ、と。
つまらないように思える毎日でも、そこにはこっそり「いいこと」が隠れていたんだ。
長田弘さんの言葉は「いいこと発見器」だ。
何気ない毎日の中から、特別な、記念日のような、素敵な一場面があることを気付かせてくれる。拾い上げてくれる。
目覚めたときのカーテンの色。たまたま耳に入った知らない歌。二度寝の味。
そういうものが、実は何度でも思い出したくなる一瞬になりえるのだと、教えてくれる。
私の毎日は、いいことづくめ。
そんな気分にさせてくれる。
お気に入りの本は、常にカバンに入れて持ち歩いているのだが、この文庫本も私の連れになった。
ドラえもんではないけれど、私も秘密道具を持っているのだ。
「いいこと発見器」ってやつをね。
人生において、これほど心強い相棒はちょっとないんじゃないかな。
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