タチバ
カタカナでかくとなにかの固有名詞のようですが、今日の気づきは「相手の立場になってみたら?」ってことです。
もちろん、人は自分以外は違うもので、兄弟家族であっても相いれないときだってあります。同じ思考で同じ感覚で同じ反応なわけはありません。
それでも「自分がされていやなことは人にしちゃだめだよ」なんて、小さい子を諭すってのを原点に考えてみました。
私が嫌なことでも、別の誰かは、え?気にならないよ?ってこともあるでしょうし、その逆もあります。
ただ、妄想やシュミレーションという考える脳みそがついている人間であればこそ、発揮できる能力なんじゃないかなって思うんです。相手を慮ってあげること。想像すること。
あの人はきっとこれがいやだろう
もちろんね、これも読み違いしてくる人がいるんですよ・・・なんか気を遣ってくれているんだろうけど、ちがうちがう!そうじゃない!
ただ、そういう大きな読み違いしてくる人というのは、人を観察しているようで、ひとりよがりな視点からの洞察であって、本当に相手のことを思って考えているわけじゃないんですね。ですから結局なにもかも読み違いをして、最終的には大失敗・・・学習しない。しかも懲りない。という悲しい連鎖に陥るようです。
一方、常に、相手が喜んだこと、悲しんだこと、嫌がっていたことをちゃんとメモリーしてデータ化して共感できる人は人望に包まれる傾向高し。Aさんはなにがすきで、あれがきらい。あんなことに喜んで、そんなことに立腹してた。
これだけで十分その人なりの色や染みとおっている構成分子が把握できるようになってきます。そして相手の方も自分をこんだけわかってくれる人に好意を寄せ、お互いに楽しめる情報共有や心共有をしようとします。まあ、よい友達ってのがそれですね。
パートナーに関してはもう、ことこまかに分析分類して履歴もくっつけて記憶領域にぶちこみます。大事ですからね。車でいったらタイヤとハンドルのようなものです。これらがなければ車は動きません(未来の車はハンドルの代わりの制御盤に取って代われれるかもだけど)。
人を観察していて思った事は、相手にばかり求める、自分は相手の意向をくまないというひとは、いつーも失敗して怒られちゃっています。怒られまくってもめげないところが、これまたすごいなとも思います。周りはある程度暖かい目で見守ってはくれていますが、1mmも期待しない立ち位置に追い込まれちゃっているので、プロジェクトメンバーからはあっさり外されてしまいます(本人だけはやる気満々)。
人間はなぜ生きるの?という素朴な疑問の原点に立ち返った時に、ああ、そういうことか。訓練のために試されているのかあ、試練ってこれを乗り越えたら、バージョンアップするのかぁ、などと感じること多々あり。
良好な相手ばかりに囲まれていては、訓練にならず。生ぬるい中にいて堕落しきってしまう。困難な相手であれば、どう克服していくかという試練であるのかぁ。
神様はその試練を乗り越えられる人に与える、つまり人に合わせての課題・・・なのだそうで。入門者には入門者のプログラム。オリンピック選手にはオリンピック選手用のプログラムがあるように、その人の人格力に合わせたテーマが設定されているのね・・・
単なる妄想ですけど、天国の入り口で採点される絵図。きみは現世でこれこれこういうことをしたので、天国でさらに二次訓練後、生まれ変わります。生まれ変われる人間リストですよ、はい。
あ、きみはね、天国入れないから。あっちの入り口行って。
そうそう僧侶のお話を思い出しました。6つあるんですよね。生まれ変わり空間。
六道輪廻
天:人間の世界より苦が少なく楽が多い一番高い世界
人:人間界
修羅:戦いが絶えない「修羅場」と言われる世界
畜生:野獣ワールドで弱肉強食で殺し合う困難な世界
餓鬼:鬼の世。どろどろとした魂の抜けばのないような世界
地獄:苦しみにまみれた6つの中で一番大変な世界
この6つのどれかに行けるかは、生きているときの所業によるらしく。
なんとなーく、あれ、そうなのかな?と、近しい者を見送る度に思った
そう。今日はオモニの百箇日。
オンマが好きだった韓国ドラマをたくさん見てあげるからね。
サポートしていただきましたら、きっといいことがあるでしょう!少なくとも私から多大なる感謝を持って、心より敬意を表します。ありがとうございます!!