2月の自選俳句。
春立ちて 遅れ始めし 鳩時計
みかん山 エデンの東 聞こえくる
1月の中旬に弟家族と共に近郊のみかん園に出かけた。
門を入ってすぐの所に みかんがなっているのかと思ったらそうではなくて、山坂を少し上がった所にあるという。
山道を登っていくと、懐かしい映画音楽の「エデンの東」が風に乗って聞こえてきた。みかん園では始終その音楽が流れていた。
米寿にして 豆まかねばと 思い出す
時折訪ねてくる いとこがいる。彼には米寿になる母親がいる。
節分の日が来て、「今日は豆まきをしないといけない日だよ」と言う。
「へぇ、毎年やってるんだ。」と私が言うと、
「やってないよ。今まで全然そんなことやってなかったのに今年に限って母親が言い始めて。やることになったんだよ。」と、いとこは困ったように言った。
彼の母親の中で今まで眠っていた何かが急に思い出されたのだろう。
連翹や あんころ餅の ような人
草餅の 草の素性を 聞かせけり
祖母がまだ元気だったころ、春になるとよく一家で、祖母の弟夫婦がいる勝浦の山村を訪ねたものだった。家の裏に竹林があり、竹の子掘りなどしたものだった。
奥さんはいつも草餅を作って待っていてくれた。小柄でずんぐりと太っていて、あけすけな性分で、いつも土地の言葉で話す人だった。「わたしゃ よそゆきにはなれないよ」とよく言っていた。
たふたふと 入江にたわわ 春の波
波の音はごく大雑把に言って三つの音からなっていると考えてみる。シャーという高周波の音で、はるか遠くから聞こえてくる音。これは遠くで高速道路を行き来する車の音にも似ている。
そして次の音は沖からやってくる波がザワザワと重なり合い、盛り上がった波が水面に叩きつけられるザブンという音である。そして三つめの音が岸辺に近づいてくるときの音で、これはザザザという海底との摩擦音だったり、岸辺にぶつかったりしたときに生まれる音である。磯辺などでは、岩や波消しブロックに当たった波が勢いを失ってなお行き場を探してゆったりと岸辺をなめていくときのタフタフという音である。
パン生地の 砂踏みて 海は ソーダ水
春の嵐が通り過ぎて行った翌日、浜辺へ出てみた。
雨に湿った砂が足の下でパンケーキの小麦粉を水を加えてこねたような感触がした。
その向こうで海が淡く優しく光っていた。
春の宵 戸を閉めかけて 路聴かるる
この先に 宿ありと指す 春の闇
春の夜、玄関の戸を閉めようとして一歩外に出た所に、
暗い通りを歩いていた男の人から「○○ホテルはどこですかね」と尋ねられた。
俳優のイッセー尾形を思わせる声の人だった。
「もう少し先ですね」と私が左手の闇を指差して答えると、
イッセー尾形は礼を言ってそちらの方へ歩いて行った。
道を聞かれ、答えるというあまりに素朴な行為の中に自分の存在感が満たされたような温かな気持ちになった。
その場所を知っていて、言葉さえ通じれば、子供でも高齢者でも障害者でも道を教えることができるのだから、道を聞かれ道を教えるというのは人間存在のとても基本的な行為なのかもしれないと感じた。
枕頭の 点字楽譜や 浮かれ猫
浮かれ猫とは恋の季節を迎えた猫たちが春になって昼といわず夜といわずさかんに高い声で鳴いている様子をいう。
最近点字の楽譜について興味がわいてきて、寝しなにその点字の手引書を読み始めている。しかし点字の楽譜というものはそれが楽譜であるがゆえなかなかに難しい。外国語をたどるようで果たして正しく読んでいるのかどうか、今のところは知っている歌を選んで指をたどるばかり。2、3ページも捲っているとまぶたが重くなってくる。窓の外では浮かれ猫が遠くで春のアリアを歌っている。
春猫の アクビが一つ 塀の上
買い物に出かけた帰り道だった。海岸通りを歩いていて、あるお宅の前にさしかかったときである。塀の上のあたりから猫の鳴く声が聞こえた。姿はよくわからなかったが、それがあくびでもしているかのようなニャーオーという長くのどかな鳴き方で、こちらも思わず歩調をゆるめてしまった。あの声の感じではすこししゃがれたところもあったのでそれほど若くはない感じもする。しかしボリュームのある声からして、からだの大きな猫のような気がする。ふと宮沢賢治の童話に出てくる山猫を連想してその猫のアクビだけがポンと塀の上にのっかっている光景が思い浮かんだ。
雀茶屋 たずねてみたし 里の春
二月の寒い日が毎日続いていた頃、早く暖かな日差しが戻って来ないものかなどとぼんやり思っていると、不意に雀茶屋ということばが浮かんだ。
頭上で雀の声が聞こえている田舎にあるお茶やなのか、あるいは童話の中に出てくるような雀たちが営んでいる雀茶屋なのか、そんなところに暖かな春の日差しを受けて訪ねてみたいと思う。
家を出て 三角の空 春の空
ある朝、牛乳を取りに玄関を出たとき、冬の間は広々と感じていた空が三角の空になったように感じられた。なぜかと聞かれても困る。ただそれだけのこと。
明るさを 残して上がり 春時雨
春めいて 土間掃く人や 海の宿
コトコトと 始発列車や 春の風
雛の客 追い越して行く 汽車の音
御宿町では2月の後半になると釣るし雛が始まる。スタンプラリーもやっていて、見物客は街中を歩いて各所で吊し美菜を楽しめるようになっている。
飛行機の 音平らかに 霞空
パラボラの 小さきアンテナ つくしんぼ
大銀河 あざ地球村に 島の春
レタスほどの 水の重さや 春の月
春の月は澄んだ秋の月とはことなり、水気を含んだ月である。
ぼんやりと、もやに包まれて輪郭の定まらない様子はオボロ月とも呼ばれる。