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MONSTERが産まれるまで2〜中身のない音楽性〜

サビのメロディは、最初から決まっていた。

溜まったモノを吐き出すような歌い方しか許さない短い休符の入り方。いわゆるポップス向きではないために今まで日の目を見ることはなかったが、捨てようにもこびり付いて離れないメロディが、ずっと自分の中にあった。自分の心情を包み隠さず曝け出すためには、このメロディしかなかった。

しかし、伴奏づくりは難航することになる。普段から「自分はどんな音楽にも対応できる」と過信し、様々な音楽的表現方法の模索に気を取られ、この作品の主軸、つまりは「自分自身」というものから意識が離れてしまっていたからだ。

話は少し変わるが、好きなミュージシャンは誰か?という質問に対して「くるり」と答えると、俺の楽曲を知っている人からは"ファッション的な回答で真意ではない"と思われることが多い。無論、好きであることは真意であり、1stから最新のアルバムまで好んで聞き続けているミュージシャンの一組で、そこに嘘、偽りはない。

くるりは、楽曲により様々なジャンルで音楽的な表現をする。ポップス、ロック、エレクトロ、ジャズ、ブルース、ワルツ、パンク、フォーク。どのジャンルのどの楽曲も深く心に染み渡り、何年もファンを魅了し続けている。

自分も同じように、ジャンルに囚われない表現をしてみたい。そう思ったのは何年も前の話だが、本作の伴奏づくりを通して大きな勘違いに気づくことになる。それは、くるりの作品づくりを失礼極まりないが「理由のない音楽遊び」と認識してしまっていたこと。

どんな出来事にも理由、必然性は存在する。曲づくりも例外ではなく、何故そのジャンルなのか、何故そのメロディなのか、何故その楽器を使用したのか、それぞれに必然性があるのだ。

「自分はくるりが好き」ということに対して、"ファッション的な回答で真意ではない"と思われるのは、くるりからの必然性と真のメッセージを受信せず、上辺だけで聴いていた影響が、自身の楽曲にも反映されていて、「鈴木何某」と「くるり」というアーティスト性に共通点が見つからないということだと思った。

前回のnoteで書いた通り、俺はシンガーソングライターにおける一番重要な部分「メッセージ性」が抜け落ちた本音のない人間である。それに気付いたとき、果たして、そんな人間に本物の音楽をつくることなど出来るのだろうかと本気で悩んだ。

ギターを持っては悩み、楽曲がつくれないことに対して不安が募り、やがてその不安に慣れていき、寝て起きてを繰り返していくうちにあっけなく忘れ、数日後にはまたギターを持って同じ悩みを繰り返す。

そんな不毛な日々を重ねるうちに、たどり着いた結論。それは「本音のない人間には、自分の言いたいことや表現したいことがわからない。」ということだけ、だった。

はっきり言って認めたくない。良い歳した大人のくせに。文字にするだけで消えてしまいたくなる。

しかし、その結論は「MONSTERが産まれるまで1 〜本音のない「人間」〜」で書いたMONSTERそのものであり、この事実こそが歌詞にすべき内容だと悟った。

それに気づいてからは早かった。自分の根源と向き合う必要があるので、何かヒントは無いかと高校1年生の時に初めて書いたオリジナル楽曲を聴き、それをモデルにした。ジャンルはロック、構成は王道。先述のサビのメロディを起点として、包み隠さず「本音のない人間」である自分自身を表現出来ているかだけを注意しながら書き上げていく。

2021年10月の頭から楽曲づくりを始めて2ヶ月が経った頃、ようやく歌詞と伴奏を完成させ、タイトルを「MONSTER」とした。普通ならとっくに音源が公開されていてもおかしくない2ヶ月という長い期間を、たった1曲の作詞・作曲のみに使った。自分と向きあい曲を仕上げるのは、これまでの曲作りとは全く違う労力と神経を使った。

いつの間にか「他人にどう思われようがいいや、別に本気だしてないし」などと言うスカした人間になってしまっていた。しかし本作は、褒められたり共感を得たら涙を流して喜び、馬鹿にされたら声を荒げて憤慨するだろう。それぐらいに「自分自身」をここに込めた。

次回は少し専門的になるが、音づくりや録音について綴ることにする。公開まであと少し、是非次回も読んでもらえると、これ幸い。


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