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泣きながら、本当にやりたいことを探してる途中

よく「しょーごさんは、やりたい事があって
いいですね。」と言われることがある。

確かに、自己紹介で書ける趣味はいくつかあるけど、実は「本当にやりたいこと」の核の部分がまだ発見できていない。


ずっと見ないようにしてきた

楽器は長く続けている。単純に楽しいから。
働き始めてからも、途切れ途切れながら
どこかのバンドには参加し続けて、
コロナ禍もどうにか首の皮一枚でやめずに済んだ。

それでも、どうにかバンドに参加できるように
かろうじて維持しているだけ
という気持ちが
どこかにあった。

別にプロになるわけじゃないから、
そこそこ楽しく演奏できたらいい、と
頭では思ってるけど、
何か物足りない自分も確実にいる。

ある時、自分は楽器がもっと自由に吹けるようになりたい、と気持ちが言葉になった。
フワッとしてるけど、このニュアンスが
今の自分にはしっくりくる言葉だった。

自分にとって自由とは、
ジャズのコードとかリズムとか制限に感じないで、
その上で自分らしいソロを思いのままに
操れるようになる、ということ。

漠然としたイメージはあるものの、
どうやったらいいか分からない。
誰に習えばそれを教えてくれるかも分からない。
今やってる練習がそこに繋がるのか
誰も保証してくれない。

常に「こんなことやって意味があるの?」という
気持ちになりモチベーションも下がり、
必要最低限の練習しかしなくなっていた。

なりたい自分がぼんやりとはあるのに、
そこに到達する方法がわからなすぎて、
無意識に見ないようになっていた。

その気持ちをごまかすように、
バンド運営に力を入れたり、
メンバーの練習に付き合ったり、
仕事や運動に時間を割くようにしたり、
他のことが進めば、気を紛ら和すことはできた。

そうやって、だましだまし過ごしてきた。


映画がヒントになった

何度か記事にも書いたが、映画「BLUE GIANT」を見た時、自分の欲しかった自由に楽器を吹けるとはこういうことかもしれない、と感じた。

生まれて初めて、同じ映画を3回見に行った。

その時間とお金が、全く惜しく感じず、自然と行けた。

何回も見に行ったのは、自分のもやもやした気持ちにほんの少しだけ輪郭を感じることができたからだと思う。

劇中の言葉が、全部自分に向けられていると感じた。

「内臓をひっくり返すくらい自分をさらけ出すのがソロだろ。君はソロができないのか?」

BLUE GIANT(石塚真一)10巻より

44歳にもなるが、青春漫画のセリフに見透かされている感じがした。


もう、見ないふりはできないと思った。


本当にやりたいことの輪郭を探す日々

表面的には、ジャズが好きで、楽器が好きで、働きながらも続けている私は、「やりたいこと」が見つかった人に見えると思う。

それでも、本心としては「本当にやりたいこと」の核に触れることはできていなかった。

映画がきっかけになって、ほんの少しだけ輪郭が見えてきて、とにかく自分のやりたいことの輪郭が見えそうな行動をひたすらやろうと思った。
意味があるかどうか、今は考えないし、
それがブレーキになってしまったら何も変われない。

心揺さぶる音楽を探す
友達の勧める音楽を聞く
やったことのない練習を試す
自分にとっての自由な演奏を問い続ける

やりたいことの輪郭が見えそうな行動


ちょうどのタイミングで、東京大学の入学式での祝辞が話題になり、自分の思いにまた触れる言葉がもらえた。

夢は、待っていれば突然降ってくるものではありません。
探し続けて、行動してみて、その中で少しづつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。

令和5年度東京大学学部入学式 祝辞より


やりたいことがもやもやしてるのは普通だ

自分が学生を卒業してから20年間、もやもやして見ないように過ごしてきたのを説明してもらえたようで、ほっとした。

現実的には、今の社会でご飯を食べて生活するのにやるべきことが山のようにある。
それでも、自分の彫刻を彫り続ける方を選んでいく。

もやもやしたままの人生でもいい。
それでも、死ぬまでに自分らしさ、自分のやりたいことを見つける人生を選びたければ、泣きながらでも探し続けるしかない。



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