感情という欠陥品
全力で向き合うためにも、行動するのが良い。
楽しみたいのなら、行動するのが良い。
今できないことを将来もできないと思ってはいけない。
人は変われる。
特に環境の力は大きい。
あなたがそうしなければならない環境でそうすることは、あなたの力というよりも環境の力によるところが大きい。
楽しいという感情がどこから向かってくるのか。
自分の実力の範囲内で、少しだけ難しい課題を見つけた時だ。
パズルとか、ゲームとか。
クリアという明確な目標があって、そこに向けて努力するのだ。
あなたが楽しくない時、実力を発揮できていない時だろう。
はたまた、行動をすること自体に不安や、周囲の目を気にしてしまっている時も行動できない。
変化するために今まで通りの行動を見直す必要は確かにあるが、もしあなたが自分を変えるための行動を怠けてしまうのであれば、あなたが今いる環境があなたにとって快適すぎるのかもしれない。
要するに、心地よいこの環境を失いたくないのだ。
手放したくないし、いつまでもここにいたいと願っているからこそこんな思考になる。
従って、快適すぎるこの環境を捨てれば良い。
上達したいこと、やるべきものに集中できる環境を手に入れるのだ。
作り出すのだ。
いやだ?やりたくない?抵抗感がある?
そんなのは嘘だ。
いや、正確に言えば、そんな感情は長続きしない。
今の君が生み出している感情は全て、あなたの心が変化してほしくないから生み出しているかりそめの感情にすぎない。
あなたの心は、あなたに「うまくいってほしい」とか「傷ついてほしくない」とか思っていない。
首尾一貫したあなたの心の主張は、「どうか今まで通り変わらないでほしい」だ。
もう一度言おう。ただ、今まで通りでいてほしいのだ。
あなたにとって今の環境が心地良くても、劣悪であろうとも、「いままでこれでやってきたんだからこれからもこのままでいよう」と言っているのだ。
酷い話だと思わないだろうか。
あなたの心である以上、あなたのことを思いやって多少厳しくても成長する方に応援してくれても良いのに。
ちがう。心は楽で、気持ち良いことを好む。変化とは、新しい挑戦とはいつだってリスクが伴う。だからこそ心にとって、変わること=悪なのだ。
だからこそ、感情を信じすぎてはいけない。
特に、何かを達成したいときや多くの努力を必要とするときは成功するまであなたの心のいうことなど無視すると決め込んでも良い。
私たちの感情は、人生を正しく豊かな方向へと導いてくれる優秀なセンサーなんかではない。
生まれた時からそばにあり、このセンサーに従って行動を決めてきた我々にとって非常に受け入れ難いことだろう。
納得はできないと思う。理解してほしい。
心は、必ずしもあなたの味方ではないこと。
あなたは、心を指標にせずに自分の人生を歩み、豊かに変えることができるということを。