地方公務員がパーソナルトレーナーになり、ライフコーチになるまでの物語
僕は元公務員でパーソナルトレーナー、現在は優しいトレーナー育成コーチとしても活動している者です。
地方公務員から一念発起。人生を変えたいとパーソナルトレーナーに転職したのがちょうど6年前。
さらに、自分の本当にやりたいことを実現するためにライフコーチとして生きることを決めました。
今回は、そんな僕が現在に至るまでの山あり谷ありのストーリーを語ってみようと思います。
長くなると思うけど、これから人生を変えたい、でも1歩踏み出す勇気が出ない。そんな方の力になれるような記事になるように全力で書いていきますので、ピンときた方は最後まで読んでいってくれると嬉しいです。
このままの人生で本当に後悔しないのか?
大学を卒業して、大学がある街の市役所に入所しました。
大学時代は野球に全てを捧げるような生活をしていました。
1年中野球漬けで、まとまった休みといえば冬休みの2週間だけ。
それでも、好きなことをやっていたし、一生付き合えるような仲間に出会えたとっても充実した大学生活でした。
公務員になった理由は、なんだか安定していそうだし、親も喜んでくれそうだから。
流されるままに就職先は決まりました。
市役所に入り最初に配属された部署は生活保護のケースワーカー。
生活保護を受けている方々と関わり、生活のサポートをする仕事でした。
一見大変そうだし、職場の周りの人達は大変そうに働いていました。
なかなか、油っこい職場ですからね。
でも、僕は不思議と楽しく働けていました。
今考えると、生活保護を受けている人たちとの1対1のコミュニケーションが楽しかったんだと思います。
1対1のコミュニケーションが好き。これは今にも繋がっている価値観です。
確かに、大変な人生を送ってきている人も多かったし、問題をたくさん抱えているような人も多かった。
でも、そんな人たちと人間関係を築いていくことが楽しいと感じていたんですよね。
4年経つと職場異動があり、水道料金の担当課に配属になりました。
そこでは、楽しいと感じることは減っていきました。
水道メーターを見に行ったり、パソコン作業をしたり、人と関わることが減っていたことがその原因なんじゃないかと思います。
そして、そんな日々を送っていくうち僕の中にある考えが生まれてきました。
このままの人生で本当に後悔しないのか?
誰にでもできる仕事をして、なんとなく人生を過ごしていく。
周りの人たちはそんな日々が心地良いと感じているみたいだ。
でも自分は本当にそれでいいのか?
仕事って人生の大半を費やす活動だから、本当にやりたいこと、好きなこと、得意なことが活かせるようなことをするべきじゃないのか?
そこから、転職を考えるようになりました。
そして、自分のやりたいこと、好きなこと、得意なこと、で考えたときに高校生の頃から野球のトレーニングの一環で続けていた、筋トレを仕事にすることに思い至りました。
調べていくと、どうやらパーソナルトレーナーという仕事があるらしい。
人に体作りのやり方を教える仕事。しかも自分の得意な1対1で。
これしかない。そう思いました。
一念発起。パーソナルトレーナーに
ちょうど未経験可で募集のあった会社を見つけ、応募したところとんとん拍子で研修に行くことになりました。
まぁ、応募する際にも、人生が変わってしまう恐怖に震えながらメールを送ったり、妻に超絶反対されたり紆余曲折あったんですが、この辺を細かく話したら終わらなくなっちゃうのでまたの機会に。笑
半年ほどの研修期間を経て、2019年1月、晴れてパーソナルトレーナーになることができました。
そこからは本当に楽しかった。
毎日が新鮮な刺激であふれていて、自分が成長すること、新しい出会い、新しい世界を知れることがただただ楽しかったんです。
今があるのも間違いなくこの期間のおかげなので、拾ってくれた会社には本当に感謝しています。
初めは反対していた妻も、パーソナルトレーナーになり生き生きと働いている僕を見て「転職して良かった」と言ってくれるようになりました。
2年目、3年目と確実にキャリアを積んだ僕は、ジムで売上No.1になり店舗責任者を任されるまでになりました。
社長からも頼られ、実質会社の中でNo.2としてスタッフからも信頼され、やりがいを持って働いていました。
順風満帆に見えたパーソナルトレーナーとしての生活。
でも、充実した日々の中で僕は少しずつ違和感を感じていました。
頑張り過ぎて心と体が限界に
週6日、朝9時から夜21時まで働き、家に着くのは深夜0時を過ぎることも日常茶飯事。
平日はほとんど家族とも一緒にいれず、まだ赤ちゃんだった息子と関われるのは日曜のみ。
ワンオペ育児のストレスでイライラが絶えない妻とも心の距離が生まれていました。
自分で選んだ道とはいえ、徐々に苦しくなっていく、でもそれを忘れるためにまた忙しく働く。
パーソナルトレーナーとしてのセッション、店舗管理業務、スタッフとのコミュニケーション、営業のための交流会への参加、クライアントとの会食。
次第に日曜も休みなく働くようになっていきました。
そしてとうとう心と体のバランスを崩してしまった。
何をしていても楽しいと感じなくなり、笑えなくなってしまったんです。
気付いたら涙が出てきていることもありました。
それが、2023年の9月。パーソナルトレーナーとして5年目の時でした。
僕は両親に相談しました。
今まで、心配をかけまいと相談したことなんて1度もなかったのに。本当に限界な時に頼れるのって親なんですね。
そして、両親に相談した時にかけてもらった
「頑張らなくても、凄くならなくても哲也は哲也のままで良いんだよ」
という言葉でようやく気付くことができました。
『自分にとって本当に大切な存在である自分自身を大切にできていなかった』ということに。
何よりも自分を大切にする
それからは、これまでの生き方を180度変えることに向き合っていきました。
頑張って、自分を削ってでも周りのために、消耗しても役に立てるなら良い。という考え方から、自分を最優先して、自分を満たした状態で周りと関わるという生き方にシフトしていきました。
そのためにやったことは、まず、心屋仁之助さんの『がんばっても報われない本当の理由』という本を読むこと。
心屋さんの著書はほぼ全て読破しました。
本の中で言われていた、頑張り教の信者を辞めて、自分の評価は自分で決める、根拠はなくても自分はすごい!ということにする、断る、サボる、ちゃんとしない、期待に応えない、などの以前の僕だったら絶対にできなかったことを実践するようにしていきました。
それから少しずつ生きることが楽になっていきました。
そして頑張らなくても、無理しなくても、僕のことを好きだと言ってくれる人たちが周りにいることに気付きました。
妻、息子、両親、妻の両親、パーソナルのクライアントさん。
自分を大切にして、半径5メートルの大切にしたい人たちと関わっていければいいんじゃないかと思えました。
そこから優先順位がガラッと変わりましたね。
自分の時間、家族との時間、本当に大切なクライアントさんとの時間。
そこだけに特化していきました。
そして、最適化を進めていったところ、結果的に会社を辞めてフリーランスとして活動していくことになりました。
コーチとして生きたいという想い
実はパーソナルトレーナーとして働いていたころからコーチングを受けていました。
クライアントさんの中にビジネスコーチをしている方がいて、コーチングに興味があったことからお願いすることになりました。
その時は、副業としてやっていた、オンラインダイエット事業を広げていくためという名目でした。
1年ほどコーチングを受けて、副業も自分なりに頑張ったんですが、成果はなかなか出なかった。
そんな中で『自分もコーチとして活動したい』という想いが芽生えてきていました。
パーソナルトレーナーをする中で、コミュニケーションを通じた、人間関係を深めていくことに最大の喜びを感じている自分に気付いたんです。
コミュニケーションを通じて、人の人生を変えるような関わりをしていきたい。
対話だけで食べていきたい。
ただ、周りにそんな生き方をしている人はおらず、具体的な行動は起こせずにいました。
経営者の交流会で知り合った、自分でビジネスをしている人たちに相談したりもしました。
でも、その時にかけられた「パーソナルトレーニングの付加価値だから成り立つんだよ」とか「計画が甘いんじゃない?」という言葉に、やっぱり無理なのかな、と思うこともありました。
自分でビジネスをしている人たちが無理だって言うなら無理なんじゃないか、、
でもやっぱり諦めたくなかった。
コーチとして、対話だけで、自分が好きで得意な1対1で人間関係を築いていくという活動を通じて生きていきたい。
コーチとして生きる方法を調べていくうちに一人のライフコーチを見つけました。
フリーランスのライフコーチ専業で8年間生計を立てている。資格も持たず0から始めて家族を養っている。時間にもお金にもクライアントにも恵まれた生活。
情報発信を通じて、「あなたにもできるよ」とメッセージを送られている気がしました。
僕もこうなりたい!
心から感じました。
それが現在のマイコーチでした。
たった一つの言葉に救われた
「無理だよ」とか「甘いんじゃない?」と言われ続けてきた僕にとっては、その方の存在が唯一の明るい光だったんです。
僕はその方に連絡をしました。
2023年8月でした。
振り返れば、働きすぎて心と体が限界になる、少し前だったんですね。
お話しして、僕の状況を事細かに聞いてくれた後、その方は一言「山口さんならできると思いますよ」と言ってくれました。
その一言で今まで苦しんでいた自分が救われた気がしました。
ただ、その時には継続セッションの契約を結ぶことはできませんでした。
長期セッションとなると高額になるので妻に相談したんですが、反対されたことから僕は一度諦めてしまったんです。
今考えると、物事の判断を他人に委ねてしまっていたんだな、と思います。
それから、前述した心と体が限界になり、生き方を180度シフトしたことを経て、もう一度「コーチとして生きたい!」という想いが湧きあがってきました。
そして、そのためにはあの方の力が必要だと強く感じたんです。
2023年11月。もう一度、8月に話したコーチに連絡をしました。
会いに行きたい。会ってコーチとして生きていく覚悟を決めたい。
そう伝えたところ、12月に会いに行くことになりました。
僕が住んでいるのは北海道札幌市。コーチが住んでいたのは福岡県北九州市。直線距離で実に1400キロ。
この決断が僕の人生を変えました。
やっぱりこの人しかいない
正直会う前からこのコーチに長期セッションをお願いすることは99%決めていました。
最後の1%を埋めるためだけに会いに行きました。
北九州市に行き、コーチと話す中で「やっぱりこの人しかいない」と感じました。
理屈じゃなかった。経験と生き様から出てくる言葉にパワーを感じたんです。
この人となら、どんなことにも挑戦していける気がする。
そんな気持ちにさせてくれる方だったんです。
そして、ちょうど1年前の12月11日。マイコーチになってもらいました。
「山口さんなら絶対にできる」
自分が尊敬する人にそう言ってもらえることのパワーは他のことには代えられないものがあります。
上手くいかなくてくじけそうなときも、一人で悩んでいるときも、この一言で僕の心にはまた灯がともるんです。
それから、ライフコーチとして活動する力をつけるために、情報発信を始めたり、営業活動に向き合ったり、オンラインセッションを基本としながらもマイコーチにも計4回直接会いました。
行動にブーストをかけたいときや、今会うことが必要だと感じたときには1400キロをビューンと飛んで会いに行くのが、僕の中で大切な時間になっています。
現在の自分があるのはマイコーチのおかげです。
本当にありがとうございます。
次は自分が救う番だ
マイコーチの「山口さんなら絶対にできる」という言葉で救われた自分。
今度は僕がクライアントさんに「あなたならできる」と伝える番だと感じています。
そして、実際に今関わっているクライアントさんには心からの「あなたならできる」を贈っています。これからも伝え続けます。
僕が死ぬその時まで。
何度だって伝え続けていく。
「あなたならできますよ」
正直こんな長い文章誰が読むねん。と思っている自分もいますが、たった一人でもこの文章を読んで何か感じてくれる人がいるなら、嬉しいですし書いている意味があると思います。
長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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【山口てつやのプロフィール】
優しいトレーナー育成コーチ。優しい人が違和感なくパーソナルトレーナーとして売れるための方法を発信中。公務員からパーソナルトレーナーに転職して2年で売上No.1、店舗責任者に。累計セッション数6000回以上。パーソナルで3000万円以上売り上げてきました。 有料で実施している『優しいトレーナー育成研修』の様子を無料公開中。受け取りは公式LINEから。
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