深森海の亡者

 巻尺立てて見知らぬ土地をのぞいては、スケールの大きさに見えている範囲でしか網膜光らすことできないぞと倒れた巻尺冷やかに眺めてフーッと息を吐いて二秒目を閉じて、「よし」と小声で自らに向け鼓無(こぶ)して頭にタオルを巻いて座っていた椅子と巻尺を机から取って机も、淡々とそれら家具の大きさを測り始めて、長さの単位小まぎれた端数くっついていようものなら木の香りを嗅ぎ直して、「こまけえことはどうってことない」と似合わぬ張り上げ声を投げた。

 投げられた釘やら金槌は宙を舞って飛んでた渡り鳥に当たると思いきや、鳥たちは器用にその工具を嘴(くちばし)で摑んで離さずどこかに行く。行き先は遥か彼方。道具を持たぬ者は、また別の腰の落ち着け場を探して作り出すことなく物を測り続けるのだった。

 空から降ってきた天秤は大きな音を立てて地面に向かって落ち、そこは落ち葉にうもれた落とし穴とは知らずかきしめる地面を求めて今もなお奈落を目指して金切り声を上げる。崖から飛び降りようとした者のそばを落ちて渦潮に飲まれ、天秤はなおのこと落ちるのをやめず深海を目指し、深海魚は天秤の様子なぞ興味なくプカプカと水中をただよってやがて腹を上にして水上へと昇っていき息絶えることは望まなくともどうにもならなくとも成す術なくその身が終わりに向かうのであれば天秤は、深海をもつき抜けて地球の核へと掘り進む、はて、天秤とは一体何なのかと思った瞬間その物は鉄塊となって皿なり糸なり足なりが分離して落ちることすらも諦めて解散となった有様を見ていた水上の深海魚だった一部の魚の生き残りが、見ていた。

 いずれ来るその未来たるや樽やどぶねずみと一緒で次は、どんな存在へと生まれ変わるのか分からないが「分かった」気になることも恐ろしく、天秤が居なくなった隙に、再度元の棲家(すみか)だった深海へと生きていた魚たちは戻ろうとした。戻ろうとしたけれど「気付いていたら深海魚」だった魚たちは深海じゃない海に入り、その異様さというか単純に自らの鈍磨(どんま)に対して苛立ちを覚え、その動きのトロさによって次々と同じ深海に棲んでいた魚たち(ここでは仲間とは呼ばない)が近海魚に捕食されるのを間近に見て、恐怖で打ち震えることを禁じ得なかった。

 近海で採れた、というか採られる前のマグロたちは惑う深海魚が分不相応、苦手とされる行動をとらなければ命の身にさらされることをどう思っていたのか。もちろん彼らはその存在をすぐにでも記憶の端に追いやって、というか記憶する暇もなく動き続けなければやられてしまうのだから何もない。立場の違う両者を包む海は何も見えずに言わず。

 深海魚はみるみる数を減らしながらも階層深く突き進むのだが結果はもう見えている。深海以外の世界で適応したため、適応しなければ生きて還ってこれないことは重々承知していたが、もう暗がりでは生きられない元・深海魚の生存者一匹は海の黒に飲み込まれた瞬間に、姿を消したのだった。荒れ狂う海の潮吹雪によって削られた崖の上に佇む者が見た記憶というものはこんな感じかな、とささやき声のいたずら心を膨らませた風からの便りにより崖から飛び込むことを諦めた者は、結局のところ居場所がなく自らの身が居場所なのだと肩を抱いて深森(しんりん)へまたもや引き返し、数日たってまた崖に立って海に思いを馳せて白が混じり始めた長髪をたなびかせるその風はどちらの味方にもならないどっちつかずの便りをささやき、ささくれ心に油や水や時には火を投げ入れられて、本当は業火に燃え滾った後の背中が雨水に濡れて激痛を伴ってはりさけるほどの声を上げようにもその者は声帯をもたぬ者だから雨がもうもうとかさを増して降り続けるものだから深森(しんりん)すらも、海に飲み込まれた。道が溶けてなくなった。

 溶けた道だったものを纏うことでとりあえずは寒さで身を落とすことはなくなった。まだ皮膚は生きている。落ち葉と枝を拾ってもしめっているから火を起こせない。火を加えないとどんぐりなぞ食べられるシロモノではない。もう、動くしかなかった。いつ何時、海に飲まれるか分かったものじゃない。実は一緒に共していた別の者がいた。でも知らないあいだに消えていた。悔しかったのではない。見たくなくてその場から逃げようとしたら、気付けば崖の上から海を見ていた。

 洞窟を見つけてもいつこの洞穴が海に乗(の)まれるのかも分からない。いつまで雨が降り続けるのか分かりゃせん。海が来るも来ないもただ、進むだけだった。腹が減った記憶も海に眺められたのだろうか。小高い丘から眼下を流れるかさ増された小川だったところを、根が裸となった木々があれほど自身ありそうに立っていた木々たちがいとも簡単に流されていく。転がる石ころに触れてみれば、その石ころは「仲間を守ろうとした者は全員亡くなった」と言い残してその石の色が黒へと変わって白となってやがてその場の景色の色と同色になって居なくなった。言いたいことを言ってスッと消えることができたら、どんなに良いことだろうか。投げ出す命をもってしてつなぐべく相手すらもまきぞえにしてその場を去った者たちが、今眼下を流れる木々の群れのように思えてならない。

 外套を目深(まぶか)く被り、これも道を編んでその場に落ちていた木の皮の模様を見よう見まねで真似して、編み込んでできた、というか外套と呼べるシロモノじゃなくただの道だったものの残骸である。

 顔にはねた雨粒の冷たさに我に返り、今度は腹が減ってきた。あの小川らしき怪物がいつここに迫って来るか分からない。周囲を見渡す。どこもここも「これだ!」という安全そうな場所は見当たらず数ミリ進んだ、足が勝手に動いたのであろうか向かった先がもうもうと流れるその小川だったのだ!丘を駆け下がる。でも、どちらともかまわないと思う。

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