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生活保護日誌.93

(UnsplashMaksim Samuilionakが撮影した写真を使用しました。Thank you! Maksim.)

どうもこんにちは二足の草鞋です。

昨日に引き続き多弁極まりなく文章を連投して、失礼いたします。

今朝は風がビュービュー吹いていて曇り空でハッキリしない空模様で、さすがにエアコンをつけっぱなしにするのはどうかなと思いましたがまだ暑いのか寒いのか判断がつかずお出かけから帰ってきたばかりで

玄米ご飯(チャーハン風)、梅干し、もやし炒め、もやしのみそ汁、麦茶

を食べて昼のお腹を満たしたので胃に向かった食物を消化するために、身体がポカポカしているので、まだエアコンはつけたままにします。

生活保護だからエアコンやお風呂のお湯をガンガン使っているのはいかがなものだろうか、と心半ば思っています。ですが天気の変化はその日になってみないと分からない、朝のルーティンの半身浴と冷水シャワーをして心身を入れ替えて体内時計をリセットする試みは続けていきたい。たとえ体の調子が良かったとしてもそれがピークを過ぎていて無理をきたしていた場合はまずは土台を固めて、食べること、身体を動かすこと、身体を温めることなどを少しずつやっていけたらいいなと切実に思います。

いずれ何らかの形で社会に出たい。社会的立場をもってして人と関わる、接点を持つ、いちいち(言い方が乱暴ですが(いいやこのやり取りは僕の修正です))「私はこういう人間でこういう経緯でこういう生活を営んでいて」と説明をせずともパッと「私の職業は○○です」または「私は生涯働かずに一人で生きていきます」なりを言うことで、自分もとい自分以外の人が納得してくれる。

僕はリアルの関係において、医療だったり福祉(生活福祉課、社会福祉協議会)だったり当事者会だったりでしか、障害を持っていることを伝えていませんし、まあ健常者(人に健常者も障害者のくそもありませんが「障害者」としてそれなりの行政サービスを受けている立場としてその立場で社会のフィールドで語れることと個人的に思っていることをよく混同しがちなので、そこは反省というかこれから「社会的身分相応」の態度や距離感を動きながら身に着けていけたらいいなと思います(偉い!)(自画自賛))の方々に、いわゆる障害をオープンにすること、まあ障害を持っていることを明らかにしても相手がどう受け取るのかは相手の判断で僕自身は手を付けることはできませんし、社会的には障害者を守らないといけない決まりがあったとしても社会的立場をはぐった個人の立場を僕と同じく相手方も持っているので、石を投げられようが唾を吐きかけられようが、と言いたいですが僕自身公的サービスで守られている状態で他者からキツイ言葉を言われても同じ土俵に立っていない、やはり守られている立場なので強気な言葉は言えない。

でも障害者だからといって皆が皆無害でヒヨヒヨと純粋で危険度が低いというわけでもなく、当事者としての僕としての意見ですが、僕もそれなりに暴力的な感情が体の中に渦巻く時もある。

社会に守られている立場を忘れずに自分の意見も持つ。自分の意見を持つにしても障害なり生活保護なりを笠に着ず(笠に着るのもいいけども)、本当に障害にも生活保護にも囚われない自分の内側の「自分としての生き方」を示したいのであれば、相手に対してたとえ社会的立場において障害者を守らないといけないでも相手にも相手の生活があって

「所詮障害者に融通をきかせているのは社会的立場ありきでその人個人の心持には何も声が届いていない」(何を言うてんやろ)

まあ、僕自身が他人の考えにとやかく言う筋合いはないですし僕が他人の内側の心持さえ自分の思い通りにしたいという傲慢さから来ることかもしれないが、僕が市民の税金から生活させてもらっていること、これから働くか一生生活保護で暮らしていくのかは頭ではなく日々の生活、自分の歩みによって築いていくことなので今は何とも言えないのですがこの「当たり前に働かずにいられること」(語弊があって大きな態度に聞こえますが(そんな心配しないでよろしい)(了解です))、「働かずしてじっくりと腰を据えて自分にとって何が大切か何が向いているのか」などを自分の時間フルで、まあモラトリアムの期間と言った方が早い話ですが、自分の言い分を通したければ相手の意見に立って話を聞いたり折り合いをつけられる人に慣れたらいいなと、きれいごとをのたまいたくなった次第です(謙遜するなや「自分から謙遜したりへりくだる」ってことは早々に頭下げて「自分はこれ以上あなたに害はありません」って自分が傷つくのを避けているポーズにしかならへんがな(せやな、ゆっくりやるわ)(ええよ、ゆっくりやっていけばええ))

よって昨日の記事からの反省で、と言っても一度反省したら切り替えて次に行こうと思います。「薬を飲みたくありません」と駄々をこねる。今日は今朝から頭が痛くてしかも社会福祉協議会(以下社協)の金銭預かりサービスからの1万円を使い果たしたので、貯金の中に入っているお金は少々心もとなくこれから社協に連絡して「お金を使い果たしましたので追加でお金が必要になります。ですのでキャッシュカードを取りにそちらにうかがいたいのですがよろしいですか」と(「すいません」は言いません。このあいだ実家に帰った時に母親から「すいませんすいませんって謝らんといてや気が滅入るから」と言われてから「すいません」言うのが怖くなって本当は「お金を使い果たしてしまってすいません」って言いたいとこやけども、まあ食べるのにお金を使っただけで悪いことはしていないしこれから修正していってまあ食べることをしっかりやればそのうちいいことがあってどうにかなる)言いにくいけども、連絡します。

えーっと、何を言いたかったんですかね。書きながら考えます。

天気が悪いけども頭痛がするけどもそれらに原因があるのではないかと考えても結局のところ予測することしかできず現実がその予測通りに行くことはないので、かといって全く分析しないのは、いいや、脱線していますので修正します。いいや、もういいです。次行きます。

「薬を飲みません」という貴方の立場は分かる。でも、薬を飲むことで体の鋭さが抑えられて貴方は外に出るのもやっとで人が怖いんでしょ。自分の感覚を切ることで、貴方は運動神経がいいからさぞかし自転車だったりジョギングだったり歩くことだったり食べることの箸使いを楽しめたりするでしょうから「薬を飲みたくない」というのも分かる。

でもさ、貴方人が怖くてその感受性ゆえに道端で人と遭遇した瞬間に逃げてルートを変えてまた人に遭遇したらルートを変えてってな感じで必死になって人を避けている。昨日だって頭が痛くてたまらないのに、noteで文章ババーッと書いたりその文章を朗読したりジョギングして人を避けながらやっとこさ家に帰り着くことができた。しんどいかもしれないけれど同時に万能感を享受することができる。楽しいよね、楽しいのは分かるさ。

でも貴方のことをあなたの事情を知っている人はごくわずか。地域にいる人世の中にいる人はあなたのことを知らない人ばかりでそうして逆にあなたに遭遇した人たちはあなたのことを見て何と思う?(別に他人のことを考える必要もないよ。内実は人の気持ちなんて分かりゃしないし)

出会った瞬間、瞬時に逃げる人だよ?もちろん相手は気にしないで「何あれ」ってなだけで終わると思う。でもその際にあなた自身に放たれる殺気(「殺気」なんてマンガみたいであほかいな。せや、僕はあほなんです(人に「ドアホ」って言われたら怒るくせに自分で「あほ」って言っても「あほ」っていうことにはならへんがな)(せやな、じゃあ僕は僕です)(…どあほ))だったりあなたの暗い表情気の滅入る仕草だったりを目の当たりにして、それがあなたの住むアパートの近所であなたはそのアパートに2年もいるからそりゃ近所の人はあなたの顔くらいは覚えていて、でもあなたは近所の人と全く関わろうとする努力をしてないから「よく分からない人」てな感じででもそのよく分からない人が「であったら最後。勝負」みたくさっき振りまいていかにも切りつけようとするかのような殺気はなっていたら、近所の人だったりたとえ初対面の人だったりから見たら、怖いで。

あなたも怖いやろ。人がいた瞬間に逃げないかん。その間走り続けて休む暇もない。休めるような公園もベンチも限られている。まるで忍者やあなたは(また自分がすごいって万能感を感じよる。すごかないよ、猫みたいに臆病で肝っ玉小さいってバカボンドの沢庵和尚が武蔵に言ったセリフみたいで、ああ「僕は宮本武蔵みたい」って調子乗っとんな。別に自分のことを漫画の主人公のごとく思って万能感に浸りよる。だからあんたはいつまで経っても子供なんよ。子供だから他人に気を遣われて、人に気を遣われるから自分も他人に気を遣って、逃げて、歩道なり自分が歩こうとした場所なり自分の意見を封じ込めて人に譲って、その譲ったことすらも忘れようとしてその場からサッと立ち去って、ああまた「僕は月光仮面みたい」って万能感に浸りたがっとん。どれだけ自分が偉い人と思われたいんかや。偉くもなんともないわ。ただの厄介な人やからに)

何が言いたかったのか分からんくなってしもた。せやな、あなたが人を見るたびに怖くなってる。それを自分に条件付けしてその怖さゆえに逃げる、逃げるためのルートを選択することだったり瞬時にどう動くかの瞬発力が身に着いてきてそれは鋭すぎる感受性ゆえで人に「かっこいい」とか「すごい」とか言われることがうれしいんやろうと思うけどもやり過ぎや。楽しかったりするんやと思うんやけども命けずっとんぞあんたは。まあ生きていればだんだん寿命が減っていくから命は何も思わずとも削られているんやと思うんやけどな。あんただけが地域に住んでいるわけちゃうねん。もちろんあんたは何も言わないし何かあるものなら逃げて逃げて人に関わらないようにしているから「迷惑」とははっきり物言えんけどもな、貴方と会った人はあなたが社会的立場を持たない上にあなたとどう関わればいいのか、社会的立場を持っている人は自分の立場を追われる危険性があってそしたら仕事するにしても家庭を持っているにしても自分の立場を追われるわけにいかないからその場その場で起きた出来事について「変な奴」なり「おかしな奴」なり「意味不明」なり無関心なりを周囲の人にポーズとってなあかん。そこまであんたが他人のことについて考えるのはおこがましいわけやけども、そのおこがましさは「他人に興味がある」っていうのの裏返しとちゃうんか。その裏返しを頭の中に保持し続けながら他人との関わりを避けるのは、あんた、苦しいんとちゃうか。

あんたが誰かに道をゆずる。あんた自身がその人に近付きたくないから、その人の反応を見て傷つきたくないから、傷つきたくないにしても好感を抱かれたとしても人間関係を維持し続けることが過去の経験から避けていることは分かるしそれで痛い目を見るくらいなら、最初から人と仲良くなることを人に気付かれないことがトラブルから避けられる、相手を変えずとも自分を変え続けて体の限界を越えそうになりながら走り続けているあんたのことを、人はどう捉えていいか分からない。たとえ「なんやあいつ」と言う人がいてもまあそういう人はすぐ忘れるタイプかもしれんし、潜在意識にあなたの存在、「お前が存在することで(僕にとっての相手)一人の人間が道を通れなくなっているこんなに苦しい思いをしている」と罪悪感とあなたの存在を非言語的に映像的に相手に植え付ける、そんな、存在の押し付けを、あなたは日々人々に対して行っている(と考えすぎですね。でもまあこれが僕の性格なんで仕方がないです)

なにやら、あなたやらあんたやら僕やら相手やら人称がごっちゃになってよく分からなくなりました。でも、続けます。

あなたは無駄な努力をしちょる。自分も相手も傷つかせたくないなんて、相手が傷つくかどうかは相手の勝手やから余計なおせっかいや。でも、無駄なことって素敵な事なんよな。お金のためにも人のためにも時間のためにもならないことを無我夢中でやれば、自分がたとえ追い込まれて死にそうな思いになったとしても、切羽詰まることによって死地に赴くことで輝く「生きている実感」てなものがあるもんな。だから不幸って言うのは手放したくないねん。自分から不幸になりに行っている節もあって、政治なり自然災害なり悪い人は悪いしなんでこんな理不尽こうむって生きていかなあかんねん思っていてもだからこそ窮地に脱するためにあれこれ考えて、それが差し迫ってくる自分の命の危機ってものならもう動かないと死ぬことになるからな、生きなきゃ生きなきゃ思って自分の命人質に取られる状況になるからこそ否応なく動かざるを得なくなってだからこそドクンドクンと心臓が跳ねあがって全身をもってして「生きている」を手にできているわけだから、幸福で何不自由しない暮らしで美味しい食べ物とか気持ちのいいこととかできたとしても、そりゃ退屈になるっていうか頭の中で「生きるとは」とか「世界平和」とか思っていてもそれは頭の中だけで体が動いてなくてその平和じみた生活の下にドロドロとしたものが渦巻いていてそれを知らずに生活できているのはそれはそれで才能やけども、やっぱり何だか不安だ、これから先どうなるのだろうと本能たる偏桃体というか人間の肉体に備わる警報装置を完全に切ってしまうのはできないはずでそうじゃなければ、その人自身がアンドロイドや。当たり前に「生きている」を享受すること、その「生きている」の大切さを自覚せずに当たり前の前提として(もちろん僕は自分の生活をただ大げさに捉えて毎日おおげさに死ぬ気になって生活しているのは馬鹿なことかもしれません。本当に死地に赴いたことある人戦争だったり病気や事故で生死の中をさまよった人には到底かないませんしかなうかどうかで争いたくもありません)

まあいーや。ここはこの辺にしておこう。自分の感覚を多少なりとも切ること。今から前時代的な暮らしを自給自足な暮らしをしろっていうわけにもいかない。もう便利さを享受してしまったんだから元には戻れない。だから自分の感覚を十二分に活かすこと、死にそうになることが生の実感を得ることカッコよく言えば(かっこいいってカッコ悪いねん。かっこつけんなや)自分の死に場所を求めること(死に場所って言いながら全然死ぬ気あらへんがな)生きるために死にそうになること、もうこてこてに体が消耗しきって「頼むから、こんな状況からはよ抜け出したい。死なせてくれ」って思うこともありながらも内心腹の中でどれだけ自分の体が動くのだろうかフッフフ笑っている様は、本当におかしな人やけども関わりたくもないけども、本当ユーモアの塊みたいな魅力のある人やと思う(なに自分で言うてんねんああ、恥ずかし(せやな、自分しか自分を褒めてくれる人がいないから(今この場において)だから堪忍してや)

本当、おかしな話やで。言葉って煮詰めたら意味が反対になる。だからこそ言葉なりおしゃべりなりせずに(と言いながらこれだけ言葉文章として紡いでんじゃないか)行動をもってしてたとえ死にそうやけどもその窮地が自分にとって生ある実感を享受できて、でも今のところは食うことには困らないし内心物価上がったから生活保護費カツカツでまあそれはこれから知恵絞って対策していけばよかろうっていうかお前さんはよ働いて社会的立場持って人と交流しよな(まあ考えとくわ)

最後にするけども、他人のことを考えたら薬を飲んで感覚を鈍磨させて道行くにしても自分の直観なり他人への警戒を抑えるためには薬を飲むことも考えてください。これから少しずつ自分の生活を築いていく上でまた気付くこともあるかもしれないからすぐにとは言わへんけども。というか「少しずつ」って言っても僕は30代だからこれから先一人で生きていくか所帯を持って生きていくか、所帯を持つとしても社会的立場は必須や。それがあるから獣たる人間じゃなしに社会的動物としての人間として生きれて、そうすることでお互いいい距離感で時には距離感誤って衝突することもあるかもしれへんけどもそれは表面上でもいいからその場をとりなして、またお互いの生活に戻っていく。近頃のあんたは歌を歌ったり、文章をこうして書いたり、絵を描いたりして芸術家、作家さんみたいなことをしているけども、勤め人じゃなくて作家として生きるとなれば、今書いていることなり作っていることをリアルの人々に知られるということやからあたりかまわず思ったことを書くわけにもいかへんし、今は匿名で書いているから自分の恥部を曝け出すくらいの文章を無遠慮に書けるけども、それが自分の身近にいる人に知られている、要するに自分の黒歴史なり恥ずかしいことをしっかりと他者の反応として受け取る、直接面と向かって言われることに耐えられるのかってことを考えたら、それでお金をもらえる他人に喜んでもらえてお金を出してでもあなたの作品を買いたいですと言われるくらいなら社会的な責任も負わないけないし納期をきっちり守らないといけない。

まあ、ゆっくり考えていけばいいよ。ジョギングから初めてジョギングで居合道みたいな動きができるようになって、ゆっくり動いたら本当に一瞬やけども早く動けるようになるんや。自分がいつでも停まれるようなかんじで体を固めながらゆっくり動いて、自分に向かってくる対象物に気付くのを合図に瞬時に停まったり駆け抜けたりすると、本当に一瞬やけども早いんや。

僕は人間関係を継続するのが苦手や。だから初対面でもいいから社会的地位、年齢、性別問わずその場に居る人に何となくこの人素敵やん、思われたら後はもうその日一日でその日の僕は終了ですお疲れさんでしたって、その日あったことなり人なりのことは忘れるようにするというか、寝ること=忘れることっていう感じで僕は文字や意味じゃなくて体を持ってしてその現象をその意味を自分の感覚の風合いから物事を判断する生活をしてきた。

まあそんなとこで、一つの考えに終始したら足元すくわれるから対極の考えに対して思いを巡らせてみました。自分の考えを否定的に見ること、まあこの場においては文章でしかアプローチできずに「やっぱ薬なんて飲みませーん」ってな感じで一貫しない僕がいるかもしれませんが、キーボードをカタカタ打ち込んで形にならない思いを言葉に変換したこの身体にググっと差し迫った体験を通じて、また新しい考えに出会えるとしたら、光栄です。

長々となりましたが今月はレンタルWI-FIを申し込んだのでたっぷりとインターネットに触れることができていますので、最近はnoteの更新が多くなっていることは大目に見てくださいね。

では、また👋


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