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生活保護日誌.88

じゃあ、お願いします。

皆さんお久しぶりです。2か月ぶりの投稿といいましょうか。まあ、明日になったら7月になって「3か月ぶりの投稿」になる前にぎりぎりセーフてな形で、こうして文章を書かせていただきます。

見切り発車で、とりわけ何を書くとも知れずに(僕自身も分かんないのですが)、とりあえずありったけに手あたり次第キーボードをカタカタ打たせていただきます。

恥ずかしいんですよ。基本。何かしらのことを書いたら「潜在意識が露呈して」、そしたら僕の内面があらわになってというか匿名でこうして書いているから知り合いにバレることもないですけれど、まあ何人か知り合いに「僕がこうしてこういう名前でnoteに記事を投稿していますよ」とは、言っているのですが、やっぱり、ある程度文章を書いて人に見てもらうっていうのは、勇気がいりますね。

はあ、何を書こうか。書くっていっても2か月、3か月の月日が前回の投稿から経ったわけですからネタがないっていうわけじゃないんです。むしろ、どれから手を付けていいか分からず、今、快活クラブにて静音仕様のキーボードをボソボソ打っています。ソフトクリームを食べながら。

何を書いたらいいのかな。ううう。どうやら、僕の奥にある気持ちをつかさどる部分に強固なカギがかかっているようです。

ちょっと声かけてみますね。

「ブラジルの人聞こえていますかー?」

『gracias.』

どうやら、スペイン語の返事がなされました。

「体調はいかがですかー?」

『体調って何ですか』

どうやら次は、日本語で返事がなされました。辞書を引いてみますね。

「辞書を引いてみますね!?」

『・・・』

無視されました。こちらは有言実行いたします。

「からだの調子。からだの状態。「—を整える」「—が良い」、出典:デジタル大辞泉(小学館)

どうやら体の調子の良しあしを僕は聞いてみたようです。

『・・・はい』

なんか「僕の奥にある気持ちさん」は反応を示してくれましたが、どうやら、僕が、この気持ちさんの体調を考慮して、文章を書いてみないと話が始まらないみたいです。ふうー。とりま、僕自身のことを包み隠さず言うなんてことはできませんから、全裸になるわけにもいきませんから、どうしたらいいんでしょうね。うん、引き続き文章を打ってみますね。

最近中国語を勉強しています。

(やっと出ましたわ。第一関門通過!)

といっても中国語の語彙を増やすなり発音しっかりの発声なりは全く手を付けていないです。県内の大学で学んでいる中国人の留学生が教えている教室に、今わたくし二足の草鞋は参加しているのであります。

きっかけとしましては、夏目漱石じゃないですけれど、この世はとかく生き辛いモードに入っていた草鞋が「日本から出ていきてぇ~」と、まあ日中地方都市の街中をほっつき歩きこの世のユートピアを不審者よろしく不精者としてふらふらして、市が運営している公共施設にあったデジタルサイネージに「留学生が教える語学講座」というのがありましたから、寄ってみたのであります。

僕は(すいません、人称があれこれ変わりますが「僕」と「草鞋さん」の掛け合いをお楽しみください)最初英語が学べたらいいなと思っていて教室のドアを開けたらそこが、中国語を教えるところでした。

まあー太極拳教室にも通っていますし中国語を学んだら太極拳も上手くなったりして(太極拳はまだ本気になれていません。教えてくれている老師には申し訳ないのですが養老孟司、知行同一、体を使って学び身につくという体を目一杯動かせる環境をまだ持ち合わせていないものですから、太極拳の動きを学みにつけがまったくできていないのです)。

そんなことを思ってまあ中国語でもいいやてな感じで今は7回目くらい講座過程を終えました。全部で10回ありますので人間関係リセット癖があるわたくし二足の草鞋も「おめえてぇしたもんだなぁ~われ」と褒めてやりたいです。

僕は語学を学ぶ以前に「学びというものはどういうものか」を考えました。最近本を読むことが多くなりまして、ほっつき歩き葉っぱ隊二足の草鞋は歩行禅をしばらくセーブして座禅モード(本を読むことはその場に居続けるということですから座禅しているようなものと捉えています)二足の草鞋で運営しています。

ほっつき歩き葉っぱ隊二足の草鞋はもー一日中歩いていました。stand upの方の「立ってるだけできもちいいー」状態が歩いているコマ送り一コマ一コマが快感の嵐でして、風邪を皮膚に浴びるたんびに微笑みがこぼれそうでにやける顔を必死にキッと整えていましたがそうすると(下ネタでもうしわけありません)息子さんが元気になりましてstand upが違う意味になってしまいそうでそのたんびにベンチを探して、座り、座禅を組んで、ほとぼりが冷めるのを待ちます。

街中でジャージ姿の年齢不詳の男が、ベンチで、目を閉じて、座禅を組んでいる。べーつに誰も見やしませんが、分かっています。他人はその人自身のことでいっぱいで誰も僕のことを気にしないことは分かっているのです。

自意識過剰具合は中学生並みである二足の草鞋は、それでも自分の世界に浸り続けて歩き続けました。

目を閉じるとブッタGPTが起動するのです。

なにをすればいい、ふん

(目を閉じる)

(ふあー、アイスが食べたい)

よし!サーティーワンに行こう!!サーティーワンに行こうと歩いている途中でカラスがカーカー鳴いている、およよ、こりゃ。。。今日は可燃ごみの日だからカラスが多いのだな、ちょっと不吉さを感じる、、、よし、公園に行って座禅だ!サーティーワンは、なし!

てなかんじでその場その場で起こる出来事に自分の予定を合わせていって、まるで、ダイスを振りながら吉凶を占う呪術師のような生活をしていました。また、規則正しい生活、睡眠運動朝散歩(樺沢並感)、納豆・卵・豆腐・米という粗食を繰り返すと鼻が利くようになりました。

そしたらどういうことでしょう。街ゆく弁天さんのお花みたいな香りが遠くからやってくる。歩き続ける生活をした中での僕なりの悟りですが(まあ悟りといっても気付いただけで未来永劫保証される苦しみの手放し方を得られたわけじゃなくて、死ぬまでずっと苦しみは形を変えてきますけどね)、

ブッタはなぜ旅に出たかというと、スケベを探していたのです。

僕は街ゆく弁天さんのお花の香りをストックし(下ネタごめん)、時空を超えた妄想の世界でTENGA片手にかわるがわるすれ違った弁天さんと手合わせをしました。TENGAが事欠くときにはもう、地獄のようでした。体が炎に包まれるかの如く、Mrs.GREEN WARAJIのインフェルノ。この炎に包まれながらも歩いて歩く。そしたらへその下のあたりにある丹田が鍛えられる。

丹田が鍛えられたら人の感情によって震わされた微細な振動を感ずる、これは科学的に検証したわけではないので妄想でしかないのですが、鍛え抜かれた(自分で言うのもおこがましい)丹田によって人の感情が、分かる。

同時に僕は危ない場所、危ないと思う場面を徹底的に避けるようにしました。あっちから車、おうおうこっちからも車がじゃあここはやめて向こうに行って遠回りしよう。

今はもうその感覚をお休みする形で、というか、また病院のデイケアに通うようになりました。お薬もいただきます。人の気配、物の気配とかすべてに反応する感覚過敏、でもその感覚の過敏さによって自然の温かみやリズム、状況が今何を求めているのだろうかじゃあどうやってその場から逃げたらいいのかというのを1秒1秒取り逃がさずに反応していると、さすがに体が参ってしまいました。

体が参ってしまった、そうしてあいにくその時にお金が事欠くようになり(「安心サポート」という金銭、通帳預かりの社会福祉協議会のサービスで僕の通帳から生活費として月4万円を預かったのですが、早々に食い物代として使い果たしました)、そのタイミングで井上雄彦「バカボンド」の1巻~3巻を買って読んでいて、主人公宮本武蔵その巻ではまだ名をたけぞう、そのたけぞうが人を切って切って切りまくって沢庵和尚に宙づりにされて、飢えで死にそうになっているシーンを読んでいまして、僕はお金に事を欠いて、食べられなくなった。

よし、こりゃ、飢えるぞ。飢えるときなんだぞ。

そう言い聞かせて、飢えました。1週間白米だけの生活。次の安心サポートの金銭受け取りまで耐える。白米がなくなったら、みそ汁の具なし汁。どんどん体が肉がなくなって力がなくなって、動悸がドンドコ。寝ている時に下肢を失うんじゃないかって、二足の草鞋のミニ二足の草鞋を遺すことが未来永劫になくなるんじゃないかって身もだえしながら長い長い長く感じる夜をもう、寝ていることは9時間の寝ながらの座禅なのではないかと、耐えました。

ちょうどその時にアパートのベランダに虫が湧いていました。虫について詳しくなかったのでピンセットで一匹一匹つまんで袋に詰めて近所の公園にいる鳩に食わせてやると思って、その袋を持って街中を歩いていると「こりゃ、蛆虫じゃねえか」と背筋がサーっと寒くなっていざ公園にその蛆虫を放っても、鳥は、まったく来ませんでした。

幻覚ではないと思うんだけどな。アパートの片隣は空き部屋でそのベランダに鳩がフンをしにプップローって鳴いているから、そのフンに蛆がたかったと思うけど言い訳はいいか。

とにかく、僕は死期を感じていました。その死にそうな僕が蛆虫がベランダに這っているというシチュエーションを引き寄せた。こりゃ、飢えて何か悟るしかないぞっと、完全に、危ない人です。

中国語講座でおぱーいが大きいパイパイ老師(すいません、久しぶりにこうしてnoteに記事を書けたことにかけていたリミッターが取れて若干テンション行方不明の危ない草鞋です)から、中国の学校で、中国の国旗に対して天を仰ぐジェスチャーをして見つめる時間があるというのを聞きました。

僕は生活保護で曲がりなりにも生活してきたわけですけれど、学ぶことって答えがあるのではなくて、自分が思ったことを答えにしてもいい。いや、公序良俗に反することはいけないですよ。でも自分の感じ方から導き出された、たとえば、カップラーメンの湯気の香りをかいで、その時に偶然お尻がかゆくなった。ああ、今の僕は炭水化物の取りすぎなんだな、痒い、うん、山芋って皮膚につくとかゆくなる、おお!そんじゃあスーパー行って、山芋買って、とろろそばでも作ったら、このかゆみがなくなるんじゃないんだろうか。まあーそばを食べる時点でまたもや炭水化物を摂取するんだけれど、かっぷらーめんよりそばのほうが栄養があるからええか。

そばはどうでもええねん。えーっと、そのジェスチャーっていうのは、人間にとっての飢え、五穀豊穣、その国その国にとっての飢えとの闘い。実りをもたらす太陽、雨などの万物つかさどる自然に対して「私は見ているぞ」というサインだと思いました。

太陽をキッと見つめてたとえ苦しい状況に陥ってもきっとどうにかなる。

僕は飢える状況っていうのは本当に自分が何が大切なのかを教えてくれる貴重な機会だと思いました。

太極拳教室では、立って瞑想をします。立瞑想っていうやつです。僕は中国の人はその不毛な大地におしりを落ち着けるところがなく、立っている。その不毛な大地に生える葦になりきってただ、待つ。雨が降るなり、日が注ぐなりを待つ。不毛な大地に生う葦でもそこで生きている。

比べて日本は豊かだなと思いました。でも昨今その豊かさもどんどん傷つけられていると思います。まあー、長い時間かけて人もいなくなっていったら国も何もなくなって、自然が本来の姿を時間かけて取り戻すのは分かっていますがそれは僕がこの世にいなくなった話のことで僕は僕が生きているときのことを考えてどう生をまっとうするかを考えなければならない死活問題ですから、そんな大仰な話をしても、生活保護とかで守られている身でもし生活保護もなく自分が命を生きながらえさせる、もしお金も用をなさない世界になった時に自分がどう生き残ることができるかを考えたら、なんだか、これから自分がやるべきことが見えてきたような気がしました。

日本は台風もあれば地震もある。四季折々、実りもある。でも極端すぎるやしないか。ゲリラ豪雨、梅雨、とにかく僕は日本の季節に対して極端なイメージを感じました。だから、日本の場合ははなっから諦めている。太陽、雨、てんきがどうであれこうであれ思っていても仕方がない、だったら自分の感じ方次第、心の動きをどう安寧に保つことができるか。

日本式っていうのはよく分かりませんが中国の瞑想と違って日本の座禅は胡坐をかいて手を包み込みます。僕は日常的に座禅を組みますが、涙が出る時もあります。鼻水もです。その顔から滴った体液がポタンと落ちる先が、手に設けているお皿。諦めの心で、ただ座り続けて待ち続ける。飢えても飢えても次の実りが来るまではすることは、ただ、待つだけ。

目を閉じてひたすら待つ。腹減った、どうしようもない、腹減った、どうにかなる、うわわ、どうしよ、泣けてきた、死にそうだ、でも心臓はバクバク動いていて体が炎に包まれている。ぐわーっ、待つしかない待つしかない待つしかない。

涙。

その落ち溶けた涙を包む、僕の手のひら。体は、片時も僕を支えてくれる。

どうしようもない天候、状況、世情。

諦めるべく座る瞳に兆す、涙。

心の雲行きに時間ではなくただ体の状態としての「待つ」を捧ぐ。

乗り越えられた、夜。

迎えられた、朝。

どんなに苦しくても、腹減っていても、その苦しみからの終わりは清々しき朝の陽ざし。

生ある時期の苦しさに終わりがあり、それは死をもってしてなされる。

座禅を組んでいると目をつぶって動きたさに耐え、それが終わると清々しい。

これも僕にとっての悟りの一つです。といっても、まだまだ悟りきりには遠く及びませんがね。なーに言ってんだ、かっこつけ。ええよ。

僕は死ぬまで、かっこつけていきます。粋がります。気取りますよ、ええ。

ここで文章打っても寸でもってまた忘れます。自分が何をしていたんだと。

最近、僕は街に出ることが怖くなりました。自分の世界で生きていると見えなかった、目をつぶしていた分耳や肌で見ていた分人々の情報が、僕が人にどう思われているんだろって、障がい者で働いてなくて生活保護でその日暮らしの浮浪者で、社会的にみるとそんな感じかな。

病院に行って僕以外の人を見ると否応なく社会の立場としての僕が立ち上がる。自信のない僕、うつむいた僕、でも障がいというものを提示して特別扱いにあやかろうとする卑しさをはらんだ僕。

僕僕ばっかりで、人のことが考えられない。僕が持っていた「優しさ」って単に自分を悟られたくないがための逃げの手段だったと思うと、僕は裸の王様でずいぶん恥ずかしいことを恥ずかしげもなくやってきたんだと思った。

もう、街に出たくない。単なる自意識過剰。だったら俯いてでも歩けばいい。今度は薬を飲むようになった。体の声が聞こえづらくなった。自分の体をまるでゲームのコントローラーで操るかのような楽しい感覚が、周りの状況をポインターではなくてスクリーンのようにとらえて、そのスクリーンでTPS視点で買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていた日々が、潰えた。

またデイケアに通うようになって徐々に自分の世界がかすんでいって社会の中の自分というものを感じざるを得なくなって、歩き方も、分からなくなってきた。

またデイケアに行かずに孤立したらいいのか。分からない。でもこうしてまたnoteに記事を書く機会に恵まれた。これが、僕にとってどういった意義になるかはわからないが、少なくとも、今過ぎたる時間の分だけの没頭を得られた。

僕は、待つことだけでいいのだなと思いました。食べられるだけでいいのだなと思いました。これから徐々にその準備に取り掛かります。

お米、お茶、畳、着物、茣蓙、傘。

自分の領域に質感を持たせる。自分の習慣をわしずかみする。

よくわからない僕の、よくわからない文章。

では、また


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