大切の仕方がわからない
自分を大切にした方がいい、とはわかってはいても、それがどういうことなのか体感や実感として身についてないから、こういう状態になっている…という事が多いのではないだろうか、と思う。
だからどうしたらいい、という正解もないのだけれど。
正解もなく、間違いがないという価値観を受け入れるのもハードルが高い。
最初に日本語を覚えたら、他の言語で日本語と同じようにコミュニケーションを出来るようになるのには、時間と努力が必要なのと似ているように思う。
いつも誰かに期待して、常に誰かを評価していると、自分も他人の期待に応えようとするし、誰かの評価が気になってしまう。
『自分』の感情も、本当は何を感じたのかを言語化する機会もないまま、大人になって生きていることも多いのではないだろうか。
言葉使いが汚いとか、正しい日本語を使えなくなっているとか、そういうことではなくて、言葉を通して気持ちを伝える、ということを練習する機会がほとんどないのが現実だろう。
日本では特にその傾向が強いから、理路整然として流暢にハッキリとした話し方や、発信をする人を、きちんと自己表現をしている、と思い込み、逆にややこしい人間関係に巻き込まれてしまうこともある。
自分のありのままを尊重されたという土台がないと、なかなかスムーズな言葉のコミュニケーションを身に着けることへ進むのは難しいが、何歳になってもどこからでも自分を受け入れる一歩を踏み出すことはできる。
ありのままの自分を受け入れて、自分も他人も大切にできる、そういった関係性を築くのにも、遅いということはない。
とにかく、気づいたところから少しずつでもやってみる。価値観のひとつを変更するのさえ、勇気もいるしそんなに簡単ではないが、気づけば変われるという説にも、もちろん一理ある。自動化されている習慣の変更には、それを変更するやり方がある。
私も、自分を大切にするなんてことはさっぱりわからないままで、あちこち道に迷いながらも、こうして生きてきた。(私のプロフィールはこちら)
それでも、振りかえってみれば、1年前より今、3年前より今、5年前より今、少しずつ私を受け入れて過ごしている。
困っていることがあっても、それで私自身や私の人生がダメと評価する必要はない。
良かったことを探す前に、まずは全ての評価を手放してみよう。
きっと今目にしている世界は、少しずつ変わっていくだろう。