8月31日の夜に #8月31日の夜に
夏が過ぎていく。
夏の終わりというのは他の季節の変わり目に比べて、
不思議な寂しさを感じる。
暑い陽射しの下、
様々な予定やイベントで賑わっていた日々から、
またいつもの日常へと戻っていく。
祭りの後みたいだ。
祭りが過ぎた時間は、静かだ。
やらなければいけないことや、諸々の喧騒に埋もれていると、その静けさに沈まなくて済むのかもしれない。
今は学校の夏休みの終了もマチマチであるが、昔は8月31日が夏休み終了の定番だった。
また学校が始まる。
逃げられない強制労働が始まるような気持ちで
ただ気持ちも身体も重かった。
ひたすら自分ではない何かで居続けながら学校に行くのもつらかったが、家にいることもその何十倍もつらかったので(プロフィール参照)
夏休みが終わる頃にはクタクタになった心と身体で、死にたいという気持ちに苛まれながら、
死んでたまるか、という気持ちとの葛藤に
疲れきっていた。
なぜ生きているのかわからないけど、
ギャンギャンと鳴り続けるサイレンに追われながら、屍としての自分を確認する。
それが毎年私の8月31日だった。
やがて親となり、子どもたちとの8月31日も配役を変えながら、やりきれない8月31日を繰り返してきたように思う。
今日、通信高校生の娘、大学生の息子も8月31日は特に関係ない。
半世紀近く生きてきて、あれほど八方塞な夏の終わりを過ごさなくて良くなった今でも、どこか胸が押しつぶされそうになる。
そんな8月31日の夜。
この夜、学校や家族から逃げ出したいけど、逃げられずにいる人がいたら、どうかこの一晩を超えて、次の日を迎えてほしいと切に願う。
たとえどれほどボロボロの状態でも、自転車は漕ぎ出せば、また進んでいく。
夏は終わっても、生きていれば人生は続く。
そして、何も変わらないように思えても変わることへと向かう選択肢を選ぶことができる。
だから生きていこう。