生まれてきた意味
生きていることに理由を探している限り、
今この瞬間にいない。
生きているのは『今』
こういう理由で生まれてきた、使命がとか、考えている時間より、
ゴロゴロするでも、今できること、したいことをした方がいいかな、と思う。
生まれてきたことに意味があるとしたら、
やりたいことをやって生きることだろうか。
幸せ、と一口に言っても人それぞれ幸せは違うはずで、誰かと同じ風な幸せを求め、手に入れても、どこか満たされないままの人もいるだろう。
何かとの比較の上に成り立っている幸せは、砂上の幸福に過ぎず、
手に入れたと思ったら崩れ、また次の幸せを求めて彷徨うことになる。
誰かと何かと比較している限り、真の満足を得るのは難しい。
こうだから幸せ、
こうだから生まれてきた、様々な考えが生まれてきた意味を論じ続ける。
生まれてきた意味は、きっとそんな風にいろいろと論じているなかにはなく、感じることでしか理解できず、経験するなかで感じ取ることしかできない。
これだ!のような意味があると、そこにフォーカスをあてて、全てを考えることができるから、一時はいいのかもしれないが、生まれてきたことに意味がなければ、生きていてはいけないような気がしていたら、生きていくのが苦しくなってしまう。
自分の生き方ともいえるあり方。
ただここにいるだけでいい、という感覚に行き着いた時、意味などなくとも生まれてきたということ、誰もが祝福された生命であることがわかる。
世界は私たちが考えているより、ずっと美しく優しいのかもしれない。