もったいないとお得のワナ
「もったいない」
良く聞く言葉。
丁寧に物を使い切るのは美徳であると考えられている。
はたしてそれは本当に良いことなのだろうか。
別段、私も何でもかんでもピンときた物を買って、いらなくなったらバンバン捨てたらいい、と思っているわけではない。
もったいない、を基準に動いていくと、自分の感覚を押し込めていることがある。
ある時、お土産でもらったボールペンが使いにくく、見た目もしっくりこなかった。
だが、私はそれを使い続けた。
せっかく買ってきてくれたのだから。
書けるし、捨てたらもったいない。
だが、物を書く機会の多い私は、そのボールペンを手にする度になんとなく気分が滅入った。
そりゃ、いろいろしっくりきてないのだから当たり前だ。
ああ、でももったいない。
本当にもったいないのは、そうやってガッカリした時間を過ごしていることなのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。
買ってきてくれた人に悪い。
はてさて、そんなに私は善人でなければならないのだろうか。
一体誰のために?
たかがボールペン一本を巡って、気持ちが様々に揺れ動く。
ある時、他の物を整理して処分していた時に、思い切ってボールペンも捨てた。
視界からそのボールペンが消えた時、そのあまりの清々しさに、どれだけボールペンに囚われていたかを思い知った。
私の人生がもったいない事態であった。
基本的に衣食住に困ることのないこの国では、いつのまにか、自分が何が欲しいかよりも、何がお得かどうかを一番に考えてしまうこともよくある。
例えばメンバーシップ制のコストコ。
こんなにたくさん入っていてこの値段!とテレビで見かけるとつい行きたくなってしまう。
もちろん、あの巨大な店内を見て買い物が楽しいという人もいるだろう。
以前友人3人と車に乗り込み1時間半あまり。
ひとりが会員になって、皆でコストコで大量の買い物をする。
帰宅後には、一軒の家では食べきれないモノなどを分けたりして。
ふと冷静になってみれば、そんな労力をかけてまでコストコに行き、会員となった会費4,400円をかけたことがお得なのか、どうなのか…ということに気づく。
普段でも、何かのお買い得、ケーキが安売り、などに飛びついては、結局食べきれなかったり。
先日友人と話ながら、もったいないと、少しでもお得に、といったことに囚われて、私たちの人生に何か良いことがあったのだろうか、といった話になった。
私たちの結論は「ない」だった。
もし、あなたが今の人生に行き詰まりを感じているとしたら。
もったいないからでも、お得だからでもなく、何を自分が求めているのか、何が必要なのかから考えるようにするだけで、少しずつではあるが何らかの変化を感じられるようになるはずだ。
オーバーに聞こえるかもしれないが、もったいないやお買得のワナから解放されることは、自由に生きる第一歩になるはずだ。