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9種体癖の殺気?

 体癖論を学び始め、可能な限りの手段を使って情報を収集していた頃、名越先生の9種の説明でよく出てきたキーワードとして「殺気」というものがあった。

 9種体癖の人は小柄な体格である場合が多く、著名人の例ではタモリがよく挙がる。また黒澤明は182cmだったそうだが、そのこだわりの強さは9種性を説明する際によく取り上げられる。体癖を発案した野口晴哉先生自身も、写真を見る限りでは大柄な印象だ。つまり、典型的には小柄なのだが、そうではない場合もたくさんあり、単純に慎重の高低だけでは判断できない

 そのため、9種体癖はその鋭い直感と高密度の集注(執着)ゆえの「殺気」という抽象的な印象が手がかりになる。もちろんどの体癖でもそれぞれの雰囲気があり、そこから受ける印象は重要な判断材料だが、9種はよりその色が濃いような気がする。しかしその雰囲気は実際にコミュニケーションを取ったり、話しているところを観察したりする必要があるため、私自身は「この人は9種だろう」と判断するのになかなか時間がかかる。「眼光の鋭さ」みたいなものは会った時に感じることはあるので、”とりあえず9種”と暫定で仮説を立てるが、その暫定にしておく期間が長くなりがちだ。

 ではそもそもその殺気とは何かを考えてみると、これが少し言葉にするのが難しい。「常に戦闘態勢」という7種体癖のような常に周囲にアンテナを張っている感じとは少し違い、「暗い工場でひたすら鉄を叩いている無口な職人」のような、うつむいて自分の手元をじっと見つめているイメージだろうか。とにかく一見して友好的な感じがあまりなく、近寄りがたい雰囲気ではあるように思う。わきあいあいと集団の中で過ごすのは、一時的にはできても自らそういう場を作っていくことはあまりしないのではないか。

 9種の集注は何かのコレクションや研究、趣味への没頭に現れた時に特徴的になるが、本人にとってはそれが普通であるため、自覚がない。例えば耳かきを100本くらい持っていたり、自転車やギターを何台も持っていたり、タモリのようにマニアックなことに対してどんどん入り込んでいったりする。だから、職人のように「その道何十年」の人には9種体癖が多い。

 しかしそういう人は普段周囲でなかなか見つからないように思う。本人は普通だと思っているので周りに言ったりしないし、そもそも虚栄心でそれをやっているわけではないので、一人黙々と自分の執着対象にのめり込んで満足してしまう。とはいえ、社会的に受け入れられないこと(ギャンブルやお酒等)にハマってしまうと身を滅ぼしかねない。

 ただ、9種体癖は他の体癖ではたどりつけない境地に立っていることも多く、その点は非常に魅力的だ。どのような集注であれ、ある種の美の様相がある気がするのだ。

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