京都市長選についての、私の態度


  1・はじめに
 
これから書く文章はとても長いです。2万文字以上もあります。脚本家なので4万文字とか日常茶飯事なので、2時間くらいで書き上げたけど(そのあと数日寝かせて推敲はいっぱいしました)。「誰が読むんや」「長すぎる、まとめろ」というご意見もいただくと思いますが、しかし行間を読まれて有る事無い事思われてもかなわんので、行間がないくらい書きます。私の説明不足は書き手の責任ですが、説明過多で「長すぎて読んでない」なら読み手の責任だと思ってます。どうぞ、お付き合いいただける方は頂けたらですし、長すぎるって人は、各章の最後の「この章のポイント」だけ読めばいいです
 
 2・自己紹介
 
 私は、京都で笑の内閣という劇団で作家・演出家をしております高間響と申します。2009年の稽古場の有料化の際に、当時の民主党の市議に陳情に行ったことが縁で、民主系の方とお付き合いが始まり、2019年の京都市議会議員選挙において、立憲公認で中京区から出馬も惜敗、その後も演劇活動の傍、党員として活動しております
 
・この章のポイント!
  ひびちゃんは、4年前に市議選に出た、今は一般党員の演劇人だよ 
 
 
 3・京都市長選においての私の態度
 
 来年2月に行われる京都市長選。私が党員として所属する立憲民主党京都府連は、これまで門川大作市長を自民・公明と共に推してきた枠組を継続し、事実上の後継者である松井孝治元参議院議員を推薦しています。しかし、私たちの仲間であった北区選出の片桐直哉市会議員は、自公と同じ候補者を推すことはできないと、離党表明しました。
 
 この数週間、党と長年の同志である片桐市議との間で平重盛や石川数正のように板挟みで悩んでまいりました。結論としては
 
「一京都市民として、今名前が上がっている人の中では最善の候補であろう、そして一演劇人として、平田オリザ氏の盟友であり、うちの劇団も何度か見にきてくれている演劇好き・松井孝治候補を応援する」
「しかし、一立憲民主党員として、京都府連に対し自公と相乗りをすることについて断固抗議をする」
 
 と宣言します
 
 「いや、自分の応援したい候補者と、党の推薦が一致してるなら、抗議する必要はないやんけ、わざわざ党からいうこと聞かないうるさい奴だと思われるような行動する必要ないじゃないか」と思われるかもしれません
 
 しかし、ずっと自公民相乗り体制こそ京都を悪くしている元凶であると戦ってきた同志を、たまたま松井孝治という僕にとっては素晴らしい候補になったからといって、松井さんでも容認できない仲間もいるのに、黙って応援することは裏切りになります(何より、松井さんじゃなければ、僕も造反していた可能性は高いです)。
 
 それでも、下手なこといって松井さんのダメージになっちゃなあって気持ちもあって、終わるまでは黙っておくかとも思ったのですが、年の瀬になって熱心に「独自候補を」と訴え、相乗りが決まってからとても怒っていた支持者の方が急逝されまして。元国労OBとして、長年社会党ー民主党ー立憲と熱心に支持をされ、僕の選挙もお手伝いいただき、この数ヶ月独自候補を探していた僕らを激励していただいた方です。そして「相乗りは許せんから、次の党の集まりではしっかり言うべきことは言う。そこでの説明に納得できれば松井を応援する」とおっしゃってました。その前に亡くなられてしまって、別に託されたわけではないのですが、言おうと思ったわけです
 
 もちろん逆に、同志からは逆に「内心で松井さんに投票するのはばれないんだから、わざわざ言わなくてもいい。これまで一緒にやってきたのに、ここで党の方に従った裏切り者って思われかねない」とも言われましたが、そういうことでもなく堂々と応援したいのです。
 
 そして、何よりも、僕が今から書くことは、党の批判も含みますが、結果的に雨降って地固まるになって、党勢拡大のためにも、松井さんの勝利のためにもなることだと思います。そして、僕は京都市も立憲民主党も愛してるが、一番大事なのは自分です。いや、書くことによって自分の将来設計にはマイナスになることもあるだろうけども、自分の将来よりも「自分の心身の健康」はもっと大事です。これ以上黙ってると、精神的にしんどいので、吐いてスッキリしたいんや。
 
 この章のポイント!
・ひびちゃんは、松井孝治さんを応援するよ!
・でも、自民・公明とともに、相乗りで、松井孝治さんの推薦を決めた立憲民主党には腹を立ててるよ!
 
 
4・この半年間の経過
 
 現在の私の立場ですが、2019年の京都市議選に出馬後も、立憲民主党を離党せず、昨年の福山参議院議員の参院選など各種の選挙で馬車馬のように働いてましたが、今春の統一地方選は出馬しませんでしたし、現在、京都府連の役職などにはついていない一般党員です。4月以降、片桐市議より「是が非でも市長選には、立憲として独自候補を出したいので、手伝ってほしい」とのオファーを受け、この半年間まさに片桐の右腕として働いてきました。
 
 私は今までの体制、門川市政の全てを否定する気はありません。しかし、新人対決となる今回もまた、国政で激しく対立する自公両党との相乗りの継続を前提として、新たな人選をするのは、京都市にとって、そして全国の立憲民主党にとって、よくないことだと考えており、今春の選挙の公約に、脱・相乗り、立憲独自候補の擁立を訴えた片桐と共に候補を探しておりました。
 
 中でもぜひこの方に市長になって頂きたいという方(これよりX氏と表現します)オファーをしました
 
 京都府内で立憲の党勢が低く、市議は67人中(片桐離党前でも)2人しかいない中で、独自候補は無謀というのはその通りだと思います。私も最初は片桐の思いを聞いても「んなもん、出てくれる人なんかおるかいな」という思いでした。しかし、私もない知恵絞って、京都に縁がある方の著書を読みまくって良い人がいないか探し、X氏であれば、氏のもつバックボーン・知名度・能力・人脈・京都愛などの面において、ミラクルが起こせる可能性が十分にある。例え、勝てなくてもとても素晴らしい方である「X氏を担ぎ出す」ことに成功すれば、全国的にも話題になり良い影響を与えますし、X氏なら今まで選挙に興味がなかった人もガンガンボランティアに来るような人脈がある人なので、選挙を通じてその人たちと仲良くなれば、3年後の市議選にもつながるだろうという魂胆もありました。
 
 また今回は(当時はまだ村山さんになるか違う人かはきまってませんでしたが)最大のライバルは維新と考えると、ではどうすれば維新の政策は取り入れずに維新票を削れるか、それは「維新に入れる人は、面白さを重視している、ゆえにもっと面白い候補を出せばいい」ということでした。X氏は「面白いけどふざけてない(普通面白いやつは大抵ふざけている)」稀有な人で、かつ「面白目的票は自公には少ないので、自公票はあんまり削らない」、最悪勝てなくても維新を削り自公をアシストするなら、よりマシ論で言えば結果オーライというのもありました
 
元々一才面識もないのに、なんとか連絡先を入手し、ダメ元で「市長選でてくれまへんか」と交渉に行ったら(まさにその図々しさが僕の長所だと思います。片桐は慎重な性格なので、私の行動力オバケなところをかってくれたのだと思います)まさかの興味を示していただいたことから、複数の「ある程度、京都の政財界・伝統産業界に精通している知人」にX氏の名前を出し、もちろん、「無理だろうとい」う反応もありましたが、「なかなか面白いのではないか」、逆に「全然政治に興味がない知人」に聞くと「めっちゃ面白い、手伝いたい(友達なのに、僕の選挙にすら手伝ってくれなかったような奴らまで)」という、好意的な反応が多数を占めたことから、学術会やスポンサーになってくれそうな人など着々と応援団を集めることをしておりました。
 
 しかしながら、党内での反応は芳しくありませんでした。理解を示してくれた方もいらっしゃいましたが、多少なりとも検討をするというような素振りすらなく「門前払い」状態でありました。結果的に、ご辞退されたのは、「うちの推薦がないから」ではなく、「急に今のお仕事を投げ出すわけにはいかない」ということでしたが、それでも少しはうちが検討し、片桐や私たちのグループだけではなく、党をあげて説得していれば結果は違ったのではないかと思います。
 
 はっきり申し上げまして、僕は交渉の過程ですっかり、X氏に心酔しているため(今後氏が別な機会に仕事に蹴りをつけ、政治の世界に打って出るのであれば、何をおいても駆けつけるつもりです)その評価は冷静ではないと思ってます。しかし、X氏の名前をあげたら、「その発想はなかった」「そこを思いつくあんたは天才だ」と言われたのは本当気持ちよかったし、そりゃ人間だもの、「自分が京都の歴史を変える」可能性があったなんてこんな気持ち良いものはない。ほんまに、日本の歴史を変えたかもしれないチャンスなのに、門前払いになったのは「要は、誰を持って行っても、はなから相乗りをやめるつもりはなかったんやな(また本気で、候補者次第では検討したのに、X氏だからダメと言ったのであれば、それはそれであまりに私が理想とする市長像と党が求める市長像のセンスが違いすぎて、一緒にやってられねえやと思います)」ということで、ほんまに幻滅しています、
 
 以上、別に全く表になっていない(別にめちゃくちゃ秘密裏に交渉してないわけではなく、それなりに広範囲に言ってたのに、見事にマスコミに察知されなかったんだよなあ。噂話レベルで結局実現しなかった、某アナウンサーの話とかですら新聞に載ってたのに、本当に察知されなかったのか、うちらの動きなんかどうでもいい興味ねえって思われてたのか)話です
 
 片桐は「政治は結果だ」という信念が強いので、途中経過を逐一多方面に話したり、うまくいかなかった話を具体的に表に出す人間ではありません。しかし、僕は「こういう話はあった」てのは、歴史に残さないとならないと思います。
 
 先日、京都市職員として活躍し、私もお世話になっている、梶宏さんが出された「京都市長物語」という本を読みました。戦後、公選制になってから21回の市長選、その全てに、立候補した全員どころか、こういう陣営が、検討したけど取りやめた、というところまで書いている本でして、僕はもし、4年後にこの増補版ができたら、自己満足でしかないかもしれないけども、「立憲民主党の若手はも独自候補を模索し(もちろん御迷惑がかかるからX氏の名前は書けないけどね、まあ梶さんには具体名お話ししてるけどそこは梶さんだって書かないだろう)果たせず、市議団長だった片桐直哉は離党した」という記載がないと、死んでも死に切れないし、遠い未来の京都市史を研究する人が「ああ、自公民体制ってのは(二之湯さんが出た以外は)、何十年と揺るぎなく続いたんだなあ」て思うのと、「2024年選挙から揺るぎが出てたんだなあ」と思うのでは、違うはずなのです。僕は史学科ですから、「記載すべき歴史は残す」というのが大事だとわかってます。ネットに残すだけじゃ甘い、サービスの停止でいつ消えるかわからん、この文章は印刷します。いや、紙は劣化するから、石板に刻もう
 
 
 この章のポイント!
・片桐市議は、決して代案もないのに、相乗りは嫌だとワガママで離党したわけじゃなく、ちゃんと具体的に候補と交渉してたんだよ 
 
 
 5・なぜ今回の相乗りに抗議するか?
 
 ご存知の通り、立憲民主党は、国政において自公両党と激しく対立していますが、地方議会においては、同じ候補者を推すことはあります。私は、その全てを否定するわけではありません。基本、自公のことは嫌ってますが、別に構成員全員悪人ではないので、話のわかる付き合いのある人もいますし、直近で言えば、八幡市長選。あそこで相乗りしてることに、不服はないです。なぜなら、とうの八幡市会議員の方が、「川田のしょこたんで行く」と言って当選させただから、八幡市民でもない党員があれこれ言うことでもないからです。
 
 しかし、京都市長選は、市議団長が嫌だと言ってるわけで、それを国会議員が押し付けるってのはどうなんだという話です。僕は覚えてるぞ、4年前、府連大会で、「なんで、相乗りを続けるんだ」って怒ってた一般党員の方の質問に、「市議団が決めたからです。我が党はボトムアップ政党ですので、国会議員が自公とやりたくない押し付けるわけにはいきません」て言ってたぞ(まあ、実際は市議団内でも片桐は苦渋の我慢、小山田さんはやってられねえって出て行ったわけだけど)。じゃあ今回は逆の結論にならないとおかしいじゃないか
 
 片桐の言う、長年非共産(最近は非維新も)のために、共産提案のことは必ず否決し、しばらくして似たような提案を決めるという、何をやるかより誰がやるかを重視する、しょうもない相乗り体制が京都市政の停滞を招いているということについては、僕も彼から説明を受け納得したからこそ手伝ったわけですが、しかし当選したことがないから、100%正しいかも分かりません。僕は、片桐の「どんな候補者であったとしても、自公と一緒ならやらない」というのは、それはそれで極端だとは思ってて、独自候補を出せなかった以上「自公と一緒にやるのは嫌だけど、松井孝治という選択」は、京都にとってベターだと思い応援してます。では次に何が問題かに続きます
 
 この章のポイント
・相乗りが絶対ダメだというわけではないけども、市議の意向を国会議員が拒否して相乗りするのは、ボトムアップ政党としておかしいよ!
 
6・先に枠組みを決めて候補者を選ぶことが、京都市のためになるのか?
 
 自治体の市長は、党派でやるものではない。素晴らしい候補者であれば、どんな枠組みから推されていようが、ベストな市長を選ぶべきというのはその通りです。それこそ、僕はX氏の擁立に成功してたとして、もし自公が一緒にやりたいと言ってたらウェルカムだったし(あまりり知られてませんが、16年前の門川市長の擁立プロセスがまさにそうです。民主党主導で門川市長を決めた後に、自公が乗ってきたのです)、もし松井さんが逆に、例え蛇蝎の如く嫌ってる維新側から出てても応援したでしょう。僕が独自候補を探したのは、最初から相乗りあり気で人選するのは間違ってるし、相乗り体制のままじゃロクでもない候補者しか出てこないだろうって思ったからで、結果的に松井さんというロクでもある候補者が出たんだから、嬉しい誤算だっただけです。
 
 しかし、それと最初から「自・公・立」で探してよかったねってのは、結果オーライなだけで全然違う。「松井さんという素晴らしい候補者が名乗りをあげて、それにたまたま3党が集まった」ってのと、「まず3党一緒にやることを決めて、のれる候補者を選びましょう」では全く違う、後者の選考プロセスは全くもってナンセンスです。
 
 そうではない市民の手で選んだだというようなアリバイづくりとして「文化都市京都をつくる会」なるものが推薦をしたんだというプロセスが取られたようですが、あんな茶番はないでしょう、10月11日に突然現れて、こういう条件の候補者が相応しいと思うて提言書を出して候補者も決まらないうちから、この提言書に賛同してねと言って、それを各党が承認する。んなもん、最初から、3党でやるって決めてるじゃないか、上記の通り、門川市長初当選時のプロセスより、はるかにひどい。プロセスというよりプロレスです(とかくとまた塩村さんみたいに炎上してしまうかもですが、僕はタイガー・ジェット・シン伊勢丹襲撃事件とか、WWEのような胡散臭い、プロレス試合ではなく、茶番ぽさが好きなプロレスファンなんだけども)
 
 しかも、市民の会というけども、一体どこで募集していたというのは、「市民の会」というなら、最低限、市民全体「市長に相応しい人を選ぶ会を作りたいんで、自由に入ってきてね」と募集をかけるのが筋でしょう。あそこに入っている19人、それぞれ京都のために活躍をしている経営者や学者の方々であることに敬意は持ちますが、彼らを京都市民代表と認めた覚えはありません。大体、文化といいながら、文化人は能楽師の金剛さんしかいないじゃないか。僕は、福山和人さんを推してる「つなぐ京都」も、本当に「無辜の市民が集まってるんです」とは言えない、バックボーンを持った人が入っている集まりだと思ってますが、まだそれでも本当に無辜の市民もいるし、「つなぐ京都」は「参加したいです」と言えば入れるわけで、募集してないどころか問い合わせ先すらない(実際、なんなら「俺も入れてくれ」と言おうと思ったのに、問い合わせようがなかった。Kyoto演劇フェスティバル最優秀賞や、国際コメディフェスティバル優秀賞の僕なら、文化都市京都の委員にふさわしかろう。今からでも入れろ)のでは、なんの正当性もない
 
 この章のポイント!
 ・人選より、先に枠組を決めるのは全くナンセンス
 
7・相乗りは、立憲民主党にとても大きな弊害が出ている
 
 では、考えが違う政党と最初から一緒に候補者を探す(維・国・京だってあいのりじゃないかっていう意見もあるが、ありゃ考えが近いじゃんと思います)のが何が悪いか。 端的に表すのが下記のデータです
 
 

 これは、2022年の参議院比例票と、市議選の得票結果である。参院選に比べ、市議選は10%程度投票率が下がるので、得票が20%程度下がるのは致しかなたない。しかし、結果はそれどころではない
 
 これを見ると、北区の片桐市会議員以外、当選した平田市会議員含めて、投票率の減少以上に票が取れてない。左京区、中京区、右京区に至っては、5割を切っている。なんでそこまで取れないのか。「立憲が弱いから」どころではない、「国政で立憲の票すら取れない」のだ。そりゃもう、国政では対自公に期待して立憲に入れてる層も、市議会では呆れて他党に入れてるってことじゃないか
 
 実際「独自候補を立てて勝った横浜」や「負けたけど独自は立てた福岡」の市議選と比べると一目瞭然で、横浜や福岡はちゃんと立憲の票は7−8割は固められてるわけです
 
 ではなぜ片桐だけはちゃんと8割近く取れてるのか、それは選挙公報に「独自候補を出す」て書いてたからじゃねえのと思うわけです(次に67%固めた南区の白塚さんも街頭では盛んに独自候補を訴えてました)
 
そうすると、こう反論もくるかもしれません。「片桐は現職だから強いんじゃないの」それはあります。そりゃ地方選は現職有利です。しかし、「片桐は党に関係なく地元に浸透してるんじゃないの」というのは、側にいる僕から見ると違う
 
 片桐は大卒で超難関試験である政策秘書試験に合格するほど、市議会でも屈指の政策通で、僕らの政策勉強会でも頼りになるリーダーですが、はっきり言って「コミュニケーション能力は低い」、決して頭が良すぎて嫌味とかではないですが、喜怒哀楽が少なくいつも冷静沈着で「熱い人」ではないので、「人当たりのよさで票を稼ぐタイプ」では全然ないのので「党と関係なく個人ファン」が多いとは言えんのです。現に、党員集めや集会の動員も集められてないし。出身学区や事務所がある商店街では、しっかり地域活動をしてますが、なにぶん、北区の中では山間部を除くと人口が多い学区ではないので、そこをガッチリ固めただけでは当選ラインにはいかない
 
 我が党は地方選は党ではない、候補者のキャラクター、活動だというのがこれまでの常識にとらわれてます。なので動員を集められない片桐は、「個人の票なんかないだろ、党名だけで勝ってるのに離党するとは何事だ」と思われてるでしょうが、むしろ「党の票を8割も固められてる」ことを見習わねばならんのです(ちなみに僕も19年では3ヶ月後の参院選でとった票の45%にしか固められませんでしたテヘペロ)。「党より個人」てのは、現在だって、選挙区ひとつ、定数二桁、無所属の多い一般市町村選挙はその通りだと思います。
 
しかし、定数の少ない都道府県議選、政令指定都市選挙は、もうそういう時代ではない、実際には「本人の属性・努力」より「政党のイメージ」が圧倒的に強いということが、各種データで示されています。様々な調査でも、投票所に行くまで候補者の名前など知らず、投票台に記載された候補者名と政党を書かれた紙を見て、初めてその名前を書くという有権者がかなりの割合がいるという時代です。現に、投票1ヶ月前に出馬表明し何も活動していない維新候補が当選する時代に、いつまでも「個人の努力、個人の努力(もちろん個人の頑張りはして当然ではあるが)」と、個人にだけ責任を負わすのは、全くのナンセンスです。
 
というか、もちろん個人の努力は大事だとしても、じゃあ個人の努力でなんとかなる人をスカウトできてるのかって話である。例えば山科の梶原府議とか、下京の神谷市議などは、抜群のコミュ力や活動量などマジで「超人」と呼ぶにふさわしい人だけど、それほどの人が立憲を選ぶメリットがあるか?なら、無所属の方がいいじゃん。実際に、今回中京区で出た近藤さんは、地域でずっと活動してきた(何せ、地元出身ではないが入婿なのだ。あのプライドの高い町衆からしたら「偶然町衆に生まれた」より「能力を認められて、町衆に入ることを認められた入婿」のが上だろう)人だ。実質落下傘だった僕より、よほど(僕が上回ってるのは年齢の若さとルックスくらい)バックボーンもあり、ほぼ演劇人で成り立ってた高間事務所違い、人手もちゃんとしていた候補者だったのに、4年前の僕より500票以上も落とした。こんなの、ほとんど近藤さんの責任じゃなく、党のせいだろう、
 
よしんば立憲好きの超人がいたとして、そんな超人を「各選挙区に揃える」など不可能だろうし(実際に19−23年の間に探してなかったわけではないだろうに揃えられなかったのが23−27年に見つかるか?党の状況がすごく好転すれば見つかるかもだが、党が調子がいいから来るような人が、本当に党の綱領を愛してくれるかは怪しい)、多様性を大事にする我が党が、「超人しか当選できない」のじゃまずいだろう。「コミュ力が低い、地域でも孤立してる、けども社会を変えたいという意欲も能力もある」人が当選できないのでは、人材の多様性もない。それこそ維新のような「結果が出ないやつは努力してない奴だから自己責任」て世界観の政党ならそれでもいいけども、「努力が出来ない人も生きられるお互い様」の世界観の党是の党が、候補者は「勝手に努力してね」じゃ矛盾している(マジで頭にきたのが、とある候補者が集会の動員が全然できてなくて「それでよく立候補しようと思いましたね」て嫌味言われてるの見た時で、「人生かけて立候補してくれた人にそりゃねえだろう、そんな梯子外しするなら、面接でこれしか友達がいないなら当選は出来ませんって落としてやる方が優しいだろ」と思ったわけです。党の力に頼りっぱなしで努力しない候補者は候補者失格だが、今の「候補者の質に頼りっぱなしの党」もまた党の存在意義がない)
 
何より本当にショックな話だが、この春の地方選、結構ネットで注目を集めたとある地方議員候補(無事当選)の人と、お会いする機会があったのだが、僕のことを知ってて「つい最近まで京都にいて、実はその地域には落下傘だった」と聞かされたことだ。これは本当に悲しかった。その人は本当に高いポテンシャルを持ってて立憲を愛して(増原選挙、福山選挙でも活躍してた)る人のに、「京都では無理」て別な地域に言ってしまってたのである。
 
 
 「現在2議席しかないのに選挙になるのか」というのは逆である「戦っていないから、いつまで経っても2議席しか取れていない」。これでは、個人として強い候補が現れない限り、片桐の離島で伏見の1議席が限度である。そして、そんな状況で個人の力で勝てる候補がわざわざ選ぶ必然がない。次の選挙の最悪は「伏見以外全滅」どころか、「(平田さんしか立候補できなくて)全員当選で反省のない祝勝モードになる」ことである
 
 この章のポイント
・データを見る限り相乗りを続けているから、市議選で惨敗していると思われる。いつまでも選挙は候補者の質と努力だって超人が来るのを待ってるのはナンセンス
 
8・独自候補では勝てないというが、そもそも勝つ必要があるのか?
 
 ここでよく言われるのが「勝つ候補じゃないとダメだ」と言うことである。
 
 私は、X氏が勝てない候補だと思ってオファーしたわけではないが、「他の候補者から削る」とより「そのフレッシュさから。前回投票した46万人以外の、今まで選挙に行ったこともないような人新たに15万人くらい新規投票者を増やしてそこを取る」というタイプの人でした。じゃあ、そんなミラクルがどれくらいの確率で起こせたか?1んなもん、風吹かず撃沈・惨敗していた可能性の方が高いでしょう。こっちも騙して出てもらうわけに行かないので、はなから「多分負けます。それでも出ることに意義があると感じたら出てほしい」と交渉しました
 
 で、要は「それの何が問題なのか」と言うことなのです。「市議が2人しかいないのに、勝てる状況ではない」と言うのはその通りだけども、「勝てなくて何が悪いか」をサッパリ説明してくれないのである。それこそ7で示したような状況でさ、負けても戦った福岡のが結果出してんだから(次出るかはわからんけど)、元候補者である僕や白塚さんや島内さんは、自分らが当選するためには独自候補だす方が合理的じゃん
 
 そりゃあ、現職の「市政野党であるより、市政与党である方が政策が実現しやすい」てのはわかる。が、支持者にとっちゃ、知らんがなの話である。もちろん僕は、多分一般的な支持者よりは、色んな要望を陳情したことがあるけども、それらが野党だったら届かなかったのかい?って話である。
 
 いや、実際には、僕は当選歴がないから知らないだけで、歴然とした差があるのだろうけどもさ、少なくとも現職でも片桐はそれをよしとしなかった訳だし、当たり前のように「勝てないです=だから出しません」と言われても、「なぜ勝てないのがまずいのか」説明しない理由になっていない
 
 そもそも支持者が「独自候補を出した上で勝ってくれ」とまで贅沢な願いをしていると思ってるのが間違いである。「負けてもいいから、旗を立ててくれ」と言っているのだ。大事なのは、勝つことではなく、「戦ったというカタルシス」である。
 
 そもそも立憲民主党という党じたいが、2017年に希望の党によりリベラル派が排除されるという大変な事態になった時に、座して死を待つのではなく戦って死ぬつもりで作った党ではないか。あれこそ、負けてもいいから戦うというカタルシスで、まさか結党当初に希望を抜いて野党第一党になれると思ってた人なんか誰もいなかったはずだ。
 
 そう書いてはいるが、僕は「政党にエモさを求める支持者」はよくないと思っている。「実際に幸せにさせてなくても、ハッピーな気分にさせる」てのは、芸術とか宗教の役割であって、政治はカタルシスなんかより本気で不幸を減らしてナンボだ。その面で、僕は、維新もれいわも参政党も旧N国も、支持者を実際に幸せにさせるなんてことはなく、ただエモさによって、支持してればハッピーと高揚させてるだけのロクでもない(自民の方が、大多数の国民は見捨ててもまだ支持者だけでも実益を与えようとしてる面ではマシとも言える)連中ばかりの中、立憲は「結党以後は、支持者のカタルシスより真に国民のため」を追求してることを誇りに思ってる(だから、結党時のエモさだけで支持者になったような人らは、カタルシス以外何もないれいわに支持を移してると思います)
 
 しかし、「カタルシス軽視」どころか、「支持者は、市長選において負けてもいいから旗を立てるというカタルシスを求めている」ということ自体気づいてないのではないかという反応は本当にまずい
 
 ちゃんとその要望自体受け止めた上で、「でも、総合的に判断して出せませんでした」って謝ってくれりゃあいいわけで、が「そもそも勝てないんで出す気はありません」じゃ、神経逆撫でしている。ちゃんと「負けてもいい」て支持者がいることに気づいた上で態度を示すべきではないだろうか
 
 この章のポイント!
・「負けてもいいから、独自候補を出してほしい」という支持者に向かって「勝てないから立てられません」というのは説明になっていない。「なぜ負けてはいけないのか」から説明しろ!
 
 
9・立憲が独自候補出すと、維新や共産を利するというのは本当か?
 
 しかいs、負けてもいいて意見には反論が来ます。もし独自候補を出して票が割れ、「維新市長や、共産市長が誕生したらどうするんだ?」
 
 「それでも構わんと言って他党推薦候補に投票してる支持者も多いのだから、まずなぜそれがダメなのかを説明しきれてないやん」なわけですが、そこを書くと長くなるし、維新を避けたいってのは同感ですし、共産市政だとどうなのかってのは2002年に京都に来た僕は、蜷川府政がどうだったかなんてのは全くわからんので、それらの市政は避けるべきということが正しいで前提で書きます。立憲の党益のために無理に候補者を出し、京都市のためにならない結果をもたらすわけにはいかないというのは、反論の余地のない正論です。僕は「立憲民主党員歴」は5年、京都市民歴は21年、「立憲」と「京都」なら京都のが大事です
 
 が、だからこそ独自候補を出すべきなのです。共産・維新より、自公候補のがマシとして、自公候補をアシストするためには、組むよりも独自候補を出した方がいい!なぜか?
 
 前回の市長選、立憲支持者のうち、自公民推薦の門川市長に入れたのは25%、共産れいわ推薦の福山和人氏に45%、第三極系(前回は維新推薦ではなかったけども今回はそうですね)の村山祥栄氏に30%流れたのです。
 
 これを素直に見れば、前回の市長選だいたい46万人いて、うちの支持者は7%なのでだいたい32000人くらい投票したのです。そのうち門川市長には8000票、次点の和人さんには14000票くらい入ってるのだから、うちが独自候補を出した方が、その32000票はうちに入って、門川21万から202000票に和人16万から146000票、むしろ自公系市長と次点の差は6000票広がってるやんけ。という話なのです
 
 実際はうちが独自候補を出した時に、うちの支持者が他党に流れたり、他党の候補がうちに流れたり、当然うちの候補も無党派からも取れるだろうから、無党派の取り分は変わってくるので、そう単純なことにはならんのですが、しかし前回だけじゃなく少なくとも、この何回かの市長選、知事選ともに「立憲支持者は、例え相乗りを推薦しても、共産系(維新が出た場合は維新系の方にも)の方に多く票が流れている」出口調査なんてのは、もうずっと続いているのです。 
 
 この章のポイント!
・立憲が独自候補を出すことで、共産系・維新系が漁夫の利を得ることはない。むしろ、自公アシストになる
 
 
10・推薦を出したところで、推薦候補に票が行くわけではもない推薦なのに、なぜ多くの支持者を失望させてでも、自主投票ではなく推薦をするのか?
 
 上記を、早とちりする人は「支持者の願いを聞いて、共産と組むべきだ」という人もいるかもしれませんが、僕はそうは言っていない。逆に和人氏入れていない層=共産党は絶対にダメって層も55%もいるわけですし。逆に「党の支持だから、本当別な人がいいけど、仕方なく門川さんに入れた」て支持者も聞いたことがありません。多分、25%の人のほとんどは自主投票でも門川さんに入れたでしょう。となると、結局自主投票になっても、似たような割合になるのではないかと思います。なら自主投票のがしこりが残らんのではないかと。僕だってねえ、党の推薦なく松井さんを応援してるのに、一部の方からは「勇ましく独自候補言ってたのに、結局党に従うのか」て責められてるんだから、自主投票の方が堂々と「松井さんが好きやからやんねん」と言えていいわい。
 
 問題は、結局支持者のほとんどが党の推薦の通り投票していないのに、それでもなお推薦をするのかということです。そりゃまあ、「推薦してくれって要望が来たから」でしょうが、いざ推薦しても支持者の4分の1しか固められず、対立候補に行く票の方が多いって、失礼な話ではないですか。なんの意味があるのか。しかも2議席やぞと、2議席だから選挙は戦えないといけど、僕が候補者なら10くらいあれば大変ありがたいありがたいだけど、2議席じゃあねえ。当選した後に、与党ヅラされてもなんだかなあ、いうこと聞く必要あんのかね、と思うけど、それでもしがみつきたいのかしらと思います
 
 答えに近いのは、市議会の2議席よりも、前回門川さんに入れた25%はおそらく連合さんとか、単純な票数以上に、実働部隊とか、寄付してくれる経済界の人たちとか頼りになる人たちが多いからではないかと推測します。実際に府下の首長選では、連合は役に立つけど、立憲自体はいらんと、連合推薦はついたのに、立憲には推薦依頼が来なかったなんて情けない時もあります
 
 僕は連合にはお世話になってるし、働く者として(いやまあ、劇団では経営者なんだけど)連合は大切ですから、立憲は連合と手切をすべしという意見には与しません
 
 ただ、連合以外の、作る会にいるような経営者とか各種団体とかが、果たして僕と利害が一致する人たちなんかって話でさ。推薦決めた人らはお付き合いがあるのかもしれないけど、僕の選挙に来てくれたわけじゃないし、一党員に戻ってもますます会うわけじゃないのに、オール京都ですって言われても、「僕はそのオール京都に入ってんのかよ」ってなるじゃないですか。
 
 それなら、元々の僕の支持者は断然独自候補だすべしって人のが多いんだし、7章や8章で書いた通り、独自候補を出した方がいいじゃんとなるのは当然で、黙らせたいならオール京都の人たちも紹介してくれよと思うわけです(もう選挙に出なくたって、チケット買ってくれる友達になってくれるだけでもありがたいし)
 
 僕は去年の福山選挙血眼になってポスターはったけど、はっきり言ってあの「京都のことは京都で決めよう」てポスターはさびしかった。18歳で京都に来て、京都のが長くなったけど、やっぱり200年住まないと京都人になれへんのか、発達障害で人の言葉の裏を読めなくて、ストレートに受け取る僕は京都人になれへんのかと
 
 でも、京都って奈良生まれの桓武天皇が興して、名古屋生まれの秀吉(大阪のイメージが強いけど、京都を御土居で囲み現在の街並みにしたのは太閤殿下ですからね)が整備し、初代府議会議長は会津生まれの山本覚馬、初代市長は奄美生まれ(しかも愛加那の子ってことは、純ヤマトンチュトイよりハーフの)西郷菊次郎と、京都の外の人の力も合わせて作ってきた街だし、戦後公専制になってからの京都市長は9人中7人が他府県出身(桝本市長は満州出身で4歳の時に帰国後はずっと京都なので、実質京都と言えるが)なのよ。それでも、「オール京都」「オール京都」って言って、なのにその枠組には(僕だって個人的には好きじゃないところだけど)特定の政党は入れないてのがすごく気持ち悪い
 
 という中に、立憲も入ってて、離脱することが許されない雰囲気はなんだかなあと思って寂しくなります。
 
 また、盛んに言われる府市強調ってのも、八幡でも川田のしょこたんを「唯一西脇知事と連携する候補」って宣伝してたけども、僕からしたら「西脇さんは、自分の意中の候補が市長になったら連携しないような了見の狭い人です(そんなわけはないと思うが)」と言ってるようで、宣伝になってんのかいなと思うわけです(そして維新大嫌いの僕でも、舞鶴の鴨田市長の排除の件はひどいと思ってます)
 
 じゃあ、もし次の府知事が維新系になったり、共産系になった時に、そうなったからには府下の市町村長、全員府市強調のために維新系に入れ替えましょう、共産系に入れ替えましょうっというのかいって話じゃないか、そんなわけないやないか
 
 この章もポイント
・多くの支持者の意向よりも、オール京都体制のが大事ってのはなんなんだ。府市協調できないとダメってのも、なんでダメなのか説明受けてないぞ
 
 
 
11・じゃあ、僕はどうするのか?他の候補者について
 
 とつらつら書いたわけですが、じゃあ相乗り候補以外を応援してくれよというお誘いは、まあ来ないわけではないんですけども、そうしたいかと言われるとそうではないんですね
 
 まず二之湯さん。僕は彼のYouTubeで語った、相乗り批判に関しては全面的に賛同します。国政で激しく対立しながら、自公民で固まる矛盾、それが京都を停滞させている。それに意義を唱え、自民党を愛するからこそ離党し、組織もほぼない中、それでも戦う勇気はとてもかっこいいと思っています。
 
 ただ、自民党出身の彼にとって「相乗りはいけない」てのは=「立憲となんか組めるか」って意味ですから、僕が彼を応援するのは明らかに矛盾ですし、彼にもありがた迷惑でしょう。実際、彼の政策は僕は飲めない。正直、構図が決まるまでは、「共闘しないために共闘する」という禅問答みたいな提携はあり得たわけですし、オッズ的には応援すると一番うまい(他の3陣営はしっかり組織がありますから、僕の応援など雀の涙にもならないですが、二之湯陣営だとありがたがってくれるかもしれないので、当選した時は威張れる)ですが、政策が全然違うんだからそりゃまあ無理ですわな。何より喋ったことがないので、どんな人かわかりません
 
 次に村山さんですが、僕は村山さんのYouTubeは面白く見てまして、彼の独創的な発想力、発信力はとても素晴らしいと思います。実際お話ししたこともありますが、「京都市を良くしたいという気持ち」は本物だと思います。
 
 というより、それが良い意味でも悪い意味でも(診断もしてないのにこんなこと書くのはマジで良くないのですが)「京都市をよくしたいということにしか興味がないサイコパス気質な人」に感じたのです。youtube見てもわかると思うのですが、めちゃくちゃ早口なのです。「市政に熱い思いがありすぎて、言いたいことがありすぎて、聞く側の感情を顧みずに捲し立ててる感」をとても感じました。そうです。私もそういう似た気質なんですよ、言いたいことがありすぎるから読み手の気持ちも考えないでこんなに長文を書いてる。一緒です
 
 サイコパスっていうと、猟奇殺人鬼みたいに思われがちですが、サイコパスで犯罪者になる人は別に普通の人が犯罪者になる率と変わりません。「人への気遣いとかがあまりできないけど、自分のアイディアをガンガン実行する」てのは、得意分野に能力を発揮すれば、凄まじい力になります。僕にとってはそれが演劇だし、村山さんにとっては市政改革でしょう。ですので一市議としては素晴らしい議員だと思います。
 
 しかし、トップとなると、その一心不乱ぶりは怖いのです。別に、見た目の印象ではなく、リクルート出身らしい「能力の高い人間が軍隊式にガンガンやる」という体育会系体質(実際、京都党学生部の軍隊ぽさは、話を聞くだけで背筋が凍る)と、その価値観に基づく政策は、とにかく緩いのんびりな僕(笑の内閣は、稽古中リーダーである僕が一番ダラダラして、一番ふざけてて、劇団員から、いい加減にしろ、死ねと言われる劇団である)はきつい。なんというか、維新推薦であることで、「維新系だから」という評価をされてますが、良い意味でも悪い意味でも「維新の言いなりになるような人」ではないです。当選しても早晩、維新とは喧嘩すると思います。それが僕個人や市民にとって良いか悪いかはわからんけど
 
 うちの劇団も昔は、演劇馬鹿で参加者への気遣いが一切できない作家・演出家の僕が代表を兼ねて軋轢ばかりでしたが、気遣いの人髭だるマン(ふざけた芸名ですが気遣いの人です)が代表になってだいぶ落ち着きました。ハラスメントが問題になる現代、リーダーはガンガンやる人、自身の能力より、いかに職員の皆さんにやる気になってもらえるか、栗山監督、新庄監督のようなとにかくモチベーションをあげる人が良いのではないでしょうか。白米を禁止するような人よりは
 
 魅力以外何もない劉備とか、そうせい候毛利敬親のような市長に、良い意味でも悪い意味でも意味でガツガツした村山さんが副市長でガンガン改革してくはまさにベストタッグだと思いますが、村山さん自身がトップを張るような時代ではないと思ってます。
 
 で、福山和人さん(福山さんとだけ書くと哲郎さんとややこしいので和人さんと書きます。福山和と、福山哲みたいにすると、野球で同じ球団に2人同じ苗字がいる記述みたいになるし、Kー福山、Tー福山にするとよりオリックスっぽくなるし)。僕は決して反共主義者ではないし、政策的には一致している部分はそこそこあるし(しかもよく見ると共産党べったりでもなく、むしろ立憲のが近いんじゃないって政策も多い)、出演者が知り合いだった縁でうちの劇団を見に来てくれたこともあってお話ししたこともあり、かなりの人物だと思ってます。話したこともあるけども、なかなか気さくなおじさんだなと思う
 
 そうすると「立憲はなぜ福山和人に乗らないんだ」と言われるわけだが、それこそが一番のれない理由である。つまり本人の問題ではなく、あまりにも一部の支持者が僕らに敬意がなくて、これでは一緒にやれないのである
 
 僕自身は容共でも支持者には絶対ダメだという人もいるわけで、共闘をその人たちに「許してもらえなくても黙認」までしてもらうのは、本当に針の穴を通すような繊細さが必要なのに、簡単に「そんな奴らなんかきって、おれらと組め」と言われちゃあやってられない。あんたの方が力があったとしても、元々のつながりを簡単に切るような不人情が出来るかいだ
 
 今回だって、そもそも僕らが「脱相乗りしたい」てのは、「自公陣営を抜けて共産党と組みたい」てわけではなく、「独自候補を立てて戦いたい」て意味である。もちろん4年前だって「なんで相乗りするんだ」と僕を罵倒した人は=国政野党で組めって人もいたが、「別に共産党と組めと言ってるわけじゃない、せめて独自候補も出せ」て人の方が多かった
 
それを勝手に前者で解釈し、独自候補だとわかるや罵倒されるということもあったし、その上で「リベラル同士で共倒れしないように、調整を」となった場合、絶対に拒んだわけではないだろうが、「先に和人さんが立てたんだから、X氏を立てて邪魔するような真似はするな」みたいなことを、複数の方から言われたんですね。いや、対等な交渉をした結果引くならともかく、早いもん勝ちは違うだろう
 
 
 今回は保守乱立で、和人さんにチャンスがあると見ている人は、和人さん陣営にも敵方陣営にも一般ウォッチャーにも多いが、私は「可能性はほぼない、おそらく3位以下」になると予想してます。和人さん漁夫の理論は、前回の16万という票が維持出来るという前提で考えている人が多いのですが、共産党の党勢低下と、そもそも前回は「反門川であれば、和人でも村山でもどっちでもいい、事前調査で2番手の方に入れる」て層がそれなりにあったわけで、そうならない可能性が高い(今回も事前に2位以内に入れば、それらの層は入るが、そうなると反共意識が高まって雪崩を打ってもう一人の2位以内候補に入る。前回だって、直前までは三つ巴だったのに、調査で接戦になった結果、村山さんに入れるはずだった層が、直前に共産阻止で門川さんに流れ、予想以上の大差になったわけだし)。これ、和人さん自身は出馬会見で「今回確実に取れる票は9万票、前回の7万は浮動票」と正確に分析してはるんですね。流石に9万までは減らさないと思うけども、そこら辺の見積もりが相当甘い
 
 で、今回やった戦略が「共産党の推薦を受けない」てことなのだが、正直「和人さんが今回初出馬」であれば、その戦略が功を奏し「当選した可能性はあった」とは思う。しかし、過去2回共産推薦で出てその払拭はもはや無理だろう。今回、フレッシュで共産色がない候補者を出してれば十分勝負になったろうにと思うと(なまじ、和人さんが素晴らしい人すぎて、支持者は「今度こそ」ってなっちゃってるんだろうが、前回共産推薦だって覚えてない人はそもそも4年前に出たことすら覚えてない。僕の友人なんか「京都市長選に百田さん出んの」って、いくらスキンヘッドにしたからって失礼すぎる間違いしてたし)よそのこととはいえ、もったいないことをしてるなあと思う
 
 流石に二之湯さんよりは順位が上になる可能性はかなり高い。二之湯さんは供託金没収の可能性すらあるが、和人さんは0だ。しかし、「勝つ可能性」だけなら、二之湯さんの方があると思う。二之湯さんには、松井・村山共に何かが起きた時、ミラクルで浮上する可能性はあるが、何かが起きた時に行き場を失った票が、和人さんは選択肢にならない
 
 それはバリバリの共産党の人たちは、わかってると思うのです。共産党の人は、「負けてもいいから戦う」意義もわかってるし、むしろバリバリの共産党の党員の人の方がは、こっちのメンツもわかってくれて、両者のメンツが立つように、「まあ高間さんも立場もあるから、表立って和人さんは出来ないだろうけどさ、うまくやれないかな」みたいに言われました。むしろ国政では必ずしも共産党に入れない、松竹問題(男はつらいよやってた映画会社じゃない方ね)なんかはめっちゃ批判してるタイプの人は、立場も考えずに責めてきて、これがしんどい
 
 ですので、和人さん自身に恨みは全くないのですが、もう今回は陣営は惨敗して、現実を知るべきだと思います。が、なまじ和人さんは良い候補者なので、今のままだと3位以下は3位以下でも、いくらなんでも10万割れのような反省するレベルまでの惨敗はしないだろうってことも厄介です。「勝つための戦い」じゃなく、「自分たちがしたい戦い」をするとどうなるか?先日のM1でファーストラウンドであれだけ面白いネタをしながら、決勝で本人たちがやりたいネタで滑ったさや香を見れば明らかです。いやさや香は、負けてもいいからやりたい戦いをやったんだからいいんです。彼らは「やりたい戦い=勝てる戦い」と思っている、ザッケローニ時代の日本代表と同じことに陥っている。付き合ってらんない
 
 寺田浩彦氏のことは知りません
 
 
 この章もポイント
・二之湯、村山、福山、3氏とも評価できるところはあるけども応援はできません
 
 
12・松井孝治を応援する理由
 で、松井さんです。散々書いているとおり、今、松井さんを応援している枠組のうち、一緒にやりたくない人はたくさんいます。この枠組で、ずっとやってきたからこその、京都の閉塞感どうしようもなさ、片桐への義理。これで候補者が噂された元K B SのTアナ(しかも自公に振られたからって維新からも立候補しようとしたという節操のなさ)とかこられた日にゃ、片桐に追随してたことは間違い無いでしょう
 
 しかし松井孝治さんというのは、本当に本当にすごい人なのです。まずもって旅館の次男に生まれ、兄が家業を継ぐので好きなことをしていいと言われて勉強がしたい、人の役に立ちたいと言って東大に行ってしまうんですよ。僕だったら絶対怠けてニートになりますよ
 
 官僚として、参議院議員として、どれだけ活躍しどれだけ能力が高い人なのか、僕が改めて書く必要はないでしょう。僕が書くべきなのは、やっぱり応援する決め手となった「演劇の味方であること」です
 
 僕の芝居は、哲郎さんもケンタさんも見にきてくれてますが、あの二人は「感想」です。感想をいただけることは大変ありがたいですが、お二人の感想を持って芝居を変えることはないです
 
 松井さんとのアフタートークは「批評」になってたんですね。本当に刺激的なトークができまして、松井さんのお話は「その後の公演の改善点が含まれている」ので、芝居をより良くできるのです。他にも松井さんのTwitterを見れば、音楽や落語の批評も行っておりまして、非常の見識が深いものがあります。単なる勉強だけできるエリートではないのです
 
 「芸術の批評できることと、市長の職務が関係あんのかよ」と言われるかも知れませんが、僕は芸術家としてその素養がある松井さんの視点で市長になってほしい。オリザさんとの友情を考えれば、京都で豊岡メソットを成就させてくれる人だと思っています(まあ、肝心の豊岡で「演劇の街なんていらない」と言われて現職が敗れたので、オリザさんと仲が良いてのはむしろマイナスなのかもしれんけど)
 
 人格・能力考えれば、今いる候補ではここは松井さんだろうと思います。むしろ松井さんが市長で、村山さん、和人さん、二之湯さんが、それぞれ松井さんの足りない分を補って首をふってもらう副市長になってくれたら最高やな。4人で新しい京都市のリーダーズをしてもらおう
 
 この章のポイント
・僕は、松井さんを応援する
 
 
13・まとめ

 X氏が断念した後は、そりゃあもう凹んでました。2月まで全力で駆け抜けるため、公演の予定も入れてなく暇で寂しいので急遽どっかの劇団に出演させてくれないかなあと打診までしたのですが、僕は作家としては一流ですが、役者としては下手なので、どこも出してくれませんでした

追い打ちをかけるかのように相乗りが決定し、片桐も離党を固め、ああどうしたらいいんだとなり抗議の方法は考えました。単にサボるだけでは面白くないし、別に一般党員である僕は応援は義務ではないので、サボったってメッセージにならない。

金さえあればいっそ僕が出たろうか(市議選は当選可能性があったのでふざけられなかったが当選可能性0どころか、確実に供託金没収なら、それはそれで好きに暴れられるので楽しい。当選か落選かわからない選挙じゃ落ちたらかわいそうだからと出馬に反対していた母も、100%落選する市長選なら出ろ出ろと言ってたし)とか、24歳以下の立憲学生チームのメンバーに立候補届出をさせて不受理になった後、「受理はされませんでしたが、相乗りに抗議して選挙運動はします」と言って勝手に選挙運動をする(立候補者は公選法の制限を受けるが、立候補者じゃないなら、本物の立候補者の妨害さえしなければ好き勝手やっても自由だから、ふざけたことをいっぱいできる)のような、演出かならではのふざけたやり方も考えたし

選挙期間中ずっと京都市を離れ、「来るべき衆院選に向けて頑張る全国の立憲の支部長を応援する旅」て方法も考えました。これなら「反党行為どころか、すげえ党のためになる行為」てのもできるし。もしくは、ちょうど1月末で、今住んでるマンションの更新時期なので、京都市以外に引っ越して「投票権を喪失させる」ことまで考えました。入れたい人もいないし、かといって棄権したくもないし、入れたくない人の誰かが当選してしまうなら、京都市民じゃなくなろかとまで考えました。

京都で演劇するだけなら周辺都市のが家賃は安いし、ま当選するだけなら北海道に帰って道議選に出る方が当選率が高い(僕の地元の日高選挙区は、定数2で長年自民と、中道系無所属で無投票になってて、立憲は無所属に遠慮して出さなかったのに、最近無所属が自民党に入って地元の立憲関係者はカンカンなので、次は立憲から出すのは必須だ)しさ、まあそれでも僕は京都が大好きだから引っ越したくはないのよ

 そこに松井さんが立候補してくれたおかげで、ちゃんと応援したい人が出たのは本当に良かったのです
 
 しかし、消化不良であることは確かです。んなもん自己満足やないか、目立ちたいだけやないかと言われたらそれまでですが、X氏なら、僕はファーストペンギンですが、松井さん応援団の中ではその他大勢な上、応援団の中には一緒にやりたくない人もいっぱいいる。松井さん個人は大好きだけど、熱く燃えたぎる戦いをするはずだったこの年末年始、燃えたぎることもなく、ため息をつきながら活動をしている。

 一昨年の福山参院選は楽しかったなあ。4月の段階で正直、福山応援団の中にも「うわー、こりゃやばい人だ、こんな場所じゃなきゃ絶対関わりたくないわ」て厄介な人もいた。が、その人らも含め、「皆が福山さんが大好きだし、皆の心が一つになって、絶対に勝たせたい」て熱い戦いをしていた。市長選だってそういう戦いをしたかったなあ

 しかし、松井陣営でそれは出来ない。正直、松井さんを担ぎ上げた人の中には、「本当に松井さんが好きなのか」と怪しい人がいるのは一番の不満である。結局、今の体制の維持が大事で、それを維持するためには松井さんがベストだということで選んでだだけじゃないか。はっきり言って、その人らより「僕の方が松井さんが好きなんじゃないか」と思う

とはいえ、村山陣営も京都党メンバーはガッチリだが、維新・国民メンバーを見ればとても一枚岩じゃないし、和人陣営も共産とコア層とそうではない層も違うし、まあ二之湯さんところは一番一枚岩ではあるだろうけども、流石にきついし。

 何より僕は、演出家として「盛り上がる市長選にできなかった」のが悔しい。実際街の雰囲気を見ても、「門川市長が退任表明した8月末から、二之湯さんという意外な名前が出た9月前半」までのが盛り上がってたように見えるのだ。そこから、村山さんと維新も分裂、X
氏も出て、有力候補6人でも、1位候補が25%超え出来ずに再選挙とかってなる予想まであったのが、一転、結局「(門川後継の)松井・和人・村山」て、二之湯さん以外3年前と一緒やんけて構図で、ドッチラケである。9月上旬は、こりゃ久々の投票率50%超えは確実やなって感じだったが、今の盛り上がりのなさでは50%は割れるだろう

 まあ熱狂の上にやばいのが当選するよりは盛り上がんないで安定した人が当選する方がいいけどさ、やっぱり寂しいですわ。

 だからこそお願いしたい

 僕や、僕の仲間たちが「モヤモヤを拭きどばせるようにしてくれ」ということを

 僕は今モヤモヤしながら松井さんを応援している。しかし晴れ晴れと応援したい

 僕の仲間も同じく、モヤモヤしながら誰を応援するか決めた人もいれば迷ってる人もいる。片桐も、中立を保つのか誰かを応援するかはわからない。しかしこれだけは言える

 僕らは誰を応援したとしても、それは妥協であり、モヤモヤは消えないということです。唯一スッキリできる方法、それは「相乗りが問題であることを党に認識させること」しかない

 まず片桐については、党は必死の慰留をしてるし僕だって残ってほしいが、僕から見たらなんの慰留にもなってない。党は片桐の「独自候補を出す」というのが公約の中の一つで、それを守れなくても、松井市長に協力することで他の公約を実現させればいいじゃんという感覚で説得しているのです

 しかし、片桐にとっては「独自候補を出す」て公約を守れなければ全部おじゃんなのです。党からしたら「離党して無所属で次の選挙に受かるわけがないのになぜ」と思ってるだろうが、それで政治生命失っても構わんてくらいの覚悟なんですね。たとえもし秋に選挙があって、立憲150議席とか取ってるような絶好調状況でも離党したと思う。というか、なんで選挙公報に「独自候補を出す」て書いた時点で、チェックしとけよって話で、3月にの段階で党が「踏み込みすぎな表現だ」て注意しておけば、公認返上したと思う

いわば、僕らは「独自候補派V S相乗り派」という党内抗争に敗北したのだ。が、「そもそも抗争を仕掛けられたけど、返り討ちにした」という認識がない(まあ、これは認識できるほど派手に抗争しなかった片桐にも非はある。まあ彼は良くも悪くもそういう「喧嘩慣れしたワルではない、上品な政策通議員」だし、喧嘩大好きな僕が現職ならもっと派手に仕掛けた・・・いや、現職=相乗り体制で当選できてるんだから体制を変える必要がないってことで日和って、最初から独自派にならなかったかもしれんが)ので、「え、なんでいきなり離党しちゃうの?」て反応になってるのです

 だからまず「片桐がそこまでの思いだとわからず、希望に添えなくてすまんかった」てところから始めないと説得もクソもない。党内闘争に敗北し出ていくって言ってる相手に残って欲しいなら、相手のメンツも残るような手打ちをしないと無理なもんは無理で、「自分達は間違ってないけど残ってくれ」なんて、「口では止めてるが、実質は出ていけ」と言ってるのと一緒ではないか

 そして、それ以外の支持者に対してもそうだ。8章で書いた通り、「負けてもいいから独自候補を出して欲しかった」と願い、実際に探した候補者も探していたメンバーにとっては、「我が党の今の力では候補者は出せません」て言い方では、「僕らの願い、僕らの行動は余計なことをしやがって、出ていけ」と言われてると同じです(そこまでは思ってないってのはわかってるけどね)

 そうじゃなくてさ、ひびちゃんはお子ちゃまだからさ、党のために候補者を探したことは褒めてほちいのよ。その上でさ、口先だけで「はなから独自候補なんか一歳考えてません」じゃなく、「独自候補を期待してた方の期待に応えられなくて申し訳ありません」、「しかし、松井さんは素晴らしい候補者ですから一緒に応援してくれませんか」て言ってくれりゃあむくわれるってもんじゃないですか

 実際に、今いる仲間でも、松井孝治という人間が、能力・人柄ともに素晴らしい候補者だと疑ってる人はいない。政策だって悪いと思ってない。じゃあなんでスッキリ応援できないかって、「自公と組んでることに、自分の中でどう折り合いをつけるか」な訳で、それは「松井さんのためにも」、党は「相乗りしてすいませんでした」と支持者に頭を下げるべきだと思う。ちなみに僕が自民支持者だったら二之湯さんに入れると思うが、府連幹部みんなで「僕らの力が弱いばっかりに、立憲なんかと組んですいません、それでも松井さんをお願いします」と言われたら松井さんに入れるかなと思う。最初に伊吹さんが松井さんに声をかけたことは、「恩讐を乗り越え、京都のために一致団結したんだから」と紹介されることも多いが、「恩讐なんか乗り越えないで別々で戦って欲しい」と思ってる人に響く言葉ではない。

 いや、僕の視野が狭いだけで、「相乗りは間違っていない」ということにこだわった結果他候補に流出させる支持者の票よりも、「相乗りしてすいません」と言った方が流出する票が多いという明確な根拠があるなら、僕らは切り捨てて構わない。それが松井さんのためだ

しかし僕がこの先1ヶ月、直接頼める人たちは、明らかに今モヤモヤしている。その人たちに、僕は自分で決めたことでもないのにまた罵倒されることになるだろう。罵倒する人たちだって、僕が一生懸命独自候補を探したことは知ってるから、実際は僕を罵倒したって気晴らしだけで意味はないことは知って上での罵倒だ。そこに僕が頭を下げたってなんの価値もない

が、下げる価値がある頭だってある。「今回相乗りをしたことはベストの選択ではなかった」ということが認められたら、僕はかなりの仲間の票を松井さんにできる自信はある。メンツ捨て、松井さんのために「スッキリとベターな選択としての松井さん支持」をできる多くの仲間たちを見捨ていないやり方をして欲しいと思う

 まとめのポイント

 ・「相乗りはベストではない」と認めてくれ。そしたらこっちだってスッキリ松井さんを支持できる

 最後まで読んでいただいてありがとうございました

 お金儲けのために書いたわけではないので、この先に文章があるわけではないけど、せっかくのnoteだし、カンパして欲しいなあ

僕は売れない演劇人、前回公演でも100万近く赤字を出してしまったので、良かったら助けてくださいな。Amazonのほしい物リストにゲームも書いとこうっと

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/16GV8SNO72WDR?ref_=wl_share

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