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過去2度の転職、そして退職に至るまでを振り返る①

前置き


そもそものnoteを始めたきっかけは「これまでの転職・退職をきちんと文字にして振り返りたい」というのがありました

その反面、もう退職してかなり経ってしまったし、今更振り返るのもなという気持ちもあり、ここまで書けずにいましたが、やはり自分のために書いたほうがいいなという気持ちに至りました。
なぜなら、きちんとこれまでの仕事を振り返り、自分の苦手だったことや苦しかったことに向き合うこと自体が自己分析になり、次の転職活動につながっていくと思ったからです。

私は未だに働くことが怖いし、それが正社員ではなくアルバイトだとしてもちゃんとできる自信がありません。
これまでの仕事のうまく行かなかった経験や苦しさばかりが色濃く残って、できたこともあるはずなのに、できないに違いないと自分で自分に呪いをかけている気がします。
私は根本的に働きたくない人なのだと思っていましたが、退職して十分すぎるほど休んできた今の気持ちとして、多分私は働きたいんです。
それは、前職を辞めたときのような「とりあえず数ヶ月仕事をしないで休みたい、やりたいことに関する勉強に集中したい」というような切迫した気持ちと比べると静かな気持ちですが、でも確実にそう思っています。
せっかくこの数ヶ月頑張って勉強して力を付けてきたので、仕事を通してもっとできるようになりたい、たくさんじゃなくてもちゃんとお金を稼いで貯金を切り崩す生活を卒業したい。

ここで前職の思い出を振り返ってもしかしたら働くのが怖い気持ちが悪化するかもしれないですが、まず向き合うことから始まるのかなと思い、あと頭の中で考えていても「私はきっと無理」「できない」みたいな悪い考えばかりが募っていくので、書いたらちょっとは毒抜きができるんじゃないかな?と思っています。
前置きが長いですね・・・とりあえず書きはじめてみます。一気に書くと長くなりそうなので分けて書く予定です、それでも長くなりそう

現在の私

  • これまで2回転職経験あり、3社目を2022年2月に退職して現在無職

  • 9月上旬までWEBデザインの技術を学ぶスクールに通っていた

  • これからポートフォリオや応募書類を準備して転職活動

  • 正直働くことに恐怖心がある

  • 何でこうなったか、できるかできないかはさておき、どんな仕事・職場なら働けそうかを言語化して整理したい

私の職歴経歴概要

  • 新卒でSE(システムエンジニア)として中小IT企業(SIer:システムインテグレーター)に入社

    • 自社開発1割、残りはSESといった会社、SESとはざっくり言うと自社で働くのではなく派遣社員のように他社に常駐して働く形態です

    • 常駐は5社ほど経験して、社内業務システムの開発や運用保守関連の仕事をしていました

  • 転職した2社目は事業会社の社内SEとして勤務

    • これまでは他社の業務システムを開発したり運用したりしていましたが、ここで対象が自社のシステムに変わり、 IT事業でお金を稼いでいた会社からバックオフィスの役割となりました

  • そしてまた転職した3社目では再びIT企業へ

    • 同じIT企業でも1社目と異なるのは、受託開発・自社システム開発の会社だという点です

    • この会社は、とにかく変わった会社だった、あんまり詳しく書くと特定されそうでコワイ

時系列的には1社目→2社目→3社目になるのですが、1社目も思い出盛りだくさんであるもののもう私の中では消化されていて過去の思い出になっているので、トラウマの始まりである2社目、完全に休まないとだめな状態に陥った3社の話を書こうと思います。
今回は比較的記憶が新しい3社目の話から書きます。
ただ、上にもちらっと書きましたが、かなり個性的な会社だったのであんまり詳しく書くと特定されそうで怖いので、ところどころボカしながら書いていきます

念の為前置きすると、完全に会社のせい、自分が被害者というつもりはありません、特に2社目に関しては会社側にもたくさん問題があった気がしますが「自分に合わない仕事をしていた」というのが、苦しみの本質だと思います。2社目のことは大嫌いだけど・・・・
でもまぁここまで来ていい子ぶってもしょうがない気はするので、嫌だったこと、合わなかったこと、辛かったことはなるべく正直に書いていきたい心づもりはあります・・・

3社目で実質キャリアチェンジ、待遇は厳しいものに

※便宜上、このとき在籍していた3社目は「C社」、ここから前職に当たる2社目を「B社」と呼びます。

「あなたは力が足りていないからうちの会社の業務は担当させられない、勉強しながらアルバイトで雑務担当でもいいなら働かせてあげてもいいよ」
・・・
とは言われていないものの、実質はそういう条件を提示され私はC社に入社しました。
親や友達、彼氏(現・夫)にも相談せず決めました。
そのときの私はC社にとても入りたかったのと、そのとき在籍していたB社のことが大嫌いなのとこのままB社にいるとダメになってしまうという気持ちが強すぎました。
こんな態度の会社に今思えば入りたくないし、そこまでおっしゃるような高度な業務は入ってからついていけないかもしれないと考えるのですが、このときは必死でした。

緩やかながらも右肩上がりだった年収は、この年は多分前年度の半分以下になったと思います。社保なしアルバイト(業務委託)・給与一桁からのスタートです。
(全然フルタイムで働けたけど許可されず1日のうち4時間は拘束された上で勉強に充てさせられたもちろん無給)。
実家暮らしでもなく都内一人暮らしなのでお金はめっちゃきついです。無職になったら出る失業保険より低いです、家賃はギリギリ払えましたが税金は持ち出しでした。今思うと恐ろしいですね。

しかし、それでもいいと思うくらいC社のビジネスモデルや業務内容は私にとって魅力的でした。この会社で一生懸命働いてスキルを付ければ、食いっぱぐれない、安定すると思っていました。。
システムエンジニアとして今後も仕事をしていくには、ぬるま湯ではなく、多少キツくとも正しい方向性に自分を持っていかないと行けない、技術者として腕を磨いていくにはC社が正しい方向性だと信じていました。

質が高い会社ではあった

C社は事前に情報収集していたイメージどおり、とても優秀な人材の集まる会社でした。個人個人の能力がとても高い。
足の引っ張りあいや悪口で同僚の評価を下げ自分の評価を上げることに必死な人ばかりだった前職B社の環境から考えると天国で、そんな人は一人もおらず、皆業務に真剣だし誰に相談しても嫌がらず協力してくれる助け合い文化が出来上がっていました。

プログラミングや周辺知識の勉強会、読書会も積極的に行われており、そういう技術職っぽい雰囲気もとても嬉しかったです。(B社は勉強している人なんてほとんどいなかった・・・)

同僚たちは多分入社前からレベルが高かったと思われますが、C社で求められる仕事のレベルがものすごく高いので、それについていこうと入社後皆かなり努力してきた結果だと思われます。
私はずっと上司に色々仰ぐよりは横のつながりで協力して仕事がしたいと思っていたので、上司の指示を待つのではなく自分で考えて行動する・横で協力しあって仕事をしていくこの環境にはかなり感動しました。
まぁ、私とC社の考える「横のつながりの協力」はちょっとニュアンスが違ったのですが、それは置いておいて、かなりレベルの高い人の集まる環境だったと振り返っても思います。

数ヶ月続くZATSUMU

そんなこんなでアルバイトとして入社して、3ヶ月経つころにはフルタイムの勤務が認められ(でもまだアルバイト)、半年経つ頃には契約社員として契約していただけることになり新卒くらいの給料にはなりました。
そしてさらに2ヶ月くらい経ちました、受託開発企業のシステムエンジニアらしい仕事はそれまでゼロ、その部署の同僚と絡む機会もなく私がそれまでやっていたことと言えばプログラミングの勉強(しつこいが時間拘束するくせに無給)と自社サービス関連のZATSUMU(領収書の整理とかお金払ってくれないお客さんへの入金催促とかメール営業リスト作成とかそういうやつ)

「でも、高度な仕事をやるためには私は実力が足りないんだよね?こんなに勉強しているのはその仕事をするための準備、しょうがないよね。」と当時は自分を慰めていました、でも8ヶ月も経ったらさすがに微妙な気持ちになってきます。
実務はやらないまでも、そっちのミーティングに同席して見学するとか、雑務にしてもそっちのチームの雑務やるとかさ、そういう方がいいんじゃないの?と。

やっと本来の業務が始まるが待っていたのは主に苦行

入社9ヶ月目にして唐突に案件にアサインされました。
とある案件をこれまで担当していた人が急に辞めることになったので、あなたにメイン担当をやってほしいということ。2ヶ月後のとある業務で使うための仕組みを開発する必要があると。
やったー、ついに業務にアサインだ!と長く長く続いたZATSUMUの日々でしたので思いましたが、これまでミーティングの見学すらしたことないのにメイン担当って大丈夫?という気持ちがありました。

なお、心配は的中し全然大丈夫ではなかったです。
前任者の書いたレガシーな冗長オレオレコードを読み解くのは、プログラミング実務経験ゼロの私には難易度高すぎました。
頼みの綱の私のメンターとして付けられた同僚は、大したサポートもしてくれませんでした(質問すると、普通にやってくれればいいですからとキレ気味に言われるので怖かった、あんまり私と合わない人だった・・・)

開発は大変でした、でもこれはプログラミングをずっと勉強してきて大変でもがんばるという覚悟があったので、土日も仕事したりして納期に間に合わせて、体力的に大変だけどやっとやりたかった仕事ができた感がありました。
問題は、自分が入社前「こういう仕事なんだろうな」と思っていた仕事とギャップがあった部分でした。

あまり詳しく書けないのですが、入社前に聞いていた「チームワーク」は私の想像するチームワークとは違っていて、実質は担当となった人が何でもかんでも一人で全部やりきるようなスタイルでした、困ったときは聞くことはできるけれど作業を分担するという考えではありませんでした。

「この仕事向いていない」という現実を直視できない、から目をつぶる

自分が想定していなかった業務の部分が、まさに自分が苦手に感じる部分でした・・・
すごい時間をかけて準備したり、しゃべる練習をしたり、シミュレーションしたりして何とか乗り切っていましたが、うまくできるか心配でミーティングの前の日はあまりよく眠れませんでした。

かなりプログラミングを勉強して、プログラミングがちゃんとできるかばかり心配してきたのに、本当の意味で大変だったのはそこの部分ではありませんでした。
プログラミングも確かに大変なのですが、やれば終わる感があったし、やりたかったことなので悪いストレスは無かったと思います。
システム開発者の役割のつもりでしたが、実際はITコンサルタントのような役割を求められることが多く、ふんわりしたランダムな質問をされてそれにいい感じに期待通り答える・・・・私はその仕事がとても苦手でした。

でも、今だから苦手とか言えますが、当時は思うことすら禁止していた気がします。とにかくがむしゃらにこれがやるべきことと信じて頑張ってしました。
すごく無理していたと思います、呼吸が苦しくなってうまく息ができなくなり、定期的に深呼吸して心を整えるための休憩をしていました。

辞めた原因として思い当たること

仕事がプライベートに侵食する

ここでの仕事は1顧客1担当者制でした。
休日含めた業務時間外の連絡はすべて自分が担当する必要がありました、休暇とか、深夜とか全然関係ありません。
ずっと待機している状態なので平日仕事が終わった後も心が休まることはありませんでした。待機に対する手当も特に無しでした。
実際深夜に連絡が来たのは1回だけだったのですが、それでも連絡がくるかもしれないという状態の緊張感だけで疲れました。
有給をとっても連絡が来てその都度対応するので全然休めてないじゃんと思いました、設計書などドキュメントはなく、自分以外の同僚も同じ状況だったので対応してもらえることも、逆に私が同僚の分を対応するということもありませんでした。

一度、上司にこのことを相談してみたことがありましたが、「この会社で働くってこういうことだから」と言われて終わりました・・・・

入社時に聞いていた仕事内容が消え去る

提供サービスの方針が変わり、システム開発よりコンサルティングに力を入れていくことになりました。極端な話プログラミングしないということです。
私はプログラミングがしたいと思って転職したので、この話を聞いたときはショックを受けました・・・・アルバイト期間もずっとプログラミングを勉強していたのに・・・・
一応、自社内でプログラミングをできる仕事はあるにはありましたが、様々な事情がありそちらに部署異動するのは困難な状況でした。

日に日に強くなるベンチャー特有の宗教感

私のいた会社は100人くらいの規模だったので、ベンチャーと言うには大きかったのですが典型的な社長がカリスマで崇拝されているような会社でした。
入社したときはそうでもなかったのですが、入社から1年くらい経って古株社員による「社長の考えを社員に浸透させようキャンペーン」みたいな催しが多く開催されるようになり、そういうのが苦手な私はすごく息苦しくなってきました。
社長の考えが大好きな人がいてもいいし、そうでもない人がいてもいいという雰囲気だったのに、社長と同じ考えに皆を統一しようという雰囲気に。
例を出すと、社長から毎日メール(経営とかに関する考え)が送られて来て、それに対して必ず感想文を返信しないといけないというようなことがありました(正確にはちょっと違うのですが、そんな感じのこと)

給与やコンプラ面に対する疑念

契約社員になって1年くらいたったときに、上司と面談があり来月から正社員化して給料を他の社員と同じような水準にするからと言われました
そのとききちんと書面に残さなかったり、後で追求しなかったのがいけなかった気がしますが、実際に給与が上がったのはそこから3ヶ月後でした・・・・
その間ボーナスがあったのですが、低い給与の方で計算されていました。

そもそも、アルバイトとして入社したときに具体的にどのくらいの給与として正社員採用されるかなどの説明は一切ありませんでした、聞けば教えてくれるということではなく、給与を事前に確認するような給与重視の人は採用しないとのこと・・・今考えるとおかしいですね。

正社員化すると口では言っていましたが、そのとき特に契約書などは書いていません。こういうのもどうなのかなと思います。
給与レンジの資料などはもらうことはできず、ちらっと印刷した紙を見せてもらえただけでした。
上司は、採用時に給与を開示しないのはそれなりに水準が高いからだと豪語していましたが、実際は前職のB社以下で何年勤めようが3年で上げ止まりするそうで前職退職時点よりも低い給与でキープすることが判明しました・・・マジカヨ!

先程休みだろうとずっと待機していないといけないと書きましたが、そういう仕事の割にはすごく給与が低いと感じました。

私の至らなかったところ・反省点や気付き

給与が低かろうと、自分が好きな・得意な仕事で活躍できている状態だったらもしかしたらあまり不満はなかったかもしれません。
私のこのときの状態は「苦手・得意ではない仕事を必死で回している」状態でした、成果としては最低限出せていたとは思いますが、本当に必死で命を削ってやっているような状態でやっと最低限とは情けない話です。
転職して伸ばしたいと思っていたスキルも、会社の方向性の変更で伸ばせそうにもない・・・

私の至らなかったところは、冷静に考えるとあまり自分に向いていない業務だと事前情報から判断可能だったにも関わらず、その業務を「エンジニアとして生きていくならやらなくてはいけない」という半義務のような気持ちで、無理やりやっていたことです。
C社にこだわらず、退職して少しリフレッシュしてからC社以外の会社に転職する、スクールに通うという選択肢もありました。視野が狭すぎました。

この会社にもいくつか他社に無いようなメリットや、リモート勤務やフレックスのような自由さはありましたが、私にはそこのメリットよりデメリットのほうが大きかったです。

向いている仕事でないと、長く続けることができないです。いくら市場価値が高い仕事でも、向いていない好きではない仕事だと長続きしないです。

コロナが流行り始めた頃の入社で、人間関係も希薄になり、自分の世界が会社だけになってしまっていました。
この会社をやめようと思ったときに、はじめて親に弱音を吐き、親しい友人にもやめようと思っていると相談しました。このときに、久しぶりに会社以外の外の世界とつながった気がします。
私が会社に対しておかしいんじゃないの?と思っていつつも言えなかったことを友人に相談すると「おかしいよそれ」と言ってもらえました。
基本的には人の意見に左右されるのではなく、自分で考えて決めることが大事だとは思いますが、それでも外とのつながりは持つべきだと実感しました。
そうしないと「普通」の感覚がどんどんおかしくなります、私は他人の考えに結構影響されやすいので、極端な考えによらないように、いくつかの世界を持って自分の考えの軸を再確認する機会を持ったほうがいいと思いました。

次回

すごく長文になってしまいました、ここまで読んでいただいてありがとうございます。
次回以降、2社目にあたるB社の話を書こうと思います。


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