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ダンス・ダンス・ダンスの何かが刺さる台詞について
以前も書いたとおり、僕は村上春樹のダンス・ダンス・ダンスが好きだ。
その前作、羊をめぐる冒険もかなり好きではあるが、全体的なストーリーから僕はこちらを推す。
羊をめぐる冒険は、文章が瑞々しく、表現の端々にエスプリが利いている。
(村上春樹的な要素はこちらの方が強い)
ストーリーも面白い、ぐいぐい引き込まれる。
細部の描写も、都会的な雰囲気もよい。
物語の進み方も非現実的なのに論理的だ。
ダンス・ダンス・ダンスは羊をめぐる冒険に比べてしまうと村上春樹的な部分は薄い。常識にかかっていると言えなくもない。
ただ、主人公(名前は明かされない、ユキによると「変な名前」)が、主体的に動くことがあって、読んでいて楽しい。
僕が最も好きな場面は、ユキが主人公に心を開きはじめ、虚勢を張らなくなり、ある提案をするシーンだ。
あまりにもよい台詞なのでそのまま引用する。
「ねえ」と僕は咳払いをして言った。
「真面目に話をしよう。もし君が僕と一緒に毎日遊んでいたいんなら、毎日遊んでもいい。別に仕事なんかしなくてもいい。どうせ下らない雪かき仕事だ。そんなのどうでもいいんだ。でもこれだけはひとつはっきりしている。金をもらって君とはつきあわない。ハワイのことは例外だ。あれは特別イベントだ。旅費も出してもらった。女も買ってもらった。でもおかげで君の信用まで失いかけた。自分が嫌になった。もうああいうことは二度とやらない。おしまいだ。これからは僕のペースでやる。誰にも余計な口は出させない。金も出させない。僕はディック・ノースとも違うし、書生のフライデーとも違う。僕は僕で、誰にも雇われてはいない。つきあいたいから君とつきあう。君が僕と遊びたいんなら、君は金のことなんか考えることない。」
村上春樹の小説の主人公にそぐわないと思うのだけど、すべての作品の中で僕が最も印象に残っているのはこの台詞だ。
無駄がなく、抑揚があり、リズムがよい。
口に出したくなる。
ユキは13歳の女の子で、学校に行っておらず、素晴らしく綺麗で、バージニア・スリムを吸っていて、ゥォークマンでロックを聴いている。
少しだけ不思議な力がある。
もちろん最初は主人公に心を開いていない。尖っている。
でも、主人公に興味を持ち、会話を重ね、いろいろあって少し弱ったときにはじめて主人公に寄りかかろうとするのがこの場面だ。
主人公とユキの関係は物語の中で常に変化する。
どちらかというとこのような場面は稀で、ユキは基本的に安定(一定の不安定な幅の中で安定)していて、主人公に気づきを与えることが多い。
だからより、このシーンが鮮やかに際立っている。
僕は今、43歳のサラリーマンだ。
主人公や発行時の村上春樹よりも9歳年上だ。
だけど、この台詞は初めて読んだときよりも、今、自分の何かに強く刺さるのだ。
43歳になると、家庭もできている。職場のしがらみもある。
自分の意見を率直に言うことをセーブしてしまう。(自覚もない)
本意ではないけど、面倒くさくならないように、敵対心を持たれないために、迎合するために、気が付くと無味無臭の発言に終始している。
そんな僕にこの主人公の台詞は切なくて清々しい。
そして自分の加齢が少し寂しい。
「これからは僕のペースでやる。誰にも余計な口は出させない。」
僕もこういう風に、理性的に少しだけ感情的に、思ったことを口に出したい。
羊シリーズには、仕事や生活に関する村上春樹の信念のようなものが垣間見える。
主人公はフリーの物書きをしている。
業界の評価も高い。
仕事のよりごのみをしなかったし、期限前にちゃんと仕上げたし、他の連中が手を抜くところを真面目にやった。
表面的には同じように見える。でもよく見るとほんの少し違う。
いわゆる神は細部に宿る的なことを言っており、村上春樹が経験に裏打ちされた考えを物語の登場人物に語らせるとこうことになる。
すごく腑に落ちる。
至言だ。実際にやってみるとその効果も実感する。
あとは、何かのきっかけで、「これからは僕のペースでやる。誰にも余計な口は出させない。」と僕も言ってみたい。
ダンス・ダンス・ダンスは、まだ少し若かった頃にはあって、ここ何年かで忘れてしまった、何か若臭くて大切だったものに触れることができる。