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母の喉仏と父の肩甲骨
私の両親は、2021年に2人共亡くなった。
母は私の誕生日の次の日。
2月22日の夜の20時頃。
お風呂に入り、ヒートショックで湯船に浸かったまま亡くなった。
その日の夕方18時半頃に、私は携帯電話で母と喋ったのを覚えている。いつも通りの会話。
でも母に少し元気がなかったので、姉にラインで明日にでもお母さんに電話かけて欲しい。お母さんとおしゃべりして元気づけてあげて欲しい。
それを伝えた次の日、昼過ぎに姉からのライン。
何度も実家に電話してるけど母が電話に出ないとの事。
たまに受話器をあげたままだったり、着信音が聞こえなかったり、たまたま買い物に行ってたり、なんて事が今までの実状。一度同じような事があり急いで車で会いにいったら、布団にちゃんと入ってテレビを見ていた事があった。
だから、私もとりあえず17時までは待ってみた。
それでも17時になっても電話にでないのはさすがにおかしい。
何かあったのかな?と思いとりあえず、車で30分程の実家に向かった。
こういう時の為に、家の合鍵はもってたので玄関の鍵で中に入り、
「おかーさーん。きたでー。」と声を出しながら階段を降りて行った。すると寝室の部屋が真っ暗。
ただ、お風呂場だけオレンジ色の電気がついていた。
「お母さんもう、お風呂はいってるの?早いねー。お母さん?」
返事がないので、お風呂のドアを開けたら
目から下の顔が湯船に浸かった母がいた。
もうその時の映像は一生、忘れられない。
ただ逃げるようにその場から走り、泣きながら受話器を上げた。
119番。
そこにかけたって、もうダメなのはわかってた。
もう生きてる人間のオーラじゃない。あれは、母の抜け殻だ。しどろもどろに母の様子を泣き叫びながら伝えた。
電話口の人は、お母さんを引き上げてっていうけど、無理だ。
さわれない。
あれはお母さんじゃない。
もうそこに母はいない。
それだけは、わかった。
救急車が行くまでに、お風呂の水を抜いてっていわれた。恐る恐るいって、栓だけ引っ張ってぬいた。
母の姿を直視できなかった。
あれは、抜け殻だ。
母じゃない。
記憶が朦朧としてる。とりあえず、家に電話して、出張中の旦那に電話して、姉にも電話した。
そしたら、救急隊員がきて、警察もきて、姉もきて家のおじいちゃんが娘を連れてきてくれた。
みんな私を見て、優しく抱きしめてくれた。
私はずっと泣いてた。
警官がいきなり通帳やらを、調べはじめた。
言われるがまま、金庫から全て出した。
そうか、私が疑われたんだって後から気づいた。
大好きなお母さんを殺さないよ私。
それから母は警察署に連れて行かれ、今夜中のうちに遺体を解剖される。何故亡くなったのか調べてもらうのに1晩を警察署で過ごすんだって。
すべて言われるがまま、うなづくしかできなかった。担当の警察官が「どんなに遅くても電話にはでるから、何かあったら。」と名刺をおいていってくれた。優しい人だと思った。
明日の午前中に母を引き取りに来てと、何度も何度も伝えられた。
全てが一連の流れなんだけど、私の頭の中には湯船の母しか見えてなくって、まだ何が起こったのか理解できてなかった。
母の死を全然受け入れられなかった。
ずっと泣き続けて、しんどいし眠れない。
施設に入れてる父の方が危ないって最近電話したばっかりやん。そしたらお母さん、そろそろ準備しとかなあかんなーって言ってたやん。
今日家いったら2Fの部屋に喪服だしてたやん。
なんでお母さんの方が先に行くのん?
あんなに優しい人やのに。
さんざんお父さんに苦労かけられて。
神様はどこを見てるの?
わけがわからない。
これほど自分を攻めた事はなかった。
もっと優しくしてあげたら良かった。
もっと家に行っておしゃべりしてあげたら良かった。
いつもいつも家に行っても、子供の事を優先して早く帰ってばかりしてた。
ごめんね。ごめんね。
ごめんなさい。ごめんなさい。
1人でいかせてごめんなさい。
後悔ばかりが私を攻める。
もう心がめちゃくちゃだ。
母の死の悲しみから癒えることなく、2ケ月後に今度は父が施設で亡くなった。
父が生きてる間、母が亡くなった事は黙ってた。
伝えたら生きる気力がなくなると思ったからだ。
こんな夢をみた。
父が亡くなる4日前。
私は病院の待合い室のソファーに座っていて、名前を呼ばれて一番端の部屋に入った。そしたら、ベッドのそばに車椅子に座ってるお母さんがいた。私びっくりして、お母さんの腕さわったら、お母さんが私の手が冷たいって言って笑ってる。もう驚きすぎて、お母さんの手を握ったらお母さんの手が暖かくって。なんだ!お母さん元気に生きてる!って思ったら、私にあやまってきた。
ごめんな、渡してなくってって。なにが?もしかして、私の誕生日のお祝い?そうだった前日が私の誕生日だった。でも元気そうに笑ってるお母さんを見て私はすごく嬉しくって、すごく幸せな気持ちで目がさめた。病室で点滴につながれていたのはお父さんちゃうん?すぐに姉にLINEして、「位牌のお母さんにまだお父さん連れていかんといてって言って!」と伝えた。
でもそれは聞いてもらえず、その4日後に父は亡くなった。
両親の結婚記念日の前日の話。
4月28日に父は旅立った。
姉とは、「お母さんが結婚記念日を1人で過ごしたくないから、お父さんを連れていったのかもね。お父さんもお母さんがまさか亡くなってるとは思ってないからびっくりしたやろなー。」
仲がいいのか、悪いのか。
2人が亡くなっ日は絶対忘れない日にちになった。
火葬場でのお骨揚げの時、母の喉仏がとても綺麗に残っていたので、姉から後でもらった。
仏さんが座っているような形だ。
父の時は、焼き場の人に「大工さんでもやっておられたのですか?肩甲骨がすごく立派だ。」なんて言われたけど、ただの会社員だ。
なのでそれも、後で姉からもらった。
だから我が家の猫の陶器の中には、2人の骨が入っている。2人の位牌は姉の所にあるから、これが私の中での位牌みたいなものだ。
あれから2年後。
大阪の石切りさんには、占いの館といって四柱推命での診断や、うしろにいる方がみえる人がいる。
四柱推命で占ってもらってから、もう一度別の日に、友人と2人で見える方にみてもらった。私の守護霊は女中さんを束ねる偉い人だそうだ。そんな話をしながらも、ふいに「もしかして、私の母が側にいますか?」
1番聞いてみたい事を、その人に聞いてみた。
ずっと携帯に入れてた母の写真を見せたら、その写真よりずっと若くって少しぽっちゃりした母が、私の目の前にいるようだ。
だからその方を通じて母と話すことができた。
それだけで充分だった。側にいてくれてるんだ。
母の話しを聞いていくと、父を施設に預けてからの母の老後は、すごく寂しかった。私に何度も電話をかけたかった。喋りたかった。でも長男の家に、嫁に行った私に迷惑かけちゃダメだと思って我慢してたみたい。
涙がでてきた。涙が止まらない。
でも今の母は、自由になって好きな事ができる。だからあなたが家の事を一緒懸命に頑張りすぎてるのをみると側に行って、なんでだろうって思ってくれてたみたいだ。
ありがとうお母さん。
死んでからの母は、私に感謝しかない。
そこまでしてくれるとは思ってなかった。って。
そこまでしてくれるとはって、と私は笑ってしまった。
私はお金では苦労したから、あなたも働いて苦労しない人生を送ってほしいけど、あなたがやりたい事があるなら、それはそれで応援するとも言ってくれた。
そうだ。
そうなのだ。
我慢ばっかりしてた、人生。
自分を犠牲にしてた人生。
もうこりごりだ。
やりたい事しよう。
母も我慢ばかりしていた。
私が何度も離婚したらって言う言葉を、結局聞いてくれなかった。
あなた達の為に離婚はできないって決めてたみたいだ。
そんな母に、「お父さんと会えた?結婚記念日は一緒に過ごせた?」って聞いてみたら
父はまだ母の所にまではきていないみたい。
まだまだお勉強中らしい。
そうだよね、あんなぐうたらな人、まだまだ畜生道にいるよね。とすんなり受け入れられたわ。
そして、「来世でも一緒になりたい?」とも聞いてみたら。
それは絶対ない。
との事。
それもすんなり受け入れられたよ。
お母さんが生きてる時は、お父さんのおかげで辛かったもんね。
来世は自分の好きな事したいよね。
お母さんがあの世で幸せに過ごしてるなら、私も幸せだ。
私が死んだら迎えにきてね。
会えるのを楽しみに待ってる。
この辛い経験ばかりの人生だけど、それもこれも自分で決めてきたのなら、楽しもう。
全てに意味があるなら、泣いてるより笑っていよう。
最近大切な仲間ができた。
みんなすごい人達ばかりなんだよ。
彼らとなら何が起きても、なんでも乗り越えられる気がする。
私は幸せものなんだよお母さん。
私を産んでくれて本当にありがとう。
そして、又絶対会おうね。
大好きだよお母さん。