北里柴三郎の価値は1000円で足りるのか
2024年7月から新紙幣の顔となった北里柴三郎。
私ハ彼が1000円札なんかに収まる男ではないと考える。
現代の1000円の価値に比べれば、あまりにも彼の功績は大きい。
新紙幣の発行が始まって早や3ヶ月。ようやく私の手元にも新札が届くようになってきた。発行されたばかりの1000円札に神妙な面持ちで描かれる北里柴三郎を見るたびに、彼は1000円札に収まる器ではないと感じる。
理由は2つ。彼の大き過ぎる功績と、現在の低すぎる価値となってしまった1000円だ。
ご存知の通り、北里柴三郎は近代日本医学の父として日本医学の推進に尽力した。中でも一番の功績は破傷風の予防と治療方法の開発である。国立感染症研究所の報告では、現在でも年間約100人が破傷風を発病し、このうち5-9人ほどは破傷風が原因で死亡している。現代医学でも人が死ぬこの病気を、もし明治時代に北里が治療法を発見していなければ、より多くの命が失われているだろう。彼と同時代に生きる10000円札の渋沢栄一や5000円札の津田梅子も、もしかしたら紙幣に残るほどの功績を残す前に破傷風にかかっていたかもしれない。
また、彼は前1000円札の野口英世の師匠でもある。東京都北区によると、北里が所長を努めていた伝染病研究所が野口を輩出したという。もし北里がいなければ野口も立派な功績を残して1000円になっていなかったかもしれないと考えると、北里柴三郎の功績ははかりしれない。
次に現代の1000円の価値について。野口が1000円なので、同じ医療枠の北里も1000円で良いのではという考え方もあるかもしれない。が、野口が紙幣に採用された2004年と、北里の2024年では、1000円の価値が全く違う。約20年前、私が子どもだった頃は1000円もあればマクドナルドで豪遊できた思い出(※あくまでも美化された思い出)がある。一方現代では、仕事の昼休みにちょっとコンビニでランチとお菓子を買おうと思うと余裕で1000円を超えてしまう。野口の1000円は贅沢の1000円、北里の1000円はちょっとしたお小遣い程度の感覚なのだ。
上記の理由から、私は現在の1000円札に北里柴三郎は役不足だと考える。ではどうすれば良いのか。一番は彼の今までの功績に経緯を払って、北里柴三郎を次回の10000円札候補にすることだ。これなら今の紙幣の人たちを落とすことなく、北里の尊厳も上がるので一番丸く収まると思う。実際聖徳太子が1000円札から10000円札にキャリアアップした経験があるので、不可能ではないはすだ。それでも彼を10000円札に上げることが難しいなら、せめて北里柴三郎の1000円札に20年前と同等の価値を与えてほしい。北里の紙幣を出したら吉野家で牛丼が4杯食べられるようになってほしい。そもそも現代の紙幣は本当に1000円、5000円、10000円の3つで良いのだろうか?20年前の基準に合わせるなら3000円、8000円、20000円札くらいにしたほうが良いんじゃないか。なにせ破傷風菌予防、治療法を発見し、ペスト菌まで見つけたのにノーベル賞を獲れなかった彼に、何かの形で最大の敬意を表したい。
とはいえ、一市民の私にできることはないので、せめて支払いの時にできるだけ1000円を使って、日本銀行に たくさん北里の顔を発行してもらおう。