競馬は" ケイ" バ、" 競輪" はケイリンなのに競艇はどうして" キョウ" テイなんだ?
競艇。
名前くらいしか知らないが、賭博の出来るボートレースだと思えば大きく間違ってないだろう。あるいは競馬のボート版。
なら、なぜケイテイじゃないんだ? 競輪はケイリンなのに。
軽く各wikipediaを見てみたがわからない。
とりあえず公営競技(要するに賭博)としての法律とレースの歴史を簡単にまとめてみよう。
何かヒントがあるかもしれない。
競馬
1948年に成立し、同年に初レース。
競輪
1948年自転車競技法が成立し、同年に初レース。(スポーツとしては1900年頃から)
競艇
1951年モーターボート競走法が成立し、翌年に初レース。
いや、競馬と競輪が同年っておかしいやろ。
と思ってちゃんと調べたら戦前の旧競馬法と区別しているらしい。
やっぱり競馬の歴史は古くて、1906年に公認競馬として法的根拠なしに開始され、2年で政府が規制、その後、軍馬の育成のために真面目に作った法律が1923年の旧競馬法だそうだ。
もっと遡ると、1860年には外国人居留地の治外法権で馬券まで売っていた記録まで存在している。
あれ? 規模は違えどスポーツとしての歴史は競輪と思ったより変わらないんだ。どっちも鎖国と戦争の終わりが大きな転機になってるんだな。
いや、こんなんじゃ競艇の謎は解けない。
漢字としてはどうなんだろう?
競
呉音 : ギョウ
漢音 : ケイ
慣用音 : キョウ
キョウは慣用音、つまり漢語・中国語としては正しくないのか。
歴史の深さと関係あるようなないような…
わからないから競艇のwikipediaを良く読んでみる。
プールは1.5m以上の深さが必要らしい。意外と深くない。深い所は5mを超えるらしい。深い。
最大6艇だと当選率は高そうだなあ。最大18頭の競馬より配当金が低めになるんだろう。手堅いギャンブルだ。
お、
" ちなみに「競艇」の名称の考案者は、津競艇場開設当時の津市長だった志田勝であるとされる。"
(「競艇」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2023/07/06 22:17(日本時間)現在での最新版を取得)
だそうだ。よく見たら概要に書いてあった。
命名した人の名前が書いてあるとは思ってもなかった。
よし、この参考文献を見てみよう。
全施協50周年記念誌、三重県モーターボート競走会作製の津競艇開設十周年記念特集らしい。
モーターボート競争会なる組織の歴史なんかについて書かれている。
設立までにどんな苦労があったとか、設立後にこんな文句を言われたとか…
" 競輪の「競」だから「けい艇」というべきか、などという意見もあったが、兄弟相せめぐように聞えて面白くないというので「きょうてい」としたが、この呼称は、志田市長の命名であった。"
(日本財団図書館より全施協50周年記念誌内、三重県モーターボート競走会作製の津競艇開設十周年記念特集「あれから十年」誌から抜粋転載
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00002/contents/0031.htmより引用)
急に見付かってしまった。
単に兄弟(けいてい)と発音が同じことを嫌ってキョウテイになったのか(当時すでに" きょうだい" と読んでいたかもしれないけど…)、「兄弟かきに相せめぐ」くらいにしか使わなくなったケイテイという響きを嫌ったのかはわからないが、これが理由であるらしい。
言い方はよくないけど、そんなに深くなかった。
深い所は深いが浅い所は浅い、競艇のプールのようだ。