#1 青海エイミーさんが言った「能力は自分のために使うもの」
突然ですが、今日から試しにエッセイを書いてみようと思います。その第一回目は、エッセイを書く決め手になった出来事を書き記しておきたいと思います。
「ジミー」の作者青海エイミーさんが「占い」の部屋を始めた
以前、ある読書会で「ジミー」という本の作者 青海エイミーさんとつながり、Facebookでも友達なった。Facebookの投稿を眺めていると、ある日突然、「『占い』の部屋へどうぞ」の文字が。いったい何が始まるんだろう。
実際には占いをやるのではなく、「占い」という新しい設定を使うことで、無駄な世間話もなく、開口一番に、その人が一番気にかかってるところをずばっと話し、それによってすっきりするかもしれない、という実験らしい。
相手に響く言葉を選ぶエイミーさんのことが気になっていたし、エイミーさんがいったい何を始めて何が起こるのか気になったので、試しに申し込んでみた。
今思えば、「よくわかんないけど、楽しそうだからやってみる!」というエイミーさんの遊び心に触れたかったのかもしれない。
気づくと”人の役に立つことをやるべき”にとらわれる
申し込んだのはいいものの、直前まで何を話すか決まらなかった。そもそもどうして申し込んだんだろう、私は何を求めているんだろう、という問いが浮かんでくる。
エイミーさんに対して何か憧れている部分があって、そこに何かヒントがありそうな気がしている。最近、魅かれている「書く」という行為について背中を押してほしいような気もするし、私もエイミーさんのように誰かに対して「日曜の夜にお話ししに来ていいよ」と気軽な誘いをしたいような気もする。
そんな気持ちのまま、エイミーさんと話す予定の時間になった。まずはじめにエイミーさんが言ったのは、
「私、倫理観とかあんまりないから、何を話してくれても『それはよくない』とか言わないと思うので、話したいことを何でも好きなように話してくれて大丈夫です。」
ということだった。確かに占いって、家族や友達にも話せないことを話す受け皿という側面を持っていると思う。
浮かんだテーマが2つくらいあった。その一つは、「自分の"言葉を使う能力"をどう活かしていくか」という話だった。でも、それをエイミーさんに話すことでどうしたいのかよくわからないまま、残り時間があと3分くらいになった。
エイミーさんも少し困った様子だった。そしたら、
「最後に一つ聞いてもいいですか?和音さんは、書くということを自分のためにやらないんですか?例えば、エッセイでもなんでもいいと思うんだけど。」
と言われた。確かに、コーチングは相手の自己表現を支援するものだし、インタビューやファシリテーションは、聞き手にわかりやすく有益な情報を伝えるものだと思う。考えてみれば、それらはどれも他者のため。
エイミーさんが、はっきり言った。
「能力は自分のために使うものだから、他者のためだけに使っていたらもったいないと思う。私も、書くということは自分のためにやっているんです。」
気づかないうちに、自分の能力を使うことと、人の役に立つことはセットでなければいけないと思っていた。ああ、自分のために使うということが欠けていたのかもしれない。
yacCkaさんと”絵を描く”という行為の関係
最近、何度も思い出す出来事がある。2022年11月26日(土)に、yacCkaさんという絵を描くアーティストの方とトークイベントをやる。そのイベントに向けて事前にyacCkaさんと話した。
yacCkaさんが話をするとき、一人で話すよりも質問をしたり相槌をうったりしてくれる人がいた方が話しやすそうだということで、私がファシリテーターをすることになっている。
yacCkaさんはたくさん本を読むし、言葉が大好きらしい。でも、人前で話すときは緊張する。言葉を大事にするからこそ言葉を慎重に選ぶし、話すときに間ができるし、発した言葉が相手にどんな風に受け取られるかを敏感に感じとる方なんだなという印象を持った。
そう思うと、yacCkaさんが絵を描くという方法を選んでいることがとても自然なことに感じる。yacCkaさんにとって絵を描くことは、自分の内面を外に出すために必要な行為のように感じる。言葉にならない自分の内側を絵を描くという方法で外に出す。
それは、絵を見た人に何かを伝えたいからとか、それを評価されたいからとか、そんなこと以前に、まずyacCkaさんが自分自身のために必要な時間なんじゃないか。
これは私の勝手な推測で違うかもしれない。でも、もしもyacCkaさんが何よりもまず自分自身のために絵を描くという時間を持っているとしたら、なんて素敵な時間なんだろう。
そうやって何度もyacCkaさんと話した日のことを思い出している。
目標は「できそうだ」と思うところに置いてみる
今、「人の役に立たなければいけない」が行き過ぎて、バランスを崩しているのではないか。誰かの役に立つからではなく、ただただ自分のために自分の能力を使う時間を持つと何が起こるのか。
最近、言語能力について褒められることが増えた。コーチングで相手が言いたがっていることを「こんな感じなのかな」って伝えてみたり、プレゼンで難しいことをわかりやすく伝えてみたり、最近学んだことを誰かに伝えてみたり、誰かとギクシャクしたときに相手との関係を修復するために自分の気持ちを伝えてみたり。
ああ、自分が自然にできてしまうことは、他者からするとそんなに簡単なことではないのかもしれない。でも、まだ確信が持てない。そして、書くということを始めてしまうと、自分がどれくらいできるのかという結果に向き合わなければいけない。
でも、もう、書かずにはいられない感じもある。
ということで、まずは2022年中にこのnoteのマガジンで12本のエッセイを書いてみることにした。エッセイとは何かよくわかっていないけど、やってみる。なぜ12本かというと、本日11月21日から週に2本のペースで書くとだいたい12本だから。目標設定は、少し頑張ればできそうだと思えるくらいのところに置くのが大事、とコーチングで学んだ。皆さんもぜひお試しあれ!!
おわりに
1本目のエッセイ(?)を書いてみて、スッキリしました。いつも頭の中で一人でやっていることを外に出す。まさに、自分で自分の声を聴く時間でした。これからも、まずは自分のために書きますが、これを読んで何かあなたの中でも思うことがあったら、一言でも感想をいただけると嬉しいです。
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