【ぶんぶくちゃいな】蘇る毛沢東時代の悪夢 「次は何を奪われるのか?」

8月終わり、中国のニュースプリに「ソウ鍋売鉄」(「ソウ」は石偏に「匝」)という4文字を引用した記事が出現したとき、筆者はしばらくその文字を眺めてそのままスワイプした。

「ソウ鍋売鉄」(「ソウ」は石偏に「匝」)というのは、「鍋を叩き潰して鉄として売る」という意味だ。ここでいう「鍋」とは日本で一般的になっているアルミやステンレスのそれではなく、文字通りの中華鍋のことである。中国ならどこの家庭にもある、鉄で出来た中華鍋(あるいは炊飯用の釜)を潰して鉄くずとし、売ってしまうことをいう。

つまり、それ以降、家ではご飯が作れなくなるわけで、「背水の陣」という意味になる。だが、この言葉は、現代の中国人の間では忌まわしい記憶と結びついている。

ときは1950年代後半、毛沢東が指揮した中国共産党が中華人民共和国の建国を宣言してから数年後に「大躍進政策」を発令。日中戦争と内戦で疲弊していた国を大いに発展させたかった毛沢東が、共産党の指導の優秀性を信じて「経済倍増倍々増」政策を打ち出し、今ふうに言えばすべての経済指標を「N倍」にして、欧米に追いつくぞと呼びかけた。

そして、社会主義制度下における私有制が拒絶され、そして公有制が推進された。人々には家ではなく、職場などに敷設された食堂で食事を取るよう呼びかけられた。そうすることで、物流どころか材料、燃料に至るまで節約することができたからだ。

その一方で、家にあった釜や鍋は「不必要」となり、それを潰して鉄材にし、国の復興のために鉄鋼業の原材料にするのだとの呼びかけが行われた。街のあちこちにそれらを持ち込んで溶解させるためのかまどが作られ、人々は鍋釜だけではなく、家中の鉄製(と思われる)品をそのかまどに持ち込んだ。

それはある意味、溶解のためのかまどで働く人の雇用を増やしたし、人々の公有制度への依存を高め、さらに「参与感」を人々に植え付けることに大きな効果をもたらした。

だが、その裏ではもともときちんと選別されたわけでもないものを、そんな街なかの急作りのかまどに持ち込んで溶解してできた鉄くずは、実際には製鋼原料にできるはずもなく、ほとんどが大いなる無駄に終わった(と、その後わかっている)。

当時こうした「素人考え」の根拠に基づかない大躍進政策が中国で全面的にプロパガンダによってもてはやされ、各地で人々がほぼ強制的に踊らされ続けた結果、工業どころか農業すらも荒廃。さらには天候不順もあって1958年から1961年にかけて大飢饉が起き、この間に亡くなった人たちの数は3000万人とも8000万人ともいわれている。

毛沢東は一時、失策を認めて権力を失ったものの、その後権力奪還を睨んで、1966年には文化大革命を引き起こす。そして中国はさらにまた10年間の大混乱期に入ったことはいまだに50代以上の人たちの記憶に刻み込まれている。

だからこそ、今また新たに頭をもたげてきた「ソウ鍋売鉄」という言葉に、人々は今度は何を差し出させられるのか、戦々恐々としている。


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