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【ぶんぶくちゃいな】33年目の6月4日

6月4日、またこの日が巡ってきた。中国にかかわる人間としては忘れることはできない日だ。それに加えて香港にかかわるならば、もっと重要な意味を持つ。3年前から6月は以前に増して香港人にとってさまざまな思いが去来する月になってしまった。

6月4日の天安門事件記念日がすぎると、9日は3年前に逃亡犯条例改定草案に反対する市民100万人が街を練り歩いた日だ。それでも草案の議決を「予定通り行う」と林鄭月娥行政長官が発表したことで、議会開催の12日に立法会ビルを反対派が包囲した。議員たちの議場入りを阻止して議決に持ち込ませまいと、反対派は「(議員が乗っている可能性のある)高級車はすべて停めろ」という呼びかけも行われていたと聞く。

この日、警察は議会ビル前に集まった群衆に向かって催涙弾を発射、逃げ惑う人たちがあわや付近の商業ビルにガラスドアを破りそうな勢いで押しかけたという証言も残っている。このとき、ビルの警備員が機転を聞かせて回転ドアを全開にして人々をロビーに招き入れたため、大惨事は免れたものの、武器も持たない一般市民を危険な状況に追い込んだと、警察内部の指揮に対して激しい批判が巻き起こった。思えば、のちにデモにおいて叫ばれるようになる「五大要求」のうち、「独立調査委員会を開け」という声が上がったのはこの日が最初だった。

すでに当時の想像を超えたひどい状況ではあったものの、市民はこの時、まだ政府や警察とのコミュニケーションは可能なはず、と考えていた。政府や警察だって香港市民であり、これ以上事態を悪化させるのは誰にとっても得策ではないはずだと信じていた。だからこそ、要求を叫び、是正を求め、それを政府が聞き届けるタイミングを待っていた。

12日の抗議を受けて行政長官は改定草案の議決を「一旦延期」したものの、「撤回」は口にしなかった。草案に徹底反対する人たちは、抗争が続くことを意識した。16日のデモ行進が呼びかけられた。

政府の総合庁舎そばの公園では一部反対派がキャンプを続け、毎日抗議者が集まり続けていた。そして6月15日、そこからそれほど離れていない大型ショッピングモールの外壁工事用足場に「反送中」(「中国に送られることに反対」、つまり「犯罪容疑者の引渡先に中国を含めようとする条例改定草案に反対する」の意)と大きく書いた横断幕を掲げて立った男性が、見守る群衆の目の前で足場から落ちて死亡するという衝撃的な事件が発生する。警察は彼が遺書を残しており、自殺だったと断定したが、抗議活動が始まって初めてのショッキングな死が条例改定反対運動支持者に「引き戻せない」思いを焚き付けた。

その翌日行われた改定草案反対デモは、香港史上最大の200万人が参加する超大型デモとなった。あまりに参加者が多すぎて、いつもデモ行進ルートのメインストリートから溢れ出し、それと並行して走る道をも埋め尽くした(その様子を写真で見るならこちら:https://bit.ly/3GPNUnk )。なお、この日の空前絶後といえるデモの様子を空中から捉えた、見事な映像がドキュメンタリー映画『時代革命』(キウィ・チョウ監督)に採用されている。同作品もまたこの6月に合わせて、1日から中国語版と英語版がオンラインで有料公開されている(詳細は今週の「ぶんぶくニュースクリップ」参照)。日本語字幕版は今年8月末に劇場公開される予定だそうなので、ぜひ映画館のスクリーンでご覧いただきたい。

「時代革命」日本字幕版ポスター

この200万人は激怒していた。100万人の願いを聞き届けないなら200万人が街に出てやる、そんな思いの人たちがすでに蒸し暑い亜熱帯の香港の路面をぎっしりと埋め尽くした。これらのデモの直前、4日にビクトリア公園で行われた天安門事件犠牲者追悼式典に参加したわたしは、そこに座っているだけで周りの人の熱気で汗だくになった。その何十倍の人たちとともに街を練り歩いた人たちはどれほど大変だったことか。

それでも、行政長官は改定草案を撤回しようとしなかった。そして、すべてが始まったのである。

●支聯会の解散

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