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【ぶんぶくちゃいな・無料全文公開】謝海涛「上海浦東ロックダウン日記」

3月28日から上海ではなんと約2600万人が住む街を2分して、時間差で半分ずつ封鎖して徹底的なPCR検査で新型コロナウイルス陽性者をあぶり出す作戦を開始した。

前々回の「上海オミクロン封鎖日記」の謝海涛さんの住む浦東地区は、3月中旬から続いてきた封鎖も解かれないうちにそのまま28日からの4日間の封鎖に入った。前回の日記でもじわりじわりと、封鎖の不便さが伝わってきたが、一挙に都市半分の封鎖となると、もうこれはただごとではない。

そこで、再び謝さんの「浦東ロックダウン日記」をご紹介する。ここではいくつかの大問題になった事件が取り上げられており、上海の街がどれほど混乱しているかが伺える。そして具体的に上海市の政府がいかに対応策を練っているかもわかる。

マクロな封鎖ニュースは伝わってくるが、ミクロな視点でそれがどんなものかはやはり住民に訊かなければわからない。なので、謝さんの体験と、その友人たちの声からこの封鎖、いやロックダウンがいかなる事態を引き起こしているかを体験していただきたい。

なお、前回と同じく、[]内はふるまいによる補足、翻訳の他に読みやすいように段落分けを施した。

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【2022年3月29日(火):家に閉じ込められた浦東、食品を買いに走る浦西】

上海は今日も「川に支配され」て、ぼくの生活もなんとなく分裂気味だ。

しーんと静まり返った浦東にいるぼくの肉体は、ベランダから階下ではじけるように咲く桜を眺め、頭上を飛ぶヘリコプターを仰ぎ見ながら、去年の春を懐かしく感じている。魂は時々、[まだ閉鎖されていない]浦西をさまよい、短い自由を楽しみ、食品を買い漁る人たちを眺めている。

●「下に降りるのもイヤ」

今朝は早くから重苦しい雰囲気が漂っていた。

午前8時前、上海市からのメッセージに皆が驚いた。3月28日、上海の新規感染者は96人、無症状患者は4381人で過去最高を記録した。浦東新区だけで確定者39人、無症状者2467人だ。

隣人のAさんは「うちの団地は確定者が出ないことを祈る」とつぶやいていた。

Bさんは、昨夜近くのある村が鉄板で封鎖されているのを目にし、そこから4人の無症状患者が見つかったらしいと言った。そこはぼくたちと同じくこれまで10日間の封鎖中は感染者が出てなかったのに……彼がシェアした住民委員会の告知はそれが正式なものであることを証明していた。

「目が覚めたら、鉄板で封印されていた。噂に聞いていたとおり、夜中に奇襲攻撃を掛けてくるらしい。びっくりだよ」

しばらくすると、また誰かが「向かいの団地でも感染者が出たらしい」と言った。感染したおばさん自身はめったに階下には降りず、いつ感染したのか分からないそうだ。

隣人たちはすぐに浦東のロックダウン前夜に起きた食料買い出しに思い至った。「あのときだ」

「買い占めは確かにとても危険だわ。買物で感染が広がるってことね」

「ぼくらはラッキーだった。団地がぼくらを外に出してくれなかったからね」

隣人たちは、みんな気をつけよう、食料買いだめは危ないし、団地にデリバリーしてくれる店舗にもリスクはあるぞと言い合っていた。

道に面した団地の入口には青果店があって、その店には団地側に開いた窓があり、団地が閉鎖されてからは住民はそこから食品を買っている。隣人たちはあそこも危険だ、浦東が封鎖される前に沢山の人たちが車で買いに来ていたからね、と囁き合っていた。

ほかにも、団地の敷地内では今やマスクなしでランニングしたり、縄跳びしたりする人が普通におり、マスクを下げてタバコをくわえている人も珍しくなくなっていた。昨日も団地の広場でマスクもせずにスケボーをする人たちがたくさんいたよ、と声が上がった。管理会社と住民委員会に「外出時は必ずマスク着用、団地内通路での喫煙禁止、ランニングやスケートボードなどの激しいスポーツは禁止」と提案しようという声もあがった。

そうしているうちに、一人が「もうピークなのかな?」と尋ねた。

別の隣人は「下に降りたいとも思わない。怖いもの。ゴミ当番を作って防護服でゴミを集めて階下に捨ていくっていうのはどう?」と提案した。

また、「必要がないなら階下に降りないほうがいい。降りるなら距離を保ってね」と言う人もいた。

ある人が提案した。団地入口に届けられる外からの物品(デリバリーされた食品)を管理人に消毒してもらい、デリバリーが家に入ってきたら自分でもう一度消毒し、青果店の窓もきちんと消毒して安全を確かめ、野菜を買う時はマスクと手袋をして、アルコール消毒して距離を保って……

午前9時半頃、居民委員会の関係者から住民のチャットグループに緊急通知が入った。

3月28日午前5時から4月1日午前5時まで、浦東全域を封鎖する。期間中はすべての団地と農村地区で厳格な封鎖管理を実施し、PCR検査以外は一切自宅から出ない、つまり自宅のドアから出ないこと。アパート居住者はきちんとルールを守り、勝手に外出せず、建物から出ないようにする。団地や農村地区の住民が基本的な生活を維持できるようボランディアを組織して、デリバリーや宅配などの非接触型配達を行うこと。

午前10時14分、浦東地区が「浦東新区閉鎖時の外出禁止措置と管理運営の厳格な実施について」を発表した。それによると、3月28日午前5時から4月1日午前5時まで、浦東新区のすべての団地では閉鎖管理が行われ、自宅からの外出全面禁止、人と車両は団地に入ることはできても出ることはできなくなるという。

PCR検査を除いて自宅からアパートの廊下、地下駐車場、露天の中庭などの団地(農村地区)内で屋外活動(散歩、運動、ペットの散歩、集会、喫煙、日光浴などを含む)に出てはいけない。隣人を訪ねてはならず、集会、握手、宿泊、おしゃべりは禁止。

生活必需品は原則的にデリバリー、宅配を用い、勝手に自宅を出てデリバリーや宅配を受け取ってはならず、配達者と直接接触してはならない。デリバリーや宅配の担当者は団地(農村地区)への立入禁止。基本的な生活必需品のデリバリーや宅配は、団地(農村地区)の感染防止担当職員やボランティアが受け取り、受取人の玄関先まで送り届ける……。

●民兵とヘリコプター

ぼくはまるまる一日アパートから出なかった。

隣の団地にはいつものように外を歩く人の姿が見えた。

正午に隣の団地のマイクが外出を控えるようにと呼びかけるのが聞こえた。外を歩く人たちの姿がゆっくりと隔離服や防護服を着た人たちに変わっていった。

友人がネットで流れているチャットのキャプチャを送ってきた。それはこんなものだった。

A:アパートの1階と3階に感染者が出た。ぼくの部屋は5階だけど。
B:階段やエレベーターに気をつけろ。触っちゃダメだ、ため息はついてもいいが、決して息は吸い込まない。4000万無しで外出するんじゃないぜ。
A:4000万?
B:「よたよた」出かけちゃダメってことさ。

午後2時過ぎ、隣人が「飛行機の音がしないか?」とチャットグループで尋ねた。

午後4時45分頃、ベランダの上を轟音とともにヘリコプターが飛ぶのが見えた。数分後、また一台が飛んできた。

写真1頭上を舞うヘリコプター

<頭上を舞うヘリコプター>

SNSタイムラインに、背中に「虹口区民兵」と印刷された防護服の写真が流れてきた。また静安区では感染防止対策に当たる民兵を召集する通知のコピーも流れてきた。

○○同志:
市党委員会、市政府及び上海警察区の指示により、民兵を集中派遣し、感染防止のための緊急対応と支援に当たらせることを決定した。市党委員会及び市政府の手配により、貴君は第一期民兵分隊に編入された。本日14時以降そのまま命令を待ち、正式出動通知を受け取って1時間以内に指定地区に到着されたし。

「民兵なんて言葉、もう何年も聞いたことがなかったぞ」と友人が言った。

●噂は否定されたけど…

ぼくはまさか浦東で蝶が羽ばたいたら、浦西で嵐が起こるとは思ってもいなかった。

後で気づいたのだが、浦東の感染事情が午前に噂を巻き起こしていたようだ。

あるグループチャットのログを見直してみると、午前10時半頃、「浦西住まいの同僚たちよ、浦東がひどい状況で混乱してるので、今夜8時にそっちも封鎖される可能性があるらしい。早めに準備しておいたほうがいいよ」という書き込みが流れていたのに気がついた。

もう一つのグループチャットにも12時13分ごろに誰かがこうつぶやいていた。「浦東の閉鎖は8日間になるらしいぞ。検査を始めたらえらいことになってるのに気がついたからって。明日からは新しい措置が始まるらしいぞ…」

午後2時30分、上海市のネットデマ対策センターが、上海市新型コロナ感染防止対策指導グループは浦西の封鎖が早まるという情報が事実無根であると発表したことを伝えていた。

明日から新しく行われる管理措置として流れた噂、たとえばゴミは一時的に分類せず、住民はアパートドア付近の花壇に置いておけば、管理会社がまとめて清掃するとか、すべての車両は通行証がなければ一律路上を走ってはならない…などというのもすべてウソらしい。

また、この日蘇州河から浦東にボートで漕ぎ出そうとした人がいるという報道もあった。

写真2蘇州河のボート

<蘇州河のボート>

「澎湃新聞」記者は上海境界警備局と港湾公安局にて、2022年3月28日午後5時15分頃、蘇州河付近の団地(非封鎖団地)住民である柏某が感染対策期間中、自宅で過ごすのもつまらないと携帯用カヌーを持ち出し、蘇州河水域を航行していたところを付近を警戒中の警備隊に取り押さえたことを確認した。警備隊は、柏某に厳しく教育を行い、その後無事に自宅に送り届けた。

●ねぎ3本が20元

事前封鎖の噂は否定されたものの、それでも浦西では食品の買いだめが起きた。

午後3時頃、友人が住む長寧地区では事前封鎖の噂で、スーパーはすべて売り切れになり、棚は空っぽになった。

「水が箱ごと買われ、なんにも残ってなかった」。パン屋のパンもすべてきれいさっぱりなくなっていたという。彼女は言った。「今夜たっぷり食べてから冬眠するわ…」

虹口区で働く友人は、午後5時過ぎに自宅前の野菜市場に走ったが門が閉まっているのを見て、別の野菜市場に行き、蟹味噌、麺、餅、トマト、きゅうり、豚肉、スペアリブ、キャベツにコーラ、さらに燻製魚に鶏もも肉、四川マリネ牛、鴨の砂肝干しを買い込んだ。「浦西が今夜封鎖されても怖くはない」と言っていた。

また楊浦区の友人は2軒のスーパーに走ったところ、一つでは牛乳、麺類、インスタントラーメン、冷凍食品などの棚はすっからかんになっており、別のスーパーで常温保存牛乳を1カートンと手延麺2巻を購入した。

この日、上海人の母娘が食材の買い出しの途中でねぎを落とし、それを拾った人を自転車で2km追いかけて取り返したというニュースが流れた。ご本人が、「このネギは3本で20元[約400円]もしたんだから…」とコメントしていた。

写真3野菜は贅沢品

<野菜は贅沢品> 

農村経験のある友人が野菜を溜め込もうとする人たちに、ちょっとしたヒントを授けてくれた。

ジャガイモは長期間保存できる。冷蔵庫に入れる必要はなく、暗くて涼しい場所に置くこと。白菜も日持ちがするし、味に影響もない。空芯菜や春菊、もやしはすぐに悪くなるので、買ったその日か翌日に食べないと、葉が腐ってどろどろの緑色の水が出てくる。カイランは丈夫そうだけど、3〜4日で葉がとれて黄色くなる。アブラナもそう。但し、空芯菜や春菊より2日ほど長持ちする。青梗菜系は1週間置いても大丈夫。最近のニラも1週間は持つけど、冷蔵庫の中に匂いが広がる…。

ある友人は、2日続けて早起きして買物に行ったが、何も手に入れることができなかった。ぼくは少しずつ食べれば、6~7日は持つはずだけど本当に大事に食べなきゃ……。

別の友人は、たくさん野菜をストックしておくのは正解だ、少しずつ毎日ちょっと緑があればいいんだからと言った。

また他の友人は、「1958年の大飢饉を生き抜いてきた母親とおばさんはさすがだ。食糧危機への十分な経験だけじゃなくて、それを直感的に予知する能力がある」と言う。二人がそれぞれ昨年偶然にも10キロずつ麺を送ってくれたそうだ。すでに半年近く食べたけどまだたくさん残ってるという。彼の母は飢饉の時に1日に小さなキャップ1杯のとうもろこししか食べられず、兄弟はそのために餓死したという。中国人の奥底に残る集団意識は、消えそうになるとまた呼び覚まされるんだな。

●「豚半頭買った同僚がうらやましい」

浦西で買いだめが起きている時、浦東では皆家から出ずにどうやって食料を買うかに知恵を絞っている。

最初の封鎖からもう12日が経ち、近隣の住民はグループを組んで集団ネット購入をしている。それでも不便なままの住民もいる。

ある隣人が「明日から食べるものがない」と言った。

もう一人も、肉が手に入らないと言い、「突然、豚を半頭買った同僚がうらやましくなったよ」とつぶやいた。

ある隣人はオンラインサイトに書き込んだという。「某某路某某団地では、300戸あまりの住民が市の求める感染防止対策をしっかり守り、3月18日以来これまで12日間、全員が団地を出ていない。現時点ではPCRの検査結果はすべて陰性だが、生活必需品が深刻に不足しており、住民間で協力が始まっている。関係当局は早急にこれに注目し、必要な生活保障を提供してほしい」

その一方で、浦東新区政府の通知が転送されてきた。「浦東新区全域で封鎖管理中の人たちの生活需要を保障するため、新区党委員会と政府は住民の生活への関心と慰問を表明するため、3月28日から同地区の封鎖管理対象家庭にそれぞれ1つずつ、愛心パックを配布する」

昼頃に、隣の団地で政府が物質を配り始めたのに隣人が気がついた。

ある住民がシェアした住民委員会からの通知にはこう書かれていた。「路肩の屋台から野菜や果物を買わないこと、ある地域の野菜や果物には感染の危険性があるため……重要なことなので3回繰り返す。食品の買い出しには行かないこと、行かないこと、行かないこと。上海の物資は十分にある。野菜は各地から上海に送り込まれてきているのだから」

午後になると、団地に届けられた贈り物の野菜の写真をネットにアップする人が出始めた。トウモロコシ2本、大根4本、ニンニク6個、青梗菜1パック、セロリ1パック……。

この日、隣町でも生活物資が配布されたようで、友人グループである人が腐ったニンジンをアップして、「3日前に食べればよかった、あの時はまだ大丈夫だったのに」とつぶやいた。

「突然1973年の文化大革命期に戻ってしまったようだ」と言う人がいるかと思えば、「レタスが2個で34元[約660円]もしてくらくらしたが、それもあっという間に売り切れた」と訴える人もいた。

●一般市民の救援依頼

夕暮れ時、ドアが激しくノックされたのでドアを開けると、近所の人が「早く野菜を取りに行け」と言う。階下に下りると、アパート入り口前で白づくめの人が、野菜を入れた袋を4、5個並べて待っていた。「どこから来た野菜?」と尋ねると、白づくめは「政府だよ」と言った。

団地封鎖から12日目にして、感染中心地域の住民のぼくはやっと政府の福利を味わった。しわしわのピーマンと唐辛子、レタス、生姜、そして赤玉ねぎが入っていた。

写真4政府の愛心パック

<政府の愛心パック>

大きな贈り物に、隣人たちのチャットグループは感謝の声で盛り上がった。

夕方、「物資は届いたか?」と川さんが尋ねてきた。「なぜ、あちこちで物資パックが配られているのにぼくのところには何もないんだろう?」と言った。

ちょっと申し訳なかった。まだ物資を受け取っていない友人がたくさんいること、物資よりもさらに大きな救援を求めていることに気がついたからだ。

インターネットには「皆さん、一般の上海人の救援信号に注目して!」という記事が流れていた。そこでは、手術のために上海に来た聴覚障害児の母親や血液透析患者の隣人の話、高熱を出した幼児の親、化学療法中の患者の子供たちなどが助けを求めていた……

その記事の筆者は「なぜぼくがこれをまとめて投稿し、注意を喚起しているかって? あなたのシェアが本当に命を救うことになるからです!」と強調していた。

ふと友人を思い出した。彼女はここ数日間、「微博 Weibo」(以下、ウェイボ)で6、7本の救援要請をシェアしたところ、書き込みができなくなったと言う。「何もできないけど自分にできることをする。困っている人たちの情報を伝えるだけでもいいはずよ……」


【2022年3月30日(水):自分の人間らしさを問う】

今日は多くの人たちが王さんのウェイボの書き込みをシェアしていた。彼女の書き込みはこうだった。

近くのショッピングモールで食品の流通や配達の仕事をしているらしいおばさんたちが、政策に従ってモールが閉鎖されたため借りていた家に戻ってきたところ、団地の住人から危険な存在として警察に通報された。

警察が調べたところ、彼女たちは26日のPCR検査結果しか持っておらず、その日受けた検査報告はまだ結果がアップロードされていなかったため、団地から「追い出され」たというのだ。

これがその団地の住民たちの間で議論を巻き起こした。

「彼女たちはモールの食品配達を請け負っているのよ、隔離されている私たちは彼女たちがいなかったら、どうやって物資を確保するの。理解してあげるべきだ」という声が上がった。

ある人は、団地内の借りた部屋に帰宅するのは彼女たちの権利だし、現実的に考えれば、外出を控え隔離させ、PCR検査をそこで受けさせればいいだけ、追い出す必要はないと言った。

ある人は、集団に部屋を貸すのは間違っているので禁止すべきだと主張し、これまで団地の住民が1カ月間も陰性無しで頑張ってきたのに、なぜ彼女たちのために無駄にしなければならないのか、潜伏期を考えると48時間以内のPCR検査結果がなければダメだ、と言い張った。

王さんは、それぞれの住民にも言い分はあり、それぞれがみんな強圧的ではないものの、おばさんたちが追い出される姿を見るのは辛い、本当に追い出さなければならなかったのかしら?と述べている。

王さんの書き込みは多くの人たちにシェアされた結果、その団地の住民の目に触れた。そして突然、彼女は住民たちにあぶり出された。「彼女は団地の裏切り者、警察に突き出すべきだ」と叫ぶ人もおり、今度は彼女が追い出されかけている。そして実際に警察に通報されてしまい、件の書き込みは削除されてしまった。

おばさんたちが追い出されたのは、48時間以内に行われたPCR検査の陰性証明書がなかったためだ。警察は上海の一部の公共施設で適用されている感染防止措置を参照したのだろう。例えば、外から上海に来る時には48時間以内に行ったPCR検査の陰性証明書が必要であり、職場によっては従業員も48時間以内の陰性証明書がないと出勤できないことになっている……。

つまり、おばさんたちは48時間以内の陰性証明書ルールのせいで、部屋を借りていた団地から締め出されてしまった。

●おばさんと周看護師の悲劇

この事件で看護師の周さんを思い出した。喘息の発作を起こした彼女は、勤務先の救急外来に向かったが、そこが感染対策のために一時閉鎖されており、他の病院に向かったが結局間に合わず亡くなった。

さらにあるチャットグループで見かけた、病院の警備員が重病の患者を遮ってかけたという言葉を思い出した。「人が死のうが、PCR検査がなければ入れないぞ!」。

こうした事件はいずれも感染対策中の特殊な時期に起きたもので、当事者は感染対策のために生活どころか生命の危険を脅かされている。

おばさんたちが追い出されたケースは、おそらく警察に通報した住民は間違っておらず、ただ自分の身を守るために感染対策措置に従っただけだし、警察の判断も間違っておらず、おばさんたちも間違っていないのだ。しかし事実は起きた。

周看護師のケースの時、ある友人も言っていた。「措置を採った人は誰も悪くない。みんなが自分の持ち場できちんとその任務を遂行したが、そこで悲劇が起きた」

ここに「悪の凡庸さ」(悪とはいえないかもしれないが)を感じる。頭を使わずに遂行するだけの「凡庸さ」のことだ。

同じような事件が繰り返されることに、寒々とした思いになる。それは手段の追求が目的の追求に勝ると考える、社会全体を覆う道具的、合理的な考え方がもたらす冷たさからくるものだ。

感染対策の究極の目標は、人々の健康と安全を守り、生活をより良いものにすることのはずだ。しかし、一部では感染対策措置がすべてに優先し、妥協を許さず、あるいはあらゆるレベルで実施しなければならないとされてしまい、時には個人の生命に影響するような特殊な状況を引き起こす。そのことへの反省は必要だろう。

道具的合理性の先には価値的合理性があるのは間違いない。堅苦しいルールには、人としての温かさが必要なはずだ。

ある友人は「感染症は人間性の試験紙であり、政府の政策の試験紙だ」と言った。

おばさんの追い出しも周看護婦の悲劇も、同じように人間性が問われる出来事である。困難は人の悪を引き起こすこともあるが、人間性の善を呼び起こすこともできるのだ。

善良な人間性は冷えきった世界において暖かさをもたらしてくれ、ルール運用の硬化によって生じた欠点を補うことができるはずなのだ。

●堅苦しいルールにも人間性を

感染対策にもっと人道的な配慮があれば、何か特殊な状況に直面したときに、こちこちになったルール以外の空間を広げて、社会の葛藤を和らげることができるはずだ。

周看護師の悲劇について話し合っていたとき、ある友人は「感染拡大期に、あえて規則を破って救急患者を引き受けるような医者はいないんだろうか。いてほしいな」とつぶやいた。

ぼくもいてほしいと思う。だが、流れてきた別の動画で、白い防護服を着た人が救急車の中に座り、助けを求める家族に無表情で自動体外的除細動器(AED)の貸し出しを拒否するのを見て、ぼくは憤りを覚えた。それを貸すことで生命が助かったかもしれず、それは感染対策ルール違反ではなく、たかが病院のルール違反程度だったはずなのだ。

怒りの一方で、その人物が受けるプレッシャー、そしてそこからくるコストを無視して個人にルール違反を強要できないなとも思った。

政策担当者は具体的な感染対策措置を考える際、より科学的かつ人道的に考えてほしい。特定の感染対策措置が特殊な問題に遭遇した場合、ルールにとらわれない人間的な運用を行う余地を残すべきなのだ。

例えば、周看護師の悲劇の後、上海市当局は感染の予防と管理のために一部医療機関の救急部門がコロナ患者を受け入れた後診療を停止することが、通常の診療に不便をきたしていると痛感した。そして医療機関と医療スタッフに対して以下のような要求を行っている。

科学的で標準化され、合理的な予防と管理措置を取り、感染対応により医療機関が閉鎖、休業、停止しないこと。医療機関における感染リスクを総合的に検討し、科学的かつ的確な閉鎖・管理に関する提言を行って、閉鎖・管理の範囲を的確に定め、規範に従って環境消毒を行った上で直ちに診療を再開すること。救急クリニック、発熱クリニック、透析室、手術室、集中治療室、分娩室については「必要な場合を除いて閉鎖管理せず」とし、バックアップエリアの緊急対応策を策定すること。さらにバッファ病棟や同エリアを設置すること。

後付になってしまったが、これは人道的な措置といえる。医療機関が周看護師のような事件に遭遇したとき、適切に対応し、対応できるようにするものだ。この措置は市民の気持ちに沿ったものだと、ネットユーザーにも好意的に捉えられている。

●弱者を助けるのは普通のこと

48時間以内のPCR検査結果を持っていなかったおばさんたちに対して、ある住民が提案した「外出禁止+自宅PCR検査」の要求は悪くない解決策だった。そうすれば、彼女たちを「追い出す」には至らなかったはずだ。

生命の危険に直面したとき、そして困難に追い込まれた他者に直面したとき、一人ひとりが自分の人間性を自問することになる。今後自分が同じような目に遭うことはないのだろうかと問うことも必要となる。

感染拡大において、みなが苦しんでいる。地域の人たちは、敵意を減らし、お互いを助け理解し、支援し合うべきだ。人に親切に接することは、その人に花を贈るようなもの。一方で他人への悪意や意地悪は必ずしも裏目に出ないとは限らない。

感染期はいつか去り、生活は以前と同じように続く。健康で文明的な社会では善意があり、他人を大切に扱い、弱者を助けることは普通のことなのだ。


【2022年3月31日(木):孤島にいるぼくたち】

5分ほどの間に3人が通り過ぎた。

一人の防護服が、カゴに荷物を積んだバイクで走り去った。

もう一人の防護服が、背筋を伸ばし、両手にバッグを持ってバランススクーターで通り過ぎた。

商品を山盛りにしたカートを大きな音を立てて押しながら歩く防護服がいた。

その他目に映るのは花、木、赤い家、そして続いて鳥の鳴き声がクークークーとカッコウのように続く……。

浦東地区閉鎖の4日目、団地封鎖から14日目の午後4時過ぎ、ベランダで物思いに耽るぼくは孤島流しにあった気分だった。

午前9時30分、仕事中にスマートフォンのバッテリーが20%を切っていることに気がついた。充電器が電源に接続されているのにスマホが反応せず、ケーブルの不具合かと別のケーブルに交換したが、やはりダメだった。充電器の故障かもと思って別のに交換したが、それでもスマホは反応しない。電源を切って再度充電したら、画面にいつもの赤いブロック模様が表示されて安心したけれど、いつまで経っても赤いブロックが緑にならず、次第に薄くなり、ついに赤いブロックが消えてしまった……。

感染拡大前にケーブルや充電器を買い替えたばかりで、スマホのバッテリーも交換し、食料品もまとめて仕入れ、万全の態勢で臨んだはずだったのに、なんと肝心な時にスマホが壊れてしまった。まぁ仕方ないか、7年も付き添ってくれたんだから。

しかし、大変なことになった。スマホがなければ、家にブロードバンドがなく、家から出ることもできず、外界から遮断された状態になってしまう。インターネットも使えないし、デリバリーサービスで食品を買うこともできず、団地のグループ購入にも参加できず、PCR検査情報を確認することすらできず、上海の最新封鎖規制情報もわからず、団地の最新事情すら……。

スマートフォンではない古い携帯電話を探し出して、浦西に住む友人に電話してネットで中古スマホの価格を調べてもらおうとしたら、その友人が自宅にiPhone6があるから貸してくれると言う。そして宅配便業者に連絡してくれたのだが、しばらくして電話がきて、浦東と浦西を往来する宅配作業はすべてストップしていると言った……。

●「持久戦に備えよ」

自宅にいるぼくは落ち着かなくなった。まるで世界から見捨てられたようじゃないか…スマホは世界へにつながる窓のようで…ぼくは、自分がそこらの野草や木のように、生きていようが死のうが誰も知らない世界にいる気分になった。

感染拡大はさまざまな変化をもたらしている。浦東や浦西の友人たちはどうしているのか、十分な食料はあるのだろうか、猫のトイレ用砂は足りているかな、高血圧の薬を手に入れる手段は見つかったのか、おばさんが病院に行くのを団地は認めたんだろうか…ぼくにはなにも分からなかった。

この異常な時期、誰もがそれぞれ孤島になりかねない。その孤島は家であったり、地域であったりする。また浦東全体にも、浦西との連絡が遮断されてから孤島のムードが漂っている。

うちの団地も孤島みたいなものだと感じている。感染拡大地域のど真ん中にあり、周辺地域はすべて陥落し、四方八方から陽性患者が出ている。まるで新型コロナウイルスの海にいるようなものだ。うちの団地は8回のPCR検査でも全員陰性の記録を維持し続けているものの、まだ封鎖が解かれる兆しはない。

団地の住民たちは連日、封鎖解除を楽しみにしていた。だが、浦東全域が封鎖された4日間の最終日には封鎖解除に対する熱意はそれほどなくなっていた。

この日、上海では新規感染者数が過去最高を記録した。また浦東団地内での感染者数も増加し、無症状感染者の数は若干減少した程度だった。具体的な数字は忘れた[訳注:新規陽性358+無症状4144]けれど、とにかく高かった。団地の清掃員も初めて防護服を着用するようになった。

朝、ある隣人が「本当に解放されても、今は外に出るのが怖いわ」と苦笑いの顔文字付きで言った。

別の隣人は「持久戦に備えなきゃ!」と言った。

団地では食品購入難が続いている。最近は熱心な隣人たちがグループ購入を呼びかけるようにはなったものの、自助努力ではまだまだ困難なことも多い。

赤ちゃんの紙おむつがなくなったと言う隣人。「このままでは使い捨てマスクが足りない」という声。また、「ネット購入したものが8日経っても届かず、毎日のようにさらに先延ばしになっている」という人もいる。

団地の沿いの通りの、団地向きの窓を持つ青果屋は、閉鎖後の団地住民にとって食品買付窓口になった。だが、ある隣人が言った。「あの店で買うのが不便になった。窓からのぞくと、外から買いに来ている人がたくさんいる。毎日3、4台の車が何度もやってきては山ほど買っていく。店員も忙しすぎてご飯を食べる暇がないと言っていた。そうなると、抵抗力も落ちるからウイルスに感染しやすくなってしまう。あの店はわたしたちにとって唯一、感染措置から漏れていたけど、もし感染者が出たらうちの団地も危ない……」

ある隣人が住民委員会に当ててメッセージを書いた。

  野菜購入ルートが減り続けており、住民は真夜中までネットで野菜を買い求めようと頑張ってもなにも手に入れられない。先日政府が届けてくれた野菜のパックの後、何も手に入らなくなった。団地のために住民委員会にも民生問題の解決方法を考えてほしい……。
  情報によると、アリババの食材集団購入サービスはすでにすぐそばまでデリバリーできるようになったらしい。我われの住民委員会にもぜひ我われの団地までカバーできるように働きかけてほしい。あの団地のように居民委員会が毎日、食品リストを提供してくれれば、我々の生活は守られるのだから……。

●野菜とデリバリーサービス

PCのSNSページには朝9時半前のメッセージが残っていた。まだ外の世界とつながっているふりをしつつ、ぼくは一つひとつに目を通した。

浦東に住むある友人は、「政府配布の愛心パックが届いた。お目当ての牛バラや卵は入ってなかったけど、それでも潤沢だ」と言った。浦西の友人によると、近所の大型倉庫にたくさんの野菜が積み上げられているけれど出荷できずにいるらしい。上海の物資調達能力はすごいけど、末端で人手不足になっているのだそうだ。

ふと、3月30日にぼくが配給物を受け取った時、まだその影も見ていないと言った友人のことを思い出した。団地の住人がボランティアに応募して住民委員会に入ったところ、物資配送の連絡が来ていないと言われたそうだ。そろそろ浦東の封鎖も解除になるが、やはり配布される様子はないという。

彼の団地は目下、基本的に住民のグループ購入で賄ってるそうだ。自分で朝6時起きでネットデリバリーサービスをあさっても、なにも手に入れることができなかったという。彼は今日あたり、愛心パックを受け取れてたりするんじゃないのかな?

●浦西の「年越し」

ぼくの頭の中では、浦東全域封鎖の間、浦西は自由な世界だと思っていた――もちろん重点感染地区は封鎖されている――が、あそこは戦争の頃、本当に孤島になったところだ。当時は蘇州河が境界線で、戦火に封じられた。そして今日は、黄浦江を境に感染症に封じられるというわけだ。ただ、その自由も4月1日に封鎖されるのだ。

だが、浦西のいくつかの街では、すでに4月1日をまたず、アクションが起きていた。

パソコン版のWeChatには3月30日に受け取ったメッセージの残骸が残っている。

午前1時すぎ、友人が「階下が板張りされた。明日はおそらく外出できない」とつぶやいていた。

午前には、「封鎖は2日、加えて健康観察が12日。遠くに住む友人からの励ましが嬉しい。封鎖が終わったら杭州にタケノコを食べに行き、実家で野菜をほってくるわ」と言う友人もいた。

「野菜のネットサイトに行ったら、野菜がかなり安くなっていた、ただ種類は多くないけど、レタスやネギがたくさん残っていた。小型生産者の野菜は値上がりしてた…」とつぶやいている人もいた。

あるネットユーザーは、「今の上海では、野菜はぜいたく品」と言っていた。

午後、別の友人が虹口区の道路沿いが通行止めになったと言った。

友人が暮らすアパートの階では疑似接触者が出たらしく、アパートから出ないようにという張り紙があったものの、外出禁止にはなっていないそうだ。隣人たちの間では、「31日にはすべての店が閉まってしまう、最後の買いだめが起こらないように…」と言われているらしい。

午後その友人が外に出ると、周囲の商店はすべて閉店していた。近くの団地が午後から閉鎖されており、陽性者が出たという。突然の閉鎖だったらしく、中の人が出て行こうともがいていた。自分はここの住民じゃない、住んでいる親戚に届け物に来ただけだと言い、外からも中に入りたがる人がいて……しばらく騒ぎは続いたという。

夕方には、友人のアパートが封鎖10日目に突然封鎖が解除されたので、友人はさっと団地から飛び出した。通りは粛然としており、道の両側の団地はすべて封鎖されており、いつも買物をする青果店も閉鎖され、小さなスーパーの中は黒山の人だかりになっており、その他の店は開いていなかった……。

彼がアパートに戻ると、2階の家にまだ2つの大きな封鎖シールが貼られているのを見た。この家族の祖母と小さな孫娘が陽性で、すでに搬送され、祖父が一人は家に残されているという。

夕方、あるネットユーザーが冗談交じりに言った。「指おり数えてみると、今日は浦西の大晦日じゃないか」

午後8時過ぎ、ある友人が居民委員会からこっそり情報が回ってきて、アパートで「羊」(よう)つまり陽性が出たからあとでPCRを受けに行くと言った。

さらにもう1本、3月30日に友人が送ってきた通知を目にした。

各業者各位:上海市政府の統一手配により、浦西地区では4月1日から5日にかけてPCR検査が実施される。
  現時点での政府通達により、〇〇地区は3月31日17時に全面的に運営ストップし、企業、ショップ、ホテル、宅配、デリバリーなどすべて一律運営を停止し、交通信号も赤信号となる。
  市場は政府の要求に基づいて、31日午後4時から人払いを始め、5時に全出入口を閉じ、すべての人の出入りを禁止し、むりやり中に入ろうとする者には厳しい罰則措置を採る。再開は4月5日午前8時ちょうど、その後は特別な事情がない限り、通常業務とする。

あっという間に3月31日、浦西全域が封鎖される前夜となった。スマホが切れる直前、自由な世界に別れを告げる友人たちの姿がそこにあった。

ある友人は「封鎖前の最後の時間を楽しまなきゃ」と言った。彼女は確か、以前は防護服を着てボランティアをしていたが、今日は愛犬と遊びに出かけたようだ。

「これが今月最後のランニング。明日から走れないと思うと気が重い。ハナズオウが燃えるように咲き、紅葉の青葉が出始め、夜桜が満開な様子を眺めていたら、悲しくなった。犬だけが大きな骨を加えて、のんきに楽しんでたけど……」

●感染期協力互助グループ

夕方になって浦東では雨が降った。次第に気温が下がり、秋のようだ。

黄昏時、ぼくは昨日保存しておいた記事「感染下の上海で助けを求めるグループ」に丁寧に目を通して、心が苦しくなった。

そこでは、食品が買えない一人暮らしの高齢者、妊婦健診が必要な妊婦、海外から治療を受けに上海に来たガン患者、血液透析が必要な腎不全患者の家族、化学療法が必要な胆管ガンや末期胃ガン患者の家族、突然重症統合失調症の発作に見舞われた患者の家族、緊急手術を要する網膜剥離患者、処方薬が必要な慢性病患者、集中隔離に送られ食事や水を求める感染者、アパートで陽性患者が出たのに4日もそのままにされ、廊下が消毒されていないと訴える住民などが助けを求めていた。

また、「あの通りは血液透析の必要な患者がごろごろいる。わたしの母は亡くなった。遺体はすぐに火葬されてしまった……」という書き込みも見た。

ある友人は大学の友人がその通りに住んでいて、彼らの団地には10日間、野菜の影もなく、グループ購入もさまざまな理由で断られてしまったと言う。その理由は「十分な配送ができない」「閉鎖管理されているから取りに行けない」「卸業者の野菜が市の取締りで没収された」「我がサービスはそちらの団地には届けられない」「集団購入する農場で陽性者が見つかり閉鎖された」などなど。

読みながら悲しくなった。

感染拡大で、すべての人が苦しんでいる。ぼくのように家にこもっていればいい人間に比べて、助けを求めている人たちは本当に苦しんでいる。その苦しみはあまり知られず、助けも間に合わず、それこそ孤島にいるようなものだ。

彼らは注目されるべきなのだ。人々を苦しめ、空回りする建前なんかいらない。純粋に人間として、孤島の地理的環境をぶち破り、彼らに注目し、彼らのために声を上げ、彼らに救けが届くようにしなくては。

そういえば、上海暮らしの武漢人が5つめの「上海感染拡大期相互協力グループ」を立ち上げたことを思い出した。

(謝海涛WeChat公衆アカウント「大時代小記事」より)

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