【読んでみましたアジア本】びっくり、ただの漁村じゃなかった植民地前の香港:魯金・著/倉田明子・訳『九龍城寨の歴史』(みすず書房)
今年6月、ちょうど香港デモ5週年にあたるということで津田大介さん主宰の「ポリタスTV」で香港の話をした(https://youtu.be/8k_6Kfib-aI?si=-LMaalDAepLvOgMJ )。
その「香港の話」なのだが、実は当初、津田さんからご相談をいただいたときは「デモから5年になりますし、この5年間の香港の変化について」というお話で、筆者もそれで話をするつもりで準備を進めていた。しかし、収録直前に「やっぱり視覚資料があったほうがいいな」と考えて、デモについての基本資料のつもりで年表を作り始めたところ……
誰でも知っている(はずの)香港の主権返還からデモに至るまでの主要ポイントを年表に書き込んでいたら、これもあれもどれも、「たぶん一般の日本人は香港でこんな出来事があったなんて知らないし、またそれがなぜデモに関係するのかもわかっていないぞ」と気付いた。つまり、デモに至る年表なんか見せたら、きっと視聴者は逆に混乱してしまいかねない。
そこから、うわわーと、あれもこれもどれもそれも説明しなければ、と準備を始めたところ……結局、本番の主題が、「2019年デモに至るまでの香港の歴史」になってしまった。(事前打ち合わせ嫌いの)津田さんはまったく知らないままにわたしにつきあわされて、現場でテーマ変更となってしまったわけである。
その番組にはもうひとり、元朝日新聞記者の宮崎園子さんが進行役を務められた。彼女は父親が香港に駐在していたおかげで子ども時代を香港で過ごしたという。期間は1980年代初め(主権返還が決まる前)から1990年代初めだそうで、わたし(1987年〜)とは微妙に重なっていながら、子どもだった彼女の視点と、成人済みだったわたしの視点とは微妙な違いもあった。
本番でその頃の話をしていたら、宮崎さんが「いろいろ言われてはいたけれど、当時の香港はとても安全だった。特に『危ない』と言われていたところに行かなければ」と言い、「『危ない』ところとは?」と尋ねたら「九龍城とか」という答が返ってきた。
そこで、わたしの「記憶」が呼び戻された。実は「九龍城」という地域は今でも存在しているが、「危ない」場所としては認知されていない。というか、もともとわたしたちが暮らしていた頃、「九龍城」という名前には2つの意味があった。
一つは、住宅すれすれのところを降下していく空港として世界中に知られていた、当時のカイタック空港とそれらの住宅がある地域一帯。もう一つが、その九龍城地区の一部にあり、正式には「九龍城寨」と呼ばれていた「三不管」地区である。まさにこの九龍城寨こそが、彼女が口にした「『危ない』場所」だった。
「九龍城寨」は「九龍城砦」と書くこともある。「砦」と同じように「寨」には砦の意味がある。また、中国語の「城」にはそのものずばりの「お城」という意味に加えて「街」という意味があり、この「街」とは城を中心に作られた壁である「城砦」(「砦」は特に「石作りの壁」を指す)で囲まれた地域をいう。
ただし、九龍城寨にはもとより「城」はなかった。だが、なぜそこが九龍城寨と呼ばれるようになったのか、そしてその九龍城寨はいったいなぜ「三不管」となり、「危ない」と言われつつ香港において存在感を持っていたのか。それについて史料をもとにまとめているのが、今回ご紹介する『九龍城寨の歴史』の原書『九龍城寨史話』である。
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