【読んでみましたアジア本】国際性と民族性を維持するための知恵と努力:田村慶子『シンガポールを知るための65章』(明石書店)
今、中国及び香港でシンガポールに熱い視線が注がれている。
いや、香港での反応をもっと正しく表現するならば、「政府関係者はシンガポールという言葉に青くなる」というべきだろう。
というのも、今や人材や企業や、さらには資金もビジネスチャンスも香港からシンガポールに流出しているのは間違いないからだ。10月中旬に就任後初めての施政演説を行った李家超・香港特別行政区行政長官は「搶人才」をその施策目標の一つに掲げた。
「搶人才」とは「人材を奪う」という意味である。「誘致」どころの話ではない、「奪い取る」という強い言葉をある種のスローガンにしてしまった李長官のセンスに、眉をひそめる人も少なくない。だが、香港はそんな人たちにはかまっていられない、とにかく人材を「奪わなければならない」事態にまで追い込まれているのだという緊迫感も伝わってきてなかなかよろしいのではないか(皮肉)と筆者は感じている。
しかし、長官はその一方で「香港の魅力はそのDNA」などというわけのわからない説明を展開し、自ら「奪う」という言葉を使いながら自分たちが「追い込まれている」ムードを払拭しようとしている。
まぁ、そんなこんなで彼らが求める人材の誘致が本当に出来るのか、お手並み拝見と以降ではないか、というところである。
香港から「人材」が流出しているのは、人びとがすでに香港には将来の希望を見いだせないからだ。簡単に言えば、政府の指針や今後の将来性への信頼感を失ったせいでもある。その信頼感喪失のきっかけになったのは、間違いなく2019年の市民デモに対する政府の対応だった。
今振り返ってもため息しか出てこないが、2019年6月に呼びかけられた市民デモはその始まりは「善意を信じた」ものだった。もちろん、政府が提案した逃亡犯条例改定案に対する激しい不満や批判を含んだデモであったのは間違いないが、それでも「市民が合法的に平和な反対の声を上げるデモを行えば、政府はその意図を理解し、再考するはず」という政府への信頼感から起きたものだったことは間違いない。その結果、100万人の市民がその意思表明に参加した。
だが、それを当時の行政長官であり、また逃亡犯条例の改定の言い出しっぺだった林鄭月娥氏が、デモが行われたその日の夜に「改定案の審議は予定通り行う」と宣言したことで、市民の間に「信用を裏切られた」という思いが一挙に広がった。
事態があれよあれよと悪化したのは、その折々に「市民の信頼」が繰り返し裏切られた結果だった。もちろん、市民でもない第三者が見れば、「政府を信用するなんて」「権力を信用するなんて」という笑い声も上がるのかもしれないが、よく周りを見渡してほしい。実際に安定した社会とは実は法律で押さえつけられた結果ではなく、相互の信用、信頼感で成り立っているものなのだ。
結局、デモ後半はその「信用」をすべて裏切った上で政府が「法律」「司法」という「権力」を振り回す光景となった。そこに市民の深い失望がある。さらに翌年の香港国家安全維持法にしても、それこそ香港市民が信頼できないと考える中国政府による強権的な法律付与であり、だからこそ市民の香港司法への期待感も激減した。
信頼感を失った社会がどうなるか。それが今の香港と言えるだろう。移民を選択する人たちが続出し、その行き先はほぼすべてが「信頼できる社会」である。異文化だろうが異国だろうがそれでもいい。「信頼できる社会」であれば、自分もその信頼を守りたい、子どもたちを信頼感のある社会で育てたいと考えている。
移民の本質はそこだ。
同時に中国国内でもここ2年半あまりのコロナ措置を経て、富裕層のみならず、少しでも海外にツテがある人たちが海外移住の道を探し求めている。「暮らしにくい」という単純な理由ではない。これまで彼らが信頼していたシステムが突然、法律も個人の権利も踏みにじるシステムへと変貌したのである。ここに来て「潤」(中国語の読み方「run」が英語の「run」と同じ)が密やかに、一般庶民の間でも語られ始めた。
外へ外へ、早く早く…そして、今こうした人たちの熱い視線の先にあるのが、シンガポールである。
●アジアの「二」小龍の背景
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