【読んでみましたアジア本】出自と記憶、知識とイマジネーションを駆使して自由で多面的なSF世界:ケン・リュウ『生まれ変わり』
今年から、もっとアジア全体のことを知りたくて、この書評号も「読んでみましたアジア本」とタイトルまで変えたのに、どうもパンチのあるアジア本がなくて困っている。
一般の理解につながるものを、という主旨なので、研究者が書く堅苦しい学術書は基本的に手に取るつもりはなく、もちろん旅行観光本もさすがに「読んでみました」といえるものではないので除外。あと、極端な感情をほとぼらせ、読者もそのムードに巻き込むことを目的にした本は、以前の中国本のときから論外とみなしていたので除くと、本当に「日本、大丈夫か?」と思うほど、一般の人がアジアを知るための本が出版されていないことに気づいた。
実は、香港時代に買って読んだあるアジア本をもう一度紐解きたいと思ったりもしたのだが、たぶん、重なる引っ越しの合間に古本屋に売ったか、誰かにあげたか、あるいはまだ開いていない引っ越し段ボールの奥底に眠っているのか――仕方がないのでネットで探したが、ほぼ中古本も出品されていない。同様のテーマの後続本でも、と思ったら、なんと…出ていないようである。
言っておくが、わたしが探しているこの本のテーマは、ご当地ではレアどころか、長い間続く社会問題の一つなのである。中華圏ではないその国についての本を初めて手にとったのはなぜだったか、すらも覚えていない。でも、昨年参加したジャーナリスト・フェローシップで、アジアから来ていたフェローがそのことをずっと書き続けている記者さんだったのだ。彼と「その話、もうずっと前に読んだことがあった」と記憶に残っている話題を引っ張り出しておしゃべりしたところ、たいそう喜んでくれた。
だから、フェローシップから帰ってきてからもう一度、本を読み直し、知識をもっとクリアにしたかったのだ。だが、本が手に入らない、さらには後続の同様テーマ本もまったく出ていないとは。
これが、1990年代にバブルが弾けた後に「アジアの時代」「日本もアジア」と言い続けてきた国の知の現状なのだ。
わたしが注目する中国も、「一帯一路」政策の推進と合わせてゆっくりと軸足を北京の南西へと動かしつつある。すでに、もしかしたらプロパガンダかもしれないが、それでも中国西南部の変化が時々記事になって流れている。
日本はその「一帯一路」に協力の姿勢を見せているけれども、あくまでも「協力」であって、東南アジアでの存在感を維持、あるいは確保するにはさらなる資金や技術や、そして人材を投入する必要がある。もちろん、足りなければ育てなければならない。
だが、一般書すらほとんどないとなると、たとえアジア理解の必要性に自ら気づいた人がいたとしても、手のつけようがないのである。
こんなお寒い状態で、我われ日本人は本当にアジアとの連帯を続けていけるのか?
…頭の痛い状況である。日本にとっても、そしてこの「読んでみましたアジア本」にとっても。
●アジア人であること、「異」であることの意味
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