香港マクドナルドの夜。
MISA SHIN GALLERY:東京都港区南麻布3−9−11
高山明「マクドナルド放送大学」
2018年11月23日(金・祝)~2019年1月19日(土)
Tuesday-Saturday 12:00-19:00
Closed on Sunday, Monday, National Holiday
知り合いの辛美沙さんが、この展覧会の記事をシェアしてて、それを読みながらふと思ったこと。
世界的にマクドナルドが「行くところのない」「帰るところのない」人たちが集まる場になっているのか…と。
香港もそうだ。以前、マクドナルドでホームレスの人が突っ伏したまま亡くなっていたというニュースもあった。
わたしも今秋にフェローシップで2ヶ月間滞在した時、こんな体験をした。
インド人と香港人のフェローと3人で、香港で最も貧しい人たちが住んでいるといわれる地域のボランテイア活動をのぞいた後、深夜のマクドナルドに立ち寄ったところ、食べているわたしたちにピッタリとくっついて、じっとインド人フェローを見つめる女性がいた。
あまりに露骨だったので、わたしはちょっとイヤだった。そのときは彼女がホームレス/帰るところがない人だとは気づいていなかった。身なりもきれいだし、普通に深夜に仕事を終えてそこで一息ついている、そんな感じの人だったから。
でも、香港人フェローが「食べる?」とポテトを指差して声をかけたら、はにかんで「いいわよ」と笑ったけれど、そう言われたことを「失礼だ」といった素振りを見せなかったので、「あ、そういうことか」と気がついた。
そこから、英語をはさみつつ、「ここで何してるの?」「ご飯は食べたの?」「お仕事は?」みたいな話になり、彼女も嬉しそうにおしゃべりしたけど、やっぱり明らかに自分の生活については言葉をはぐらかす。でも、おしゃべりできて嬉しいという楽しげな表情を浮かべ続けていた。香港人フェローもインド人フェローも、こういう状況をたいへん心得ている人だったから、わたしはその会話におそるおそる混ぜてもらったという感じだった。二人の気遣いもびんびん伝わってきたし、下手にわたしが口を挟むとなんか違うんじゃないかと思いながら、はじめての体験をした。
わたしたちもヘトヘトに疲れていたし、夜も遅かったので、そろそろ帰ろうか、ということになり、食べきれなかった(食べるつもりて頼んだけど、彼女と話しているうちに食欲よりも胸が締め付けられて食欲を失ってしまっていた)分を彼女に譲り、店を出た。彼女はいらない、いらないと言いつつ、わたしたちが「お腹いっぱいになっちゃったの、食べてくれると嬉しい」と差し出すと、そうなの?じゃあ、と受け取った。
店の外に出ても、彼女はガラスの向こうから手を振ってくれた。よく目を凝らすと、店には彼女のように一人、ぼんやりと座っている人たちがほかにも何人かいた。
彼女の直ぐ側に座っていた香港人フェローが、「あれは家庭内虐待だ。帰りたいけど怖くて帰れないんだ」と言った。たしかに話している途中で、彼女が「転んだの」とあざを見せてくれた。そこから注意していたら、「首にも、腕にも傷があった」という。
わたしはその後も昼間何度かそのマクドナルドの前を通った。でも彼女はいなかった。仕事に行っているのか、それとも暴力を振るう家族のいない家に帰ったのか、わからなかったけれども。
インド人フェローはフェローシップが終わって帰国する直前にも、一人で彼女に会いに行った。行ってみるよ、と言うからわたしも行きたかったんだけど(彼は英語オンリーの人なので言葉通じないし)、その日はプロジェクトのインタビューが入っていて、どうしても行けなかった。最後の最後の週、一人ひとりがラストスパートでそれぞれむちゃくちゃ忙しくなっていた時、彼は彼女に会いに行ったのだ。
すると、写真付きのメッセージが来た。「これ、どういう意味?」
マクドナルドのナプキンに「廃」「癡」とボールペンで書かれていた。自分のことを尋ねられると自嘲気味に語っていた彼女の顔が頭に浮かんできて、ぎゅーんと胸が締め付けられた。念のためグーグル翻訳で英語の単語をきちんと確かめて、慌てて彼にメッセした。
――これ、彼女が書いたの?
「そう。自分のことだって」
――よろしく伝えておいて。
「彼女もよろしく、て言ってるよ」
その後、結局フェローシップが終わってフェローたちが香港を離れてからわたしは延泊したのだけれど、結局彼女に会いに行けなかった。毎晩忙しかったのもあるけれど、残念ながら1人ではあの重苦しい夜のマクドナルドに足を向ける勇気がなかった。
でも、すごく気にかかってる。冬に入って彼女はどうしているんだろうか。