思考メモ①

私は、人からよく、
『迎合しない』『媚びない』
といったことを言われるのだけど…。

そして、実際、人に媚びることを心底くだらないと思っているし、
どうでもいいと思っている。
軋轢を生んだとしても、多少気になっても、そのまま放置してる。

夫から見れば、まぁまぁしんどい生き方してるらしいけど、
権威や同調圧力に屈しないところは、本当に強いしすごい、とも言われる。

確かにテキトーに合わせとけばその方が楽なのに、
なんでこういう生き方してるのかな自分、と考えたことを書き記そうと。

自分の中にある感覚としては、
自分の気持ちを一番大事にした結果、そういう生き方になってるのかなと。

いわゆる『自己一致』や『純粋性』を大事にしてる。

自分の気持ちをないがしろにしたり気持ちに嘘をつくのって、
うまく言えないけど、セルフネグレクトだと思う。
人のために生きてるわけじゃないんだから、自分の気持ちを犠牲にしてまで
他者に合わせて得た人生なんて、ものすごく本末転倒な気がするのだ。

マイナスよりは、0がいい。
怒りを抑えるよりは、孤独がいい。

根底にあるのは、こういう気持ちだ。
それに、嫌な気持ちを我慢して誰かと繋がったって、もっと孤独だと思う。

でも、私がこう思えるのは、私が心から大切にしているものがあり、
私が心から大切にされてきた経験があるからなのだとも思う。
夫という、心強い味方もいるし。

もう一つあるのは、

この世のものはすべてまやかし。
人が死ぬときは一人だし、向かうときあるのは自分の魂だけ。
という感覚。

どれだけ媚びて偉くなって、地位も名声もお金も手に入れても、
どれだけ人に囲まれても、
それが真実のものでなければ、ただのガラクタなのだ。

私はそれが、心のどこかで無価値だと、わかってるのだと思う。
だから、無価値な幻想を築くことはしない。
それよりも、自分が納得して自身を誇れる人生を、徹底的にやりたいのだ。

私の人生に課されたものは、きっとそういう宿題なのだと思う。


私は無宗教者だし、スピリチュアルのこともよく知らないけど、
子どものころから、第六感や霊感みたいなものがある。
たぶんこの感覚は、きっと終盤にさしかかると、皆行きつくところなんだと思う。
ただ私の話は、私より後ろを歩いている人たちからしたら、
ただの頭がおかしい奴で、きっと理解できるようになるまでは、理解できない。
私はそれも含めてわかってしまう、その理解できないときの人生も。
だから私は自分という存在は完全に卒業するんだろうけど、この世に残していかないといけないものが、きっとあるんだと思って、できることしようと。地獄も楽しんで、悔いなく、生き抜けよう。
夫と出会ったことも、きっと一つの意味だから。