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悲しい夜は、優しい夜に。

深い呼吸のような優しみのある言葉たち。
心の瓶から、両手て掬い上げたような言葉たち。
誰かのために届ける言葉というより、自分が感じるためのような。
そんな言葉を紡ぐ人がいる。それに癒される自分がいる。

ただそこに“在る”という難しさ。

誰かが目の前に来てくれることで、触れてくれることで、自分の存在に気づく。
ただそこに“在る”がなかなかできない。
そこに“在る”から、相手も“在る”。

それだけなのに。
シンプルで、難しい。

と穏やかに考えられる日々がある一方で、誰かにぞんざいに扱われた時、逃げ方が分からなくて正面から矢を放つ。

ぞんざいに扱ったのは、そちらでしょうと思っても、そんなことで矢を放つ自分にうんざりする。

こちらが傷ついたのだと錯覚していたけれど、己が傷つくということは相手を傷つけることなのかと、これまた錯覚する。

誰もが大切にされて当たり前であってほしいと願う反面、自分を大切にすることに必死で誰かを傷つけてしまう可能性があるなら、自分のことは後回しにするのが、簡単だなぁ。
などと錯覚していく。

人それぞれなんて。
その人にとって正義でも、私は傷付くこともある。
私が傷付くことがあっても、その人にとっては正義だってこともある。大切にしてきたものなのかもしれない。

傷つく自分が恥ずかしくて隠したくて、見られないように矢を放つ。
そちらに気を取られている相手を見て、安心する。ああ良かった。逃げられた。

関わる人間を増やして、自分を殻に閉じ込めていく。
誰にもバレないように。見えないところに。大丈夫。

人に優しくありたいし、優しくされたい。
そう思っているんだけどな。

今日も優しい夜でありますように。

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