自分軸を通り越して
わたしはいま、原体験ドリブンの認定ファシリテーターを目指しています。
原体験ドリブンがどんなものかに関しては、しっかり認定ファシリテーターになってから話したいなと思うので、今回は割愛されていただきます!調べていただいたら、たくさん分かりやすい説明あります!
そんな中で、実際に原体験ドリブンのワークをしました。
本の著者のチカイケさん、同じく認定ファシリテーターを目指す方、そしてわたしの父とワークをしました。
そんな中ででてきた過去の話は、家族の話が多く、色々な意味で、今の自分をつくっているのは家族の影響が大きいなと感じました。
でも、小学校の頃の経験もでてきて、それは新しい発見でした。
Twitterにもあげたこのエピソードです。
ああ、ここから自分の内面は変なんだと。話しても人には分かってもらえないんだと。そう思ったから、哲学的なこととか隠して生きる人間になったのかと。
でも、聴いてくれる人がいることを知ってる。分からなくても、否定しない人がいることを知ってる。
だから今の私はこのnoteにだって、一部の人にだって、自分の内面をさらけだせる。
どこにもさらけだせない状態から、自分だけでメモやノートにさらけだせるようになって、個人が特定されない状態で人前にだせるようになって、信頼出来る人にだせるようになって、今は怖いけど、かなり全体に公開できるようになってきた。
否定する人はまだいるかもしれないけど、たくさんの否定しない人に出会えて、少し怖いけどだせるようになって、シンプルに今息がしやすい。生きやすい。
最近、何人かの人に、ちぃの文章好き。文章を書くことを続けてほしい。って言われることが多くなりました。
自分の伝えたいこと、何が言いたいのか、それすら迷子になってぐだぐだな文章をかいてしまうけど、それを好きっていってくれること、心の底から嬉しいなって思うんです。
ずっと自分の文章で、自分が救われることを願っていました。自分の文章で、自分を肯定して、慰めていました。
いつまでも、自分中心で、自分を大切にする気持ちは変わらなくて、100%他人の存在を信じられることはきっとないけど、だけど最近思うんです。
ちぃの文章で、誰かを救いたい。そんな大袈裟なことじゃなくてもいいけど、ちぃの文章が自分だけじゃなく、誰かのもとにも届けばいいなって。
自信なんてずっとないかもしれない。自分の嫌いなところもまだまだあって、それは変わらないかもしれない。
だけど君は面白いって言ってくれたあの人とか、君の世界観が好きだって言ってくれたあなたとか、君に救われたって言ってくれたあの子のこと、ありがとうって受け入れて、自分を生きてみようかなって。
悩むこともたくさんあるし、結局この文章もなにがかきたかったのか分からないけど、原体験は思いがけず、自分軸だけじゃなくて、自分軸からみえる素敵な他人の存在を思い出させてくれました。
そうそう、なんだかんだありつつ家族大好きだなって改めて思ったんだ。
これからもよろしくお願いします。
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