何故いつも死が身近にあるのか
普通の人はよほどのことがない限り死を身近に感じることはないだろう。私も中3で祖母を亡くすまで死を身近に感じたこと等なかった。
しかしそれ以降は私自身にもよくしてくれた母の友人は何人も亡くなり最近では大好きだった親戚のおばさん、いつも日舞の会の時手伝いに来てくれて周りを明るくしてくれた母の元お弟子さんが亡くなった。
そして今は祖父が命の最期の灯火を燃やそうとしている。
昨日までいて当たり前だと思っていた人が明日も生きている保証なんてないと痛感したのは母の弟私のおじにあたる人が事故死した日だった。
その日は母の日舞の会で母は抜けることが出来ず、終わるまで生き延びてくれることを願いながら私は舞台を観ていた。
しかし預かっていた母の携帯には最も見たくなかった文章が送られてきた。私は耐えられずその場で大泣きしてしまいすぐに舞台裏にいた母に伝えに行った。
母は泣かずに舞台に立っていた。その姿に私は涙が止まらず終わってから急いで向かった場所は病院ではなく警察だった。
変わり果てた姿になったおじの遺体を私は片時も忘れたことはない。一ヶ月前に祖母の十三回忌で会ったばかりだったのに…
死は何故かいつも私の見近にある。
だから生きるのが怖くなるのだ。
こんな悲しい思いをもう何度もしたくないからだ。これ先もっともっとこんな局面に直面するのかと思うと鬱病の私にはとても耐えられそうにない…
みんな新しい命が生まれたりしている中私の身近にあるのは死ばかりだなんて…
世の中はなんて不公平なのだろう。