アイデアについて思うこと
アイデアというものはすでにあるものからしか生まれないもので、あれとコレを組み合わせたら良いんじゃないというものがほとんどだ。
0から生み出せる人はごくわずかだろう。
例えば誰かにこんなのどうかなと提案した時、それを具現化されたら、そのアイデアは作った人のものになる場合がほとんどだ。
先日、ある人と話していて、私が西野さんのvoicyのコメント欄に書いた内容を覚えてくれていた出来事があって、そのことを思い出していた。
それはCTD内で販売されたHalloweenPopelleのNFTについての提案。
voicy内でどんな形が良いかなという西野さんの問いかけに、「カンカン(イラストレーター)さんが描いたパッチワークの心臓のイメージ」というようなことを書いた。
「あーーなるほどね、パッチワークね」というような返事をしてくれて、結果できたのがコレ↓
西野さんからしたら僕が思いつかないとでも思うんですか?な提案だろう。
確かに誰でも思いつくものだと思う。私より前にそんなアイデアもどこかで出ていたかもしれない。カンカンさんが思いつかないわけもない。
そう思って、たまたま私の提案したものとマッチしたものになったんだなとやり過ごしていた。
そして、最近のvoicyでのコメントに、面白いと反応してくれたのが「千年砦のLandscape(NFT)が欲しいです。映画だから難しいかな」というもの。
それに対して「難しくはないなぁ。映画公開までに出すのとかね…面白いなぁ」というような返答だった。
これもまだ形にはなっていないので、いずれそんな話がどこかから出るだろうし、先出し後出しとかもない世界。
voicyのコメントは他の人に見えないから誰が書いたかはわからない。
パーソナリティのみぞ知るである。
だから敢えて書き残しておこうと思った。
少なくとも、生配信で300人ぐらいの人は聴いてたから、その中の一人ぐらいは「あぁそんな話してたね」という人がいたら良いなと思う。
これも誰でも思いつくものだから、作った人のものになってしまうのは避けられない。
アイデア的なものを思い付いてもそれを形にできないのは損だなと思う。
私の父もそんな経験を良くしていた。
いつの時代もお金を持っている人が強いのだ。
お金にならなくても、何かのヒントになっているのなら良いのかな。
誰かの役に立つことはいずれ巡り巡って自分のところに戻ってくる。
それはお金ではないものかもしれない。