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誰かの願いが届くとき 69 世界を癒す可愛い天使

コンサート開始前、満員の観客はこれから始まるショーの興奮でソワソワと騒めいている。

帆乃は大勢の人に囲まれるのが怖かったので、皆んなとは別に全体が見渡せる末席の隅っこに、ひとりで座っていた。

座って始まりを待っていたが、信じられないくらい緊張して来て気持ち悪くなってくる。

こんなに大きな会場の、こんなに大勢の前で冬は演奏するのかと思うと、怖くないのか、不安になったりしないのかと、アレコレ考え出して余裕が全く無くなった。


一体、どんなショーが始まるのだろうとドキドキしていると、始まりを告げる舞台は暗転し、厳かな鐘の音が響くと、オーケストラが闇から出現し演奏が始まった。

舞台全方位に映し出される大きなスクリーンには、大嵐の深い森が映り、暴風雨で荒れる木々や無数の稲妻が、この世の終わりのように無惨な様子で暗い闇を切り裂いている。

その中を懸命に羽ばたいて、一羽のカラスが廃墟になって朽ち果てたお城の天窓に辿り着いた。

寂しいお城の大広間には、色んな動物の剥製に囲まれた、埃だらけの豪華な棺がポツンと置かれている。


どこからか光と闇を司る精がふらっと現れ、オーケストラの音楽に合わせ、目を閉じたまま妖しくユラユラと踊っている。

埃だらけの棺の蓋を押し上げ、中から真っ白い手が覗いた。

長くて美しい指の大きな手は蓋をずらして、中にいた男がゆっくりと上半身を起こす。

顔の表情は乱れた髪の毛で隠れて見えないが、片方の手に枯れた薔薇の花を一輪、大切そうに握っている。

黒くボロボロなアンティークの衣装に身を包んだ男はゆっくりと立ち上がると、その表情が伺えた。

ハッとするほど美しい造作の顔は、どこを見ているのか半目で焦点が合わず、未だ冷めぬ夢の中にいるよう。

その男が何かを思い出したかのように、グッと瞳に力を込めると、その身体に煌めく閃光が天から落とされた。

やっと生気を取り戻した男は、悪魔のように不敵な笑いを浮かべ、枯れた花を空中に高くかざす。

すると、天窓にいたカラスは純白のユニコーンに変身し、光る角の生えた頭を振りかざすと、虹色の魔法がかかり、剥製の動物たちは呪いが解けて、城から一目散に飛び出して行く。

嵐は過ぎ去り、辺りは朧げな月明かりで静かに照らされた。

寂しく取り残された男は、大切そうに純白の薔薇の花を口元に寄せて、遠い記憶を思い出したかのように、優しい表情で涙を流した。


その瞬間、アリーナ中央の漆黒に艶々と光るグランドピアノと、椅子に座るwho youにスポットライトが当たる。

そこから冬のピアノは独断場で荒れ狂い、一気に観客の魂を射抜いて深い森へと迷い込ませた。


スクリーンに映る冬の指の運びは全身を使い、凄まじくキレの良い腕の動きで圧倒的な迫力がある。

行きつ戻りつする愛おしい旋律に、冬はなすがまま身を委ね、そこから勝手に両手の指が鍵盤を激しく舞いながら打って音を鳴らせているように見えた。

その美しい神の化身の音の揺らぎは、観るもの、聴くものを恍惚とさせる。

観客は我を忘れて、冬の世界に没頭し心の内をビリビリと思い切り震わせている。

いつも冗談ばかり言っている松田だが、音に完璧に合わせて切り替えるカメラワークは、ライティングの強弱と色彩の効果も相まって、絶好調で最高だった。

何台ものカメラを使って余すことなく、会場全体と演じるオーケストラと冬の魅力を、細部までこれでもかと捉え、スクリーンに映し出している。

コンチェルトの中間部、ロマンツェが始まる前に冬は暗転の中で衣装を変えた。

夢見心地の甘美な、この世の愛しさが全て詰まったような旋律を響す男は、白い衣装を纏い、完璧な天使へと変身する。

まどろむ顔は癒しそのもので、微笑みはどこまでも麗しく、月明かりのように耽美だ。


冬はこの大きな会場の堂々たる導き手だった。

彼が暴風に進めば皆は大きく揺さぶられ、大雨を降らせば濡れ細り震える。

愛を注げば夢見心地でうっとりとし、繊細な喜びの煌めきに生きているという実感を味わう。


最終章のロンドは、真骨頂が詰まっていた。

冬は帆乃が望んだように、皆んなを誰も知らない、自由で無限大のそれぞれの王国へとフルスピードで誘う。

ピアノを弾きながら、冬は嬉しくて楽しくて仕方がなかった。


今度こそ、帆乃はこの会場の何処かにいて、自分を見守っている。

今の冬はもう、これ以上何も望むものはないくらい幸せで、それが表情から、身体から、演奏から溢れ出していた。

新しい世界の足枷になる重いもの、古い腐り切った概念や思いこみを喜びで振り切り、巨大な竜巻に乗ってひたすら上昇する。

この会場からも飛び出し、更に大きく広い彼方へと、丸ごと境界線を変えていく。

その先の世界で、目には見えない偉大な存在の正体は自分の意識こそで、それは全てだったと気がついて、その驚きと一体感に大歓喜し沸き立つ。


オーケストラの最後の演奏が終わるのを待ちきれずに立ち上がった観客からは、大歓声と拍手が一気に弾け飛ぶように、会場を激しく満たした。

帆乃は遠くからその全体の光景を観て、今まで味わったことのない高揚感を感じた。

皆んな見ず知らずの集まりなのに、冬とオーケストラの演奏に会場一体となって興奮を示す様子は、地響きのような凄まじいエネルギーを発している。

それは普段、意識しない感覚での心の変革を起こす、魂の盛大な歓びと解放のお祭りだった。


今まで、このショパンのコンチェルトを聞いても、帆乃は最後に自分だけ取り残されて、皆んな楽しい世界に行ってしまった寂しさを感じていた。

けれど、冬のショパンはちゃんと帆乃も一緒に、しっかりと手を引いて新しい世界に導いて行った。


このコンチェルトのオープニング映像のアイデアを松田に語ったとき


「帆乃よ。

大いに楽しみにしときんちゃい!

このワシがええの撮ったるからの。

お前は気づいとらんかも知らんが、もう冬からどうやっても逃れられんけ。

ワシの精一杯の花向けじゃ。

遠慮のう、とことん幸せになって、冬を思いっきりシバキ倒し、貢がせ続けるんよ。

コイツは帆乃が打てば打つほど、面白いくらいお宝を出すでの。

ワシに最高の電波をくれや!

電波じゃ!

電波~〜~!!!」


何を言ってるのか帆乃はさっぱりわからなかったが、冬も松田も他の皆んなも、兎に角素晴らしいのは良くわかった。


でも、間違ってる。


冬は帆乃がこの先もずっと甘え続けて縛ってはいけない人だ。

冬はこんなにもこの世界で輝きを放ち、皆んなに必要とされているのだから。



コンサートは小休憩を挟み、第二部が始まった。

ショパンのコンチェルトだけでも凄かったのに、続くライブではガラリと装いが変わる。

ダンサーチームが加わりアップテンポなナンバーで、会場は一気にダンスフロアーに変身した。

ライティングとレーザー光線が描く眩しい躍動感で、会場は巨大な宇宙船を思わせる。

観客が振る無数のペンライトは、銀河に散らばって輝く星のように楽しげに元気いっぱい揺れて、躍動する命のように美しい。

曲に合わせて踊りまくる冬やダンサーたちの身体の中には、音に反応して自然と形を創る機能が搭載されているように、指先の動き一つ、髪の毛一本まで痺れるように音を鳴らせてみせる。

皆んなそれを感じるのが癖になって、辞められない快楽の中毒症状と、集団催眠術にかけられていた。


途中、ハプニングで転んだ時も大歓声が上がり、まるで演出の一部のようだ。

ナチュラルに照れて笑う冬は、誤魔化しもせずに堂々として自由に振る舞うので、皆んなは嬉しそうに笑っている。

映画の主題曲の『unique  unicorn 』を歌い上げる冬は、皆んなに映画のテーマが明確に伝わるよう、全身全霊で身体中を響かせた。

自分への信頼を完璧に取り戻し、唯一無二の自分の感覚を信じること。

この世界の主人公は、自分だけなのだから。

好きな様に自由に、やりたいストーリーを願い、描いたらいい。

過去や未来の自分が誰かなんて、何一つ関係ない、今、この瞬間を感じ、立ち続けて。


最後に演じた『イロイロ』は、美しい静かな讃美歌みたいな歌だった。

現実と幻想を繋ぐ架け橋のような歌詞は、全ての創造を始めた源からの穏やかな微笑みをイメージさせる。

サビのフレーズを皆んなで手を振りながら大合唱し、お互いにそれぞれ尊く、今ここにいることの奇跡を讃えあった。


盛大なスタンディングオベーションに応えた冬は、昔、初めて帆乃に聴かせたショパンの子猫のワルツを可愛らしく大胆に弾いた。

小さな作品だけど、軽快で遊び心が満載なメロディーは、無限に流れる星のように駆け回り、最後は華やかな打ち上げ花火を何発も夜空に放って、ショーは歓喜に包まれ幸せな終わりを迎えた。

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