誰かの願いが届くとき 75 過ぎ去る時の今
幸せいっぱいに出かける冬を、帆乃はしっかりと目に焼き付けた。
ぐずぐずしていると、冬の元から2度と離れられなくなると思い、帆乃は覚悟を決めて動いた。
何も考えずクルリと寝室に戻り、スーツケースを引っ張り出して自分の持ち物を手当たり次第、ぐちゃぐちゃに詰め込んでいく。
最低限のモノしか無かったけど、かさばる服はマンションのゴミ捨て場からダンボールを拾ってきてそれに詰め込み、管理人さんに集荷をお願いした。
あっという間に自分の持ち物が無くなった部屋は、何故か後ろ髪を引かれるように寂しくさせる。
最後に、冬がよく分かるようにキッチンのカウンターにメモを残し、ウサギのぬいぐるみをタオルに包んで大切にスーツケースに寝かせた。
玄関を出ようとして、ふと振り返ると、
家が、何処に行くの?
と悲しく聞いた気がした。
「、、ごめんね、、
今までありがとう、、」
帆乃の胸は痛んだが、それでも勇敢に飛び出して千里の家に向かった。
家で仕事をしていた千里に申し訳ないと思いながら、別れと今までの沢山の感謝の思いを、千里と留守にしている直輝に伝える。
「ごめんなさい、、それからとってもありがとう、、千里さん、、
これ、千里さんと直輝さんに、、
プリンちゃんのお話を絵本にしてみたの。
よかったら、見てね。
あと、夏に美味しい桃を必ず送るから、直輝さんと食べてね」
千里はいきなりの青天の霹靂と、仕事で時間がじっくり取れないのとで混乱しながら、帆乃を引き止めようとした。
「帆乃!!
ちょっと待って!
後、、30分したら話出来るから!
座ってプリン相手に待ってなさい!」
仕方なく、帆乃はソファで丸くアンモナイトの形で眠っているプリンちゃんを見つめながら待った。
すっかり慣れてくれたプリンちゃんにも会えなくなると思うとまた胸が痛み、一体自分は何をしているのだろうという気分になって、落ち込んだ。
仕事の区切りをつけた千里は事情を優しく聞いたが、思い込んだ帆乃の決心は固く、無理に引き止めることはできず見送るしか無かった。
帆乃はようやく、しなくてはいけない重荷から解放され、ホッとして自宅に帰ろうと東京駅までやって来た。
ここでもまた、帆乃は冬と再開した日のことを嫌でも思い出してしまう。
あの日は父の命日で、今日もそうだった。
冬は、帆乃の目の前に突然現れた魔法の国の王様で、一瞬で夢のような物語の世界へと連れて行った。
どんな時でも冬は自然で美しく、自分を取り繕うことなど一切頭にないほど、帆乃に全てをさらけ出し、全てを与えていた。
だから何でもワガママを言えて、自分の素のままでいられた。
大きな冒険と挑戦をする帆乃に、全力で寄り添い、見守ってくれて、自由に振る舞える場所と世界を創ってくれた。
そして、こんな帆乃をひたむきに愛してくれた。
自分の世界で夢見る以外、何も出来ない役立たずの帆乃を。
新幹線に乗り、ビュンビュンと過ぎ去る景色を見送っていると、冬と一緒にいた記憶もどんどん過去へと流されて切なくなる。
今更、寂しがっても仕方ないと諦めるしかない。
自分で決めた道がたとえ間違っていて、未来に後悔するとしても、潔くそれを受け入れる。
今だけ、
前だけを見つめて信じることに集中した。
急に帰って来た帆乃を見て、母は驚いて理由を聞いた。
もうこの頃には、帆乃は話すのも面倒になって、適当に説明した。
「都会の空気が合わないの。
帆乃は田舎の方が好きだから。
冬はあっちの人でしょう、、
さよならして来たから、もう何も聞かないで。
ごめんね、ママ」
母は何も聞かずに、そのうち落ち着いたら冬が迎えに来るだろうと思った。
おばあちゃんとおじいちゃんには、気分転換に里帰りしたと伝えた。
帆乃は自分の部屋のベッドに寝転び、また昔のネグラに帰って来た。
でも以前と違って、何故か思ったほどリラックス出来ない。
この部屋には冬がいない。
冬と共有してた空気もない、
冬の気配のカケラもない、、
恋しくなった帆乃はスッと起き上がり、スーツケースからウサギのぬいぐるみを出してギュッと抱きしめた。
「ごめんね、ウサギちゃん、、
もうパパはいないの。
全部、ママが悪いんだけど、許してくれる?」
それを聞くと、ウサギのぬいぐるみはションボリした。
でも負けずに、パパをいつまでも待ってると言った気がして、帆乃は可哀想になり涙を流した。