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誰かの願いが届くとき 47 檻の中の獣
生身の帆乃の出現に幸せを感じていた冬は、それ以前と世界がまるで変わった気がした。
自分の身体と心が長年追い求めていた新しい刺激に追いついていないのか。
帆乃の指先ひとつで軽々と翻弄され、余裕の無くなる自分に激しく戸惑う。
帆乃が不愉快になってないか心配しながら、冬はベッドで微睡んでいる帆乃の側に行った。
今朝の帆乃の寝起きは悪くなく、冬が優しくおはようと言うとそっと目を開けた。
「、、もう少し眠る?」
ためらいがちに冬が聞くと、帆乃はじっと冬を見つめて返事をした。
「、、おはよう、、あっちの部屋、寒くない?」
寒いのは絶対許せないという甘えモードに、安心した冬は
「大丈夫だよ。
もう起きる?」
帆乃は猫のようにうーんとノビをしてため息をつき、むっくり起き上がってボンヤリしながらトイレに向かった。
パジャマで素足の帆乃を見て、冬はスリッパがなかったと気がつく。
帆乃は戻ってくると、対面のキッチンでお湯を沸かし出した。
「冬もいる?」
無意識の帆乃に初めて冬と名前を呼ばれ、飛び上がりそうなほど嬉しくなる。
また一段距離が縮まった気がした。
いそいそとキッチンの帆乃のそばに立ち
「足が冷たいでしょ?
沸いたら持っていくから、ソファで転んでていいよ」
ボンヤリしている帆乃は、冬を見上げて素直に従った。
帆乃は昨日買ったばかりのシンプルなウサギのイラストが散りばめられたパジャマを着て寝転がっている。
お湯の入ったカップをそっと手渡し、その姿が新鮮で可愛いので思わずじっくり見ていると、帆乃が気づいてニッコリ笑って言った。
「可愛いでしょ?
このウサギに一目惚れしたの。
猫ちゃん柄のも買ったんだよ」
そう言ってソファの席を開け、冬を座らせて早速ベッタリともたれかかった。
朝の寝起きの帆乃は、大人なのか子供なのかわからなくて、でもそれに振り回される感覚が面白くて仕方がない。
冬は込み上げてくる愛しいという気持ちにどんどん絡みとられて、深く深く沈んで行く。
その波動を全身で受ける帆乃は、安らぎに身を委ねて夢見心地で、窓の外に広がる雲をボンヤリ見ていた。
外は寒々しい強風が吹いていて、雲が千切れるように流れていく。
それを眺めながら、しっかりと暖かく毛布に包んでもらって手を添えてくれる冬に頼りきって、なんて良い気持ちなんだろうと浸っていた。
すっかり気を抜いてリラックスしていると、このまま意識を合わせれば冬の深層意識に潜れるかもしれないと思い、何も考えずにそっと冬の手に自分の手を重ねて目を閉じ、静かに潜り込んでいった。
ゆっくり呼吸しながら何かを感じないかと探っていると、天を大きく見上げるほど巨大な、まるでギリシャやエジプトの古代神殿が現れた。
それらは出来上がったままの素晴らしい威厳の輝きを備えて、存在感をまざまざと示している。
感嘆して探っていると、今度は夜空いっぱいの大きなエメラルド色のオーロラが見えた。
女神のように優美に優しく舞うオーロラからは、クオーツの光がキラキラと雪のように沢山舞い降りてきた。
摩訶不思議なインクルージョンの魔法は、さまざまな紋様や光線を放って、静かにゆっくりと魅了させる。
うっとりして見ていると、水墨画のような秘境を楽しくクネクネと渡る立派な銀色の龍の頭の上に座っていた。
そこからは、風に吹かれ形を変えていく無機質な砂漠や、月夜に光る鏡のような銀色の湖、ウネウネした巨大な蛇のように流れる大河、どこまでも続く寂しい平原、冷たく険しい山の連なり、、
呆然としていると、どんよりした暗い大海を渡る、小さな鳥になっていた。
次々に襲いかかる障害をアクロバティックにかわし、スイスイと勇敢に飛んでいく健気で可愛いツバメ。
しかし、打ち付ける大雨や荒れ狂う嵐に巻き込まれて、翼を痛めたツバメは力尽き、怒り狂ったように荒れる波に呑み込まれてしまった。
大波のうねりに揉み込まれ、哀れなツバメは暗く深い海の中をどんどん沈んでいく。
すっかり悲しくなった帆乃が見るのをやめようとした時、深海に小さな光を見つけた。
瞬く間に光の数が、弾き飛ぶように増えていく。
そこは幾つもの銀河が集まる宇宙で、ツバメは純白に輝く鳥になり、青い透明な海の中のようにキラキラした風に乗って、歌いながら悠々と何処までも飛んでいた。
突然、重ねていた冬の大きな手が自分の手をきつく握り締めてきたので、帆乃は現実に引き戻された。
それよりも前、帆乃に寄りかかられてリラックスしていた冬は、何となく帆乃の意識が自分に向けられているのを感じ、自分も目を閉じて帆乃に意識を向けた。
モノクロの世界で、遊びたい盛りのヤンチャなコヨーテが、誘うようにピョンピョンと待ちきれずに跳ねていると、茂みからノソノソと気の良い友達のアナグマが這い出てきて、ふたりは仲良く真っ暗なトンネルに入って行った。
ふたりの後ろ姿がもの凄く可愛らしくて見送っていると、突然カラフルで優しい空気を纏った世界が現れた。
そこは、自然や動物、植物、あらゆる生物達の優しい楽園だった。
森の木々は爽やかな風に揺らされて、葉っぱをツヤツヤとさせ楽しげに踊っているし、すばしこい小鳥は歌いながら枝から枝へと弾けるように元気いっぱい飛びまわる。
清々しい青空が広がる上空で、トンビが優雅に輪を描いて舞っているし、朝露を纏った柔らかな草の生えた原っぱでは、水色の小さなトンボがスイスイと空中を泳ぎ、ふわふわした蝶々は花を求めて、あちこち彷徨っている。
他にも沢山の見知った動物達が、つぶらな瞳を輝かせて、お互いはしゃいで遊んだり、甘えたり甘やかせたり。
無邪気さそのものの様子は見ているだけで豊かな幸福感が溢れだす。
軽やかなメロディーの音が聴こえそちらを見ると、澄み切った水の流れる可愛い小川が楽しげに歌っている。
真っ赤に熟れた宝石のようなラズベリーや、水の中を煌めきながら泳ぐ小さな魚たちを眺めて進むと、周りを木々達に優しく守られた冷泉が厳かに湧きだし、とめどない恵みを讃えている。
その上を朧げな羽を震わせながら、バレリーナのような妖精が静かに舞う姿は、儚くて一瞬で消えてしまいそうだった。
いつか見た泉かと思い、水に手を浸すと驚くほどに冷たくて、そのまま真っ逆さまに落ちていく。
暗い水の中、限りない大小の光る泡が一直線に上がっていく様子を見ながらどんどん下っていくと、いつの間にか薄暗くて鬱蒼とした樹海にいた。
不気味な、寂しさと恐怖と不安の叫びのような風が辺りを重々しくし、これ以上耐えらずに、ここから早く抜け出そうと出口を探しても、まるで同じところを何度も何度も回っていて、どうして?という絶望で気が狂いそうになる。
深い霧に包まれ手探りで進んでいくと、洞窟を見つけた。
枯れた蔓の絡まる、錆びた鉄格子で閉じられた中をビクビクし恐れながら覗くと、閉じ込められた何かが冬に気がついた。
どす黒く蠢く気味の悪いものは、早く出してくれと言わんばかりに、冬に襲いかかって来る。
その獣の顔を見た冬は、鋭い刃物で一気に心臓を突き刺された。
自分の顔をした醜い姿の獣は、これでやっと自由になれると、冬に喰いつき悪魔の形相で高笑いした。