誰かの願いが届くとき 64 トランス
挨拶を終えた冬は思う存分に楽しんで、先走る帆乃の家族と、指輪だ新居だ結婚式だと盛り上がっていた。
帆乃は家族の勘違いに抵抗する気力もなく、傍観者になってこの状況を観る。
夕暮れ前に、ひとりで帰るのが寂しくなった冬は、永遠の別れかのように帆乃に絶対に帰って来てと約束を求めて、泣く泣く東京に帰って行った。
そんな冬を見送り、元のネグラで平凡だけど平和な日常の中、ひとりになった帆乃は、心の中で、何かとても悪い事をしている気がした。
冬はとても大切な人だけど、ずっとこの先も一緒にいていい人なのかがわからない。
あまりにも育った環境と、社会での立ち位置が違い過ぎて、歪みと恐怖を感じる。
冬は圧倒的な才能と魅力と存在感で、よくわからない程の注目と関心を集めて、この世界で愛されている。
それに比べ、笑えるくらい自分は大した魅力や学歴、資格もなく、仕事や成し遂げたと誇れるものなど何もない。
それすら大して望んだことも無いくらい、好きなことだけでボンヤリ生きていた。
冬のそばにいても甘えて好きなことしてるだけで、大して何の役にも立てないどころか、下手をすると反対に足を引っ張る。
無理な努力して、自分を別の何かに変えることも出来ない。
出来ることと言えば、空想してそれを表現することだけ。
それもただの自己満足、、
相変わらず、自信の無さと未来のあれやこれやの心配と不安に苛まれそうになる。
それでも帆乃は今やるべき重要な映画の事を思い出した。
自分の気分の悪さと不安を忘れるため、映画の主人公達の心の深層にひたすら潜りこみ、脚本を練り上げる作業に我を忘れて行った。
お正月も終わり、約束通り帆乃が実家から東京の冬の家に戻って1週間が経ったころだった。
帆乃はほとんど食事をしなくなってしまった。
夜も眠りが浅く、ずっと寝たり起きたりしているみたいだ。
起きている時は、窓の外を見てボーッとしているか、うたた寝を挟んで、後はパソコンに向かいずっと夢中で作業をしている。
千里の買い物や食事の誘いも断って、ずっと家に閉じこもっていた。
冬がちゃんとご飯を食べようとしつこく誘うのに、帆乃はうるさそうに怒って言う。
「今は欲しくないから放っといて。
冬のいない時にちゃんと食べてるから心配しなくていいんだってば!」
見る見る痩せていくので、それでも冬が食い下がると、集中出来ない帆乃はイライラしてパソコンを持って寝室に閉じこもった。
帆乃の変化に気が気でなくなり、冬は堪らず千里に相談する。
「どうしよう、、
このままだと帆乃が病気になってしまう、、
どうしたらいいんだろう?」
一緒に聞いていた直輝も心配していた。
「帆乃は何だってそんなに無我夢中になってるんだ?
もしかしてプレッシャーか?
色んなことが変わりすぎたから、気持ちが追いついてないんじゃないか?」
千里も最近の帆乃は人の話もちゃんと聞いてないと思っていた。
「困ったね、、
帆乃のお母さんに聞いてみる?
一番、帆乃のこと知ってるでしょう。
でもそうすると、直ぐに迎えに来て連れて帰るかも、、」
そうはさせたくない冬は半泣きで狼狽えた。
「そんな、、
オレが責任持ってお世話するって、守るって大口叩いたのに、、
このままだと、帆乃と一緒にいられなくなる、、」
可哀想なほど絶望的な冬を見て、冬のためなら何でもしてやりたい直輝が
「ヨシ!
わかった。
明日、4人で温泉行くぞー!!
正月終わったばっかだけどな。
まあ良い、気分転換だ。
温泉浸かって美味しい飯でも食べて、ぐっすり寝たら何とかなるんじゃないか?
バッシーに連絡して、明日明後日のスケジュール調整してもらえ。
空いてる温泉宿に予約だ!
任せとけ!
何処がいいかな~~?
カニでも食べるか!?」
もうこれしかないと直輝が嬉しそうに温泉旅館を予約した。
翌日、冬がその話を帆乃にすると
「行きたくない!!
そんなところ!
旅館なんて怖い!
オバケが出たらどうするの?
絶対ヤダ!!」
嫌がってわめく帆乃を、優しく言い含めた。
「大丈夫だよ、帆乃ちゃん。
オレがずっと一緒にいるでしょ。
それに凄くいい気分転換になるよ!
ずっと外出てないよね?
これから映画の撮影始まるまでに、帆乃には体力付けて丈夫になって欲しいからね。
それに、千里さんと直輝さんも一緒だよ。
プリンちゃんは、シッターさんが来てくれてお留守番だけど、、
温泉に入ったら、とっても気持ちいいからね。
カニを食べるんだって!
きっと気にいるよ!」
直輝と千里が一緒だと聞いて、帆乃は渋々行く気になった。