誰かの願いが届くとき 71 ふたつの悪夢
11月になり映画は残すところ、編集作業とプロモーションのみとなった。
撮り溜めた映像と冬の音楽がどんどん組み合わされていく。
どの瞬間を取ってみても、すでに遠い過去の懐かしい夢の走馬灯だった。
ぎっしりとふたりの思いが詰め込まれた宝物のような作品は、何処でどんな人たちに、どんな風に見られるのだろう。
帆乃にとって、この作品が世にいう成功か失敗かなんてことは、どうでも良かった。
ただ、帆乃と冬を始めとする皆んなの情熱とこだわりの、本気な思いが作品一杯に込められて、大満足だった。
そのワクワクして熱中して楽しんで創っている熱量が、少しでも伝われば良い。
そして、見た人が何かを感じ取って、自分の望むような未来を自由に描いて、ワクワクしながら願って、信じて、夢見て、幸せでいれたらいい。
去年の冬の始め、突然に連絡が来てから、世界がまるで変わってしまった。
ちょっとした冒険のつもりだったのに、気がつけば随分と遠くまで来てしまった気がする。
今まで生きて来た経験から、色んなヒントやインスピレーションを受けたものが、冬やその周りの愛すべき人たちとの想像も出来ない未知の世界を結びつけてくれた。
何一つ欠けても、どの経験一つ違っても、きっと辿り着けなかった。
父の死でさえも、、
パパはただ、いなくなって、消えてしまったんじゃない。
目には見えないけれど、自分の中にちゃんといて、いつも愛して、見守って導いてくれていて、こんなにも素敵なプレゼントを用意してくれた。
心からそう思えることが、やっと出来た。
冬と再会して季節は順当に巡り、奇跡のような、宝物のような1年の終わりが近づき、そして帆乃にとっての大きな冒険も終わる。
いよいよ12月を迎え、映画の公開を目前にしたある夜、帆乃は夢を見ていた。
何故か帆乃は、映画で親しくなった人達を乗せてマイクロバスを運転していた。
山奥のどこかに向かっていて、寂しい峠を越えたあと、バスは何かに引っかかって横転し、中にいた人達は全員バスから飛ぶように転がって投げ出される。
あまりに驚いて、息をするのも忘れるくらい帆乃は苦しくなった。
投げ出された人達は、傷つき怪我をして苦しんでいる。
帆乃は慌ててスマホで救急車を呼ぼうとしたが、何番なのかわからなくて数字の9ばかり何度も押し続ける。
誰かが呼んでくれたのか、救援がやって来て、運ばれて行くのを見ていたが、皆、帆乃を恨めしげに見ていた。
すると、おじいさんの刑事が来て帆乃を捕まえ、尋問を始めた。
帆乃の髪の毛はクシャクシャで、おじいさんはそれを解きながら、帆乃の今までの経歴を確認し、どこかに連れて行こうとする。
帆乃は、自由を奪われて閉じ込められる恐怖を激しく感じて、胸が締め付けられる痛みを感じたとき、これは夢だと気がついて目が覚めた。
何故こんな苦しい夢を見るのか、訳がわからない。
どこか暗いところに閉じ込められる恐怖と不安で泣きながら、隣で寝ている冬に、そっとしがみついた。
隣で眠っていた冬も同じく夢を観ていた。
可愛い花や樹木で囲まれた庭園に、帆乃が誰か知らない男と一緒にいた。
ふたりは静かにお互いを優しく気にしながら、帆乃は咲き乱れる白いカモミールの花を摘み、男は力強くスコップを足で地面に食い込ませ、新しい畑を作っている。
とても平和で穏やかさが溢れていて、近くには猫のプリンちゃんがいて、柔らかい草の上でゴロンゴロンしていた。
冬が帆乃に手を振ると、一瞬、帆乃はこちらを見たが、まるで何も見えないように冬を無視した。
それでも冬が帆乃の名前を叫ぼうとするのに、声はどうやっても音にならない。
何故?と苦しんでいると、帆乃は小道を沿って山の中に入ってしまった。
見失いたくなくて、悲しくなりながら必死で追いかけると、オモチャのような家があり、冬は思わず窓から覗く。
そこから見えた光景に、冬は脳天をかち割られたようなショックを受けた。
家の中は、暖かなランプの灯が揺れ、飾ってある絵や置物や家具は、全てに愛情が注がれていて、楽しく過ごして来た時間の濃密さを感じる、心温まる癒しの空間だった。
帆乃は、頼りがいのある男に寄りかかって甘えながらソファに座り、ふたりは愛らしい赤ちゃんを見つめて微笑んでいる。
この光景は、帆乃の別のパラレルを映している。
帆乃が望みさえすれば、いとも簡単に創造される世界。
その世界に冬という人間は登場しない。
その夢みたいな理想的な世界には、自分が居なくてはいけないのに、、
冬は激しい嫉妬を感じたが、それよりも悲しみの方が深かった。
帆乃が冬よりもその男を、その人生を選んだ事に胸が痛んだ。
そんなのは絶対に嫌だ、許せないと思っていると、足元にいたプリンちゃんが冬を見上げてニャアと鳴いた。
抱きしめようと手を伸ばすと、プリンちゃんは唸り声をあげて、冬の腕を思いきり引っ掻いた。
お前なんか、最初から要らなかった!
しつこい邪魔者だ!
これ以上、出しゃばってくるな!
諦めて、サッサとどこかに消えろ!
と言うように。
痛い!と思った瞬間、ギュッと抱きしめられる感覚で、冬は目が覚めた。
目を覚ました冬に、帆乃はしっかりと腕を回してしがみついている。
冬は、目が覚めて心からホッとした。
「帆乃、どうしたの?
怖い夢を見た?」
そっと聞くと、帆乃は顔をグイグイ冬の胸に押し付けて黙っている。
泣いていて、心臓の振動は早かった。
冬は先ほどの夢のことなど吹き飛んで、帆乃の背中を優しく撫でた。
「怖かったね、、
悪い夢を見ただけだよ。
もう大丈夫。
帆乃のそばにずっといるからね。
何があっても、、」
冬は帆乃の背中を優しくトントンとゆっくり叩いた。
その振動は帆乃の身体中に響く。
音に耳を澄まして、冬の大丈夫と言う言葉を心で繰り返すと、帆乃を嫌な気持ちにさせる不安は、だんだんに消えてゆく。
冬のぬくもりに守られて、帆乃はそのまま再び眠りに落ちていった。
翌朝、目が覚めると2人とも深夜の悪夢のことはすっかり忘れていた。
寝ぼけたフリして冬は、寝ぼけた帆乃をギューっと抱きしめて、そのまま素肌に触れようとパジャマの下に手を伸ばした。
ボンヤリする帆乃は、気持ち良さに、つい、うっかり夢見心地になろうとしたが、ハタッと正気に戻った。
腹を立て、冬の脇腹を思いっきりつねった。
いきなりつねられて、うっと目を開けた冬は、悪びれずに頭を可愛くクネクネさせて
「、、ごめん、帆乃。
つい、、
でも、とっても気持ち良かったでしょ?」
そう言って、あざとい目で笑い、帆乃を見つめた。
真っ赤になった帆乃は、この時、冬の母が魔女だったことを思い出した。
ああ、冬は人の形をしているけど、これは魔女の息子だから、到底自分では太刀打ち出来ない。
そう、妖しいほどの魔力使いじゃないと、こんなに色んな変化は出来ない、、
それでも降参しない帆乃は、冬を叱り飛ばすように
「ずるいよ!
そんな顔してもダメ!
こんな手使うなんて、ホント信じられない!」
冬はもう簡単には引き下がらなかった。
「だって、持ってるもの全てを駆使しないと、帆乃に逃げられるからね」
そう言って、また抱きしめようとする冬に、怒りながら命令した。
「直ぐに、部屋を暖かくして!
帆乃は寒いのイヤなの。
朝ご飯は、メープルシロップ、ドボドボかけたフワフワのパンケーキがいい!
あったかいミルクティーもたっぷり。
1時間後にだよ。
冬、出来るよね?」
朝っぱらから癇癪を起こしてフラッとする帆乃は、言い終えて布団に頭まで潜り込んだ。
冬は可笑しくて笑いながら、帆乃の耳元に囁いた。
「承知いたしました。
僕の大好きなワガママで怒りんぼで甘えんぼなお姫さま。
今日も最高に素敵な一日を過ごそうね」
そう言ってから、早速、千里に電話してパンケーキのおねだりを始めた。