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誰かの願いが届くとき 65 神聖な生きもの

 直輝の運転する車で、山奥の静かな温泉旅館に連れて行かれた帆乃は、びっくり仰天した。

 いかにもお忍び的な高級旅館で、こちらが恐れをなすほど丁重に迎えてくれる。


 直輝は自分達夫婦とは別に、冬と帆乃に特別な部屋を取っていた。

 身に不相応で全く落ち着けない帆乃はビクビクしながら、全く何も気にしてないご機嫌な冬に手を引かれ、離れになっている隠れ家のような建物に恭しく案内されると、またびっくりした。


 非日常的に豪華な設えのくつろぎ部屋と、小ぢんまりした立派な書斎スペース、大きなベッドが2つ並んだ寝室、風流で景色の良い庭には大きな岩や石で作られた露天風呂まであった。


 感覚がおかしくなった帆乃が呆然としているにも関わらず、幸せいっぱいの冬は、はしゃいで言った。


「自然がこんなに近くていいね!

 帆乃とノ~ンビリ、こんな所に来てみたかったんだ。

 いいお風呂がある!

 帆乃が先にお風呂に入る?

 それとも一緒に、、」


 最後を照れながら冬が聞こうとすると、帆乃はパニックになった。


「イヤ!!

 絶対にヤダ!!

 こんな丸見えのお風呂なんて、絶対入らない!

 何?

 この部屋怖い!

 千里さんとこに行く!!

 何処にいるの?

 冬、連れてって!」


 引きつって叫ぶ帆乃に、冬は慌てて取り繕おうとしたが、聞き入れられなかった。

 仕方なく千里と直輝のいる部屋に帆乃を連れて行った。


 部屋にいた直輝と千里は、浴衣に着替えて大浴場に行く用意をしているところに、不機嫌な帆乃を連れた冬がやって来た。

 帆乃の様子がおかしいのに気がついた千里は


「どうしたの?帆乃?

 冬とケンカでもした?

 これから温泉入って、ゆっくりしたら皆んなでご飯食べるんよ」


 帆乃は床にへたり込んでシクシク泣きだした。


「、、、お風呂、お風呂が、、、」


 突然泣き出す帆乃を、オロオロと心配する直輝も優しく聞く。


「どうした?帆乃?

 良い部屋だったろう?

 おかしいな、、

 気に入らないのか?

 お前らのハネムーンだと思ってな。

 一番いい部屋にしたんだぞ。

 露天風呂も付いてただろ?

 もしかして、風呂が怖いのか?」


 直輝の好意からの選択だったが、ハネムーンという言葉を聞いた帆乃は、もっと激しく泣き出した。


「うぇぇぇぇん!!!

 違う!!!

 、、冬が、、

 帆乃を丸裸にしてお風呂に、、

 ポチャンって浸ける、、」


 えっ?!と言う驚いた顔をした冬に、呆れた直輝はきつく言った。


「冬!!

 お前ってヤツは、、

 いきなり何するんだ!!

 帆乃の気分転換なんだぞ。

 まったく、、

 少しは自分の欲望を抑えろ!

 とんでもないヤツだな、、

 帆乃、すまない、ごめんな、、

 俺がちゃんと躾なかったから、こんなことに、、

 もう大丈夫だから、泣くな。

 そんなに泣いたら余計にしんどくなるぞ、、

 困ったな、、

 千里、どうしたらいい?」


 すっかり痩せてしまった帆乃の背中をさすっていた千里は、優しく言い聞かせた。


「わかったから、もう大丈夫よ、帆乃。

 私と一緒にお風呂入ろうね。

 冬は直輝が叱ったから、もうそんなことしないよ。

 よしよし、いい子いい子。

 大丈夫、大丈夫よ、、」


 慰めてくれる千里に安心した帆乃は、泣き疲れてそのままベッドで眠ってしまった。


 結局、直輝と千里が豪華な露天風呂付きの部屋を使うことになった。


 1時間ほどして帆乃が目を覚ますと、冬も隣で帆乃を見るようにして眠っている。

 ここが何処なのか一瞬わからなかったが、冬の安らかな寝顔を見て安心した。

 外はすっかり闇に包まれて、川が流れているのか、遠くに水の流れる音が微かに聞こえる。

 それを聴きながら、帆乃はボンヤリと冬の顔を見ていた。


 相変わらず、なんて美しいんだろう、、

 天使達の夢が集められたような作品みたい、、

 目を閉じている顔は瞑想する神のよう、、

 意識は異次元の世界を彷徨っているみたい、、

 観ているだけで、心が癒される、、


 帆乃はスヤスヤと眠る、この神聖な生ものを穢してはいけない気がした。


 暫くして冬が目を覚ますと、帆乃が自分の顔をボンヤリと見つめていた。

 何も言わずに、そのまま見つめ合っていたが、とうとう帆乃の頬は紅くなり身体ごと顔を背けた。

 帆乃の調子は悪くなさそうだと思い、冬は静かに語りかける。


「帆乃、ごめんね、、

 何か辛くさせてた?

 気がつかなくて、本当にごめんね、、」


 冬は帆乃を背中からそっと抱きしめた。

 包んだ手と身体のぬくもりを感じて、帆乃は冬や皆んなに心配をかけていた事に気がつく。

 自分の不安を正面から捉えずに、必死で別のことに熱中して気を逸らしていた。

 いつもいつも、何回も道を間違える。

 その度に、冬は根気強く優しく付き合ってくれる。

 帆乃は、冬の望みに気がついているけど、それに応えることは絶対に出来ない。

 私は冬に全く相応しくない、、

 何もかも、出来が違い過ぎる、、


 冬には誰がみても納得するような、キラキラした世界が当たり前の、堂々として自信があって強くて美しく、素敵な人こそふさわしい。

 私は傷のある歪な果物みたいで、怯えてビクビクしてて、自分に合った静かで平和なネグラで満足して暮らす、おとなしい普通の猫だから。


 自身を卑下するわけじゃないけれど、何が自分に合う合わないくらいはわかってる。

 それでも、今は、映画が出来るまでは冬と一緒にいれる。


 なんで神さまは、冬を私に差し出して来たのだろう?


 こんな人を目の前に差し出されたら、好きにならずにはいられない。

 冬は全てを受け入れて、帆乃のことをいちばんに考えて全力で尽くそうとしてくれる。

 帆乃が見つめて感じるものを、自分も同じに感じようと、一緒に喜んで見つめてくれる。

 こんな帆乃に、何か特別なパワーと魅力がある存在なんだと思わせてくれる。

 それだけでも大好きなのに、冬は外見も光り輝いている。

 キラキラした星がみえる瞳が好き、笑った大きな口も。

 優しい声の響きが大好き、触れ合ってる、この懐かしい温もりも。


 でも、これ以上、好きになって、心の拠り所にして依存してしまえば、また失うことになった時、その時は生きていけないレベルまで自分を追い詰めることになる。

 臆病な帆乃は、その未来を一番に怖がった。


「、、ごめんね、冬。

 ありがとう、、」


 つぶやいた帆乃の言葉は、なぜかとても悲しく聞こえて、冬はどうしたらいいのかと不安になった。

 でも今は、帆乃さえ元気になれば、もう何だっていい気がした。

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