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誰かの願いが届くとき 27 世にも美しい名前
冬は1ヶ月半後に退院した。
日常生活は何の支障もないが、以前のように活躍出来るまでには、リハビリをして様子を見ながら大体半年以上は必要だろうと医師は言った。
それでも完全に戻らない可能性もあるが、命が危なかったことに比べたら大したことは無いように思える。
冬は退院したら一人暮らしを始めたいと、直輝に話していた。
いつまでも直輝や千里に甘えるのはやめて、新たに自分の力で生活してみようと決意した。
直輝はせめてリハビリ中は我が家に留めたかったが、千里に冬の意思を尊重するように言われ、渋々承知した。
しかし選んだ新居は、偶然売り出されていた直輝の家の前にある低層マンションだった。
それを聞いた松田はやれやれと呆れた。
「ナオキマン、、
それは一人暮らしとはいわんがな。
お前、どんだけ冬に甘いんじゃ」
どう言われようと、直輝は平気だった。
「とりあえず、の住まいだ。
そこで慣れたら、もっと良い所に引っ越しすれば良い。
そのうち、マッサンみたいに結婚して子供も出来るかもしれんし。
それまでは、、」
松田を当て擦りながら言ったが、結局、直輝と千里はまだまだ冬を甘やかすのは間違いなかった。
その発言を受けた松田は、気になっていたことを言う。
「冬は女の子、いや、男でもええが恋愛しとらんの?
ワシは全く何の匂いも気配も感じんのんじゃが」
直輝もその辺は気にかけていたが、冬にその気はなさそうだった。
明らかにアプローチされても、愛想良く冬は綺麗にかわしていた。
今までは目の前の事に集中してそんな余裕も無かっただろうが、今後は分からない。
そう言う事で、冬は必要最低限の物しかないガランとした我が家を獲得した。
3階のリビングで床にゴロンと寝転がると、大きな窓からは開けた青空や、近くの住宅の緑も見えて気に入った。
1日に1度は千里からご飯を誘ってくれるので食べる物にも困らないし、その時に猫のプリンちゃんにも構ってもらって幸せだった。
掃除や洗濯の仕方、ゴミの出し方も迷っていたら直輝と千里が丁寧に教えてくれる。
こんなに良くしてくれて、どうやったら恩返し出来るかを再び聞いたら
「冬がこれからずっと自分を大切にすること。
幸せでいること、元気でいること」
そうリクエストされたので、冬は2人に凄く心配をかけたんだなと改めて反省し、静かに自分と向かい合った。
帆乃に固執するあまり、自分を見失っていた。
周囲からどんなに賞賛されても知らないうちに、帆乃が見つけられないと意味がないと思うようになっていた。
そんな自分を天は見逃さず、大切な人たちに心配をかけて、自分自身も傷つけた。
帆乃とは何だろう?
遠い記憶の少女に突き動かされて世界を創った気になり、シャイな自分が表舞台にまで躍り出てこんな事になった。
その自分の執念深さに呆れ、滑稽で笑える。
全ては間違いで無意味だったのか?
愚かな衝動だったけど、過去に戻れたとしても、きっと何度でも同じことをする。
後悔は何ひとつとして無い。
死にかけるところまで行かなければ気が付かなかった。
帆乃を見つける事ばかりに取り憑かれ、自分が既に持っていた幸運と愛と感謝を、心の底から感じ取ることが出来なかった。
物質的な帆乃がいない、いないと焦り悲しみ探すたびに、その状況にどっぷり溺れ、酔いしれていた。
「冬は喜んでるの?」
心の中の帆乃は冬に問うけど、自信を持って答えられなかった。
取り返しがつかないと思った時、責任感以外に、このまま中途半端では絶対に終わりたくないと強烈に感じた。
帆乃を見つけてない、、
結局、残ったのは自分の純粋な願いだった。
この命の終わる最後の最後まで諦めたくない。
自分の内面にある永遠のトキメキこそが帆乃自身で、それが自分を動かした。
冬の魂を震わせて表現したものが、多くの人に届いたということは、自分の中に存在する帆乃の力を感じてくれたからだ。
彼女の見つめる、かざした手の先の自由と喜びと希望。
彼女は神様が与えてくれた天使で、冬にファンタジーへの世界へ導いてくれる翼を授けてくれた。
それは、自分の内面にある宇宙からの現実創造を司る源、超強力なパワーの光、愛そのもの。
それを冬が帆乃と名前を付け大切に感じている。
それでいい、そうしてこれからも生きていく。
愛しい帆乃がいる世界で、絶え間なく生まれ続ける自分の閃きと心の願いを、何かの表現に落として感じていくだけ、、
足が良くなって歩き回れるようになると、冬はふらりとカリフォルニアの実家に帰り、そこで気ままに過ごすつもりだった。
しかし母から自分のピアノの衰え具合を指摘され、何故か熱心に厳しく叩き直されて反対にクタクタになった。
それ以外の時間は、身体機能を高めて、より良く身体を使えるように自分に合う専門家を尋ねてトレーニングしていた。
時には何も考えずに、時空を遥か超えていく雄大な自然や、街中を通り過ぎる様々な人達をただボーッと見ていることもあった。
色んな感情がもつれ合い騒めき惑わされても、静かに身を委ね、もうひとりの自分が味わっているのを感じる。
そんな時ふと、この繰り返し押し寄せて翻弄する波のような思いを、ひとつの物語として映像と音楽で表現出来たら良いなと思った。
最後に残るのは、いつでも生まれたての純粋でシンプルな驚きに満ちた奇跡と楽しさの世界。
何も知らないように見せかけて、全てを本当はちゃんと知っていて、自分を導こうとしている存在。
寄せては返す波のような呼吸、大地を静かに揺るがし続ける心臓の鼓動、何処からともなく吹いてくる風のような感情。
寂しさでより際立つ、永遠の安らぎへの渇望。
ミクロの中に感じる、果てしないマクロの宇宙。
意識だけが、このコントラストの世界にあるもの全てを使い、自由に選んで遊ぶことが出来る。
これかと思った冬は、長い休養を終えて再び直輝のいる東京に戻った。
「、、、お前、、、
本当に冬なのか??
えらく年取って、、」
12月になり、来年へと思いを馳せていた直輝は、1年ぶりにカリフォルニアから戻って来た冬を見て開口一番に言った。
初めて会った時の、細っそりしたキラキラ美少年の少し気難しそうで内気な姿は見事に変化を遂げた。
髪の毛を金髪に染め、日焼けした顔に無精髭をはやし、オシャレとは無縁の薄汚れたヨレヨレのパーカーにジャージという姿で、人懐っこい笑顔を見せて現れたから。
体力をつけるために、ランニングと筋トレもしっかりとしていたので、体格も以前の線の細さは消えて、がっしりしていた。
瞳の輝きは、以前よりもずっと穏やかで優しい。
「別に竜宮城から帰って来た訳じゃないよ、直輝さん」
話ぶりは以前のままなので、直輝は取り敢えずホッとした。
「ところでバッシーはそろそろ仕事復帰出来そう?」
冬の言葉を受けて、直輝はキタキタ!と密かに興奮した。
「マッサンが自称育メン気取って育休取って、フーフーヒーヒー言いながら双子育児してるからな。
今はリモートで空いている時に事務処理をして貰ってるけど、大丈夫だと思うぞ」
冬は、双子の赤ちゃんの育児をしている松田を想像して笑った。
「松田さん、大活躍だね。
バッシーも幸せで良かった。
直輝さん、オレ、映画を撮って見たいんだ。
ミュージックビデオが繋がって、ひとつの物語になるような。
映画の音楽、10曲以上入れてアルバムにもなるような、、
コンセプトは、、」
夢見るように、冬は内容を語った。
それを直輝は黙って聴いていたが、内心は一体冬の中から何が飛び出すのかとワクワクする。
「スタッフを集結しないとな!
あと何か、必要なものはあるか?」
冬の望みを何でも叶えてやりたい直輝は尋ねた。
「脚本なんだけど、言葉が思うように出てこなくて、、
セリフの言い回しとか書き方なんか、、
参考になるようなものが見たいな」
「ヨシ!わかった。
誰かの脚本を見せて貰おう。
ベテランが良いかな?
うーん、それとも若手のが良いかな、、」
冬も、うーんと考えていたが、何気なくホロっと言った。
「色んな人のを参考にしたい。
プロでなくてもいいかな?
自由で自然で心地よいのがいい」
難しい注文だなと思ったが、数日後、直輝は早速ツテを頼りに何とか探し当てて来た。
「これ、若手発掘のコンテストの脚本な。
一次審査に残ったのを、無理言ってデータを貸して貰った。
このPCにファイル入っているから」
そう言って帰宅した直輝の家に、ちょうど晩ご飯を食べに来ていた冬に渡した。
猫のプリンちゃんを撫でていた冬は喜んで
「さすが、直輝さん、仕事早いね!
ありがとう。
見てもいい?」
「いいぞ。
応募者の大事な物だからな、充分気をつけろよ。
参考になればいいな」
そう言って、直輝はパソコンをリビングのテーブルに置いて着替えのために出て行った。
ひとりになった冬は、パソコンのファイルを開きスクリーンに映る文字を追っていく。
ふと目に映った文字を見て、冬は身体に鋭い稲妻が走り、音もなく全身に強烈な振動が響き渡るのを感じた。
着替え終えた直輝がリビングに戻って来ると、冬はパソコンを見つめて放心している。
不審に思った直輝は、冬の名前を呼んだ。
「冬!
どうした?
どこか悪いのか?痛いのか?
何が、、」
立ち上がり直輝を見た冬は、見る見る目に涙を溜め、それが溢れ落ちていく。
ギョッとした直輝を、冬は抱きしめ言った。
「、、、直輝さん、
僕を、オレを見つけてくれてありがとう、、
直輝さんじゃなきゃ、いけなかったんだ、、
直輝さんじゃなきゃ、、
ほんとうに、ほんとうにありがとう、、」
そう言って泣きじゃくる自分より大きな冬に抱きしめられた直輝は、何が起こったのか全く分からなかった。
静かにパソコンのスクリーンに映るひとつの名前。
冬がこの世でいちばん愛しくて美しいと思う名前だった。