誰かの願いが届くとき 53 迷子の夜の仔猫
お風呂から上がって、寝る前にのんびりソファでくつろいでいた帆乃は、早速、冬からプレゼントされたウサギちゃんを抱っこして話しかけていた。
「ママとパパは一緒に映画作るんですよ~
なんか凄いママみたいだよね?
でも全然そんなことないんだよ~
パパは踊って歌ってピアノとバイオリンも弾くんだよ!
すごいね~〜
ママとパパの映画、楽しみ?
ママはちゃんとやれるかな?
ねぇねぇウサギちゃん、どう思う?」
今日会った双子の赤ちゃんを思い出しながら楽しく遊んでいる帆乃を、お風呂から上がった冬は離れた所から見ていた。
もう自分達はしっかり家族になってるみたいで、思わず微笑んでしまう。
気配がして帆乃が振り向くと、湯上がりの冬がニコニコしてこちらを見ている。
子供っぽいお喋りを聞いていたのかと思うと一気に恥ずかしくなった。
それから自分を見ている冬が、ひとりの大人の男性だということを思いっきり意識してしまう。
「、、おやすみ!」
ドキドキするのと照れるのとで、何故かプンプン怒って隣の寝室に入っていった。
帆乃は布団に潜り込んで、今日は何かが違うと焦っていた。
ウサギちゃんをギュッと抱きしめて
(、、どうしよう、、全然眠くならない、、
パジャマ姿でふたりで揃って寝るなんて、恋人でもないのに絶対おかしいよね!?
でも、今さらどうしようもない、、)
これでは堂々と狼のネグラに、自分から図々しく入っている赤ずきんちゃんだった。
何でこんな羽目になっているのか、冬の陰謀なのか、自分の考え無しのせいなのか、訳がわからなくなる。
妙な気持ちで焦れば焦るほど不安になり、ウサギちゃんを抱きしめる。
冬も、今までの帆乃は止む終えずか、無意識だったのを思い出した。
共に枕を並べて寝るということが何を意味するのか、、
しかも今朝、自分は醜態を晒しかけている。
帆乃を不安にさせたくない気持ちと、求める気持ちの葛藤はあるが、退くという選択肢は一切なかった。
灯りを完全に消した冬が、そっと帆乃の隣に潜り込む。
反対を向いている帆乃の身体が緊張しているのが伝わってくる。
冬はそっと、優しくおやすみと言った。
それでも帆乃がリラックス出来てないとわかり
「、、帆乃、手を繋ぐ?」
素直な帆乃は、優しい声のする方に向き直って、手を握った。
帆乃の小さな右手を、冬の大きくて長い指の左手が包み込む。
帆乃は目を閉じて、冬の手のひらの温かさと、ゆっくり繊細な指の動きを感じた。
それに集中すると緊張が解けていき、とてもいい気持ちになる。
冬も同じように帆乃の柔らかな手と小さな指先の感触を、そっとキスするように味わっている。
ふたりの重なり合う手は息がぴったりと合い、どんどん指先から伝わる感度が上がってゆく。
帆乃が気持ち良くて深いため息をつき、微かに声が漏れると、冬は帆乃の身体をギュッと抱きしめた。
帆乃の右の耳と冬の心臓の距離はもの凄く近い。
冬の心臓の力強い鼓動が、怖いくらい勢いを増すのを肌で感じ取り、壊れるんじゃないかと驚く。
冬は、もうこれ以上耐えきれなくなった。
「、、帆乃にキスしたい」
かすれ気味に訴える冬の声に、ビクンと、帆乃の神経が震える。
冬を見上げると、とても如何わしい表情で自分を見つめている。
有無を言わさないような瞳の奥への吸引力は凄まじく、何処にも逃げられないように体はしっかりとホールドされて、大きな口で今にも食べられそうな自分は、絶体絶命の大ピンチだった。
それに、こんなこと言われたのも状況も初めてな帆乃は、とんでもない冬の魔力に囚われて、息をするのも忘れそうなくらいに自分を見失いそうになる。
このまま言いなりに溺れてしまったら、二度と今の自分を取り戻せないくらいの恐怖を、本能的に感じた。
帆乃は回らない頭で何とか考え出し、自問自答を始めた。
キスしてもいいの?
キスだけで終わるの?
私はこの人のこと愛してるの?
何もかも曝け出して、恥ずかしくないくらいに?
私はこんなに臆病で中途半端で、何の自信も魅力もないのに?
こんな自分に気がついた冬が、がっかりして気持ちが冷めれば、映画はどうなるの?
このまま流されて、何があっても大丈夫だという自信なんてどこにもない。
何でもないような大人のフリも到底出来ない、、
未来への恐れと心配が牙を剥いて襲い掛かり、何も考えずに冬を受け入れることはとても無理だった。
完全に自分を見失う前に、帆乃は気がついた。
自分はどうしたいの?
無意識だと、冬を自然に受け入れることができるのを知っている。
なら、今どうする?
この心地よさは手放したくない、、
出来ればずっと、、
帆乃は主導権を自分で選ぶ力が、冬に対して持てるかを無自覚で始めた。
ゆっくりと探りながら瞳の奥を覗き込むと、冬は進むことも退くことも出来ず、悶えて苦しんでいるように見える。
今日観たwho youの映像が頭にチラつく。
弾いているピアノの音色に合わせて変化する表情は、恍惚として美しい芸術品のようだった。
それと同じ顔のくちびるに帆乃は人差し指をそっと触れさせて、哀れむように言う。
「、、ダメだよ、、冬」
くちびるに触れる指の感触と、呟かれた優しい拒絶の言葉に、冬は打ちのめされた。
消すことの出来ない、行き場をなくした燃え沸る炎のような勢いは、その場で大きく狂って死にそうな焦りを生んだ。
「、、助けて、、帆乃、、」
辛くて泣きながら懇願した。
可哀想になった帆乃は目を閉じて
「、、見ないでいてあげる」
優しい言葉に、冬のこらえきれない思いが自由を求めて、一気に天辺へと駆け上がった。
頂点からフラフラと舞い降りて震える冬を、帆乃は優しく抱きしめる。
抱きしめられ、全てを許されている冬は、帆乃という温かい海の波に浮かぶ揺籠にいた。
帆乃は自分の大切な可愛い赤ちゃんを抱きしめる母親のような気がした。
この子は迷子の仔猫のように震えていて、とても可愛いくて愛しくて守りたいと思う。
もう大丈夫だよ。
ここは絶対に安心していられる場所。
穏やかで心地よく満たされた帆乃は、ひとりで夢の世界へと旅立っていった。