化粧がある世界に生きている私
先日、WannaBeMEのマシュマロにこんな意見が届きました。
「女性は大変だ。
と言う際に化粧をすることをあげる人が多いですが、なんでフェミニズムでは化粧を無くそうとかの活動はしないのですか?
無くなれば負担減りませんか?」
女性は男性に比べて化粧が大変だ問題。
よく語られますよね。
ですが、この意見を見た私の感想は、
「化粧がなくなったら死ぬ!!!!!!!」
でした。
今回は私の化粧に対する想いをつらつらと書こうと思います。
化粧なしでは生きられない
私は自分のすっぴんが大嫌いだ。
朝起きたとき、お風呂からあがったとき、鏡で自分の顔を見ることほど嫌いなことはない。
でもそれなりに自分のことは好きで、自信をもって生きられているのは、まぎれもなく化粧という道具があったからだと思う。
中学2年生でメイクの世界に飛び込み、高校で本格的に化粧をし始めて以来、わたしは人にすっぴんを見せることをことごとく避けてきた。
合宿やお泊りでは、お風呂の後にうっすらと化粧をしてそのまま寝るなんてこともざらにあったし、どれだけ少しの外出でも必ず化粧をする。
よく、「あなたが気にするほど周りはあなたのことを見ていない」などと言うけれど、人前にすっぴんで出るなんて私にとっては裸でいるのと同然だった。
だから私はどちらかと言えば化粧が好きだ。
寝起きの顔なんて見れたもんじゃないけど、ファンデーションをしたり、顔に色を付けてい行く過程で「私けっこうイケてるじゃん」という気持ちにさせてくれるし、なんだか気分が上がらない日は予定がなくても家で化粧をすると元気になれる気がする。
メイクは私のモチベーターだ。
でも化粧は大変
とはいえ、化粧なんてない世界なら良かったのに、と思った瞬間は数えきれないほどある。
特にこのコロナ禍では毎日感じている。
絶対に他の人にすっぴんを見せたくない私は、「誰かとお昼ご飯を食べるかもしれない」という不確実なたった1時間の予定のために、朝7時から顔面にファンデーションを塗る。
そして塗った直後にマスクをする。
もはやマスクに版画するためにいったん顔を白くしているのか?となんとも虚しくなる瞬間だ。
こんなとき、「あぁ、化粧なんてない世界になればいいのに。」と思いながら、内側がファンデで汚れたマスクを見つめている。
もう化粧がなかった世界には戻れない
ここで、冒頭の質問に戻りましょう。
「女性は大変だ。
と言う際に化粧をすることをあげる人が多いですが、なんでフェミニズムでは化粧を無くそうとかの活動はしないのですか?
無くなれば負担減りませんか?」
「女性は化粧が大変だと主張するなら、化粧をなくせばいい。」
正論ではあるのだけど、私は化粧をなくす運動には参加できないと思うのです。
それは、もう化粧がなかった世界には戻れないから。
私が化粧を始める前、小学生のとき、「すっぴんで人前になんて出られない」など一度も思ったことはありませんでした。
それは私が化粧のない世界に生きていたからです。
でも今は化粧がある世界が基本になってしまった。
つまり私にとって化粧をなくすことは、世界をゼロに戻すことではなく、マイナスにしてしまうことなのです。
この状態を「生きづらそう」と感じられる方もいるかもしれません。
ですが、私が化粧がある世界に存在することになった以上、化粧がなくなることの方が何倍も生きづらいのです。
もしかしたら、化粧をなくす運動をされているフェミニストの方がいるかもしれませんが、私はそれを否定したいわけではありません。
WannaBeMEの設立当初から言っているように、フェミニストは一人一派の思想だと思っています。
なので、質問に対しては、こう答えます。
「私は化粧をなくす運動を起こすことはないけれど、それをするフェミニストがいてもいいと思います。」
と。