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私にとっての「アライ」

こんにちは!WannaBeMEです!

もうそろそろ涼しくなるかなーなんて思っていますが、まだまだエアコンを使わずに過ごせる日々は遠そうですね💦🌞

アライとは?

みなさんは「アライ(Ally)」という言葉をご存じですか?
「アライ」とはもともと、英語で「同盟」や「仲間」を意味する言葉です。それが派生して、「LGBTQ+のコミュニティを理解し、支持する人々」という意味で使われるようになりました。多くの場合、マジョリティ(いわゆるストレート)の中で、「マイノリティのコミュニティに対して支持を表明する人々」を指す際にこの言葉は使われますが、LGBTQ+のコミュニティ内や、その他の社会課題においても使われることがあります。
(アライについては、過去にも投稿があります!こちらも参照ください🙇‍♀️)

実は私、「アライ」ってどういう時に使う言葉なのか、あまり分かっていなかったんです。「自称アライ」というのも少し胡散臭い気がするし、「あの人はアライだから」と言われて安心できるわけでもないしな~と思って、勝手に怪しい言葉のような印象を持ってしまっていました。

「ありがとう」

話は変わりますが、私はある日、知人のジェームズ(仮名)と話をしていました。彼はLGBTQ+当事者なんですが、私のスマホケースにLGBTQ+への支持を示すステッカーが入っていたことがきっかけで、LGBTQ+に関する色々なことについてお話をするようになりました。
その日の話題は、日本や世界のLGBTQ+を取り巻く状況について。日本でも、ジェームズの出身地でも、LGBTQ+の権利は保障されているとは言えない状況です。そんな状況を案じて「厳しいね…」なんて話していると、彼から突然「アライでいてくれてありがとう」と言われました。

私は、カテゴライズしたり名前をつける必要性を感じていないので、何かの目的がない限り、自分のセクシャリティを人に言ったりすることはありません。そのため、彼は私が当事者ではないマジョリティの立場から、支持していると思ったのだと思います。私は、突然「アライ」と呼ばれたことに動揺して上手く反応できずに、まごまごして終わってしまいました。

もともと良くないイメージを持ってしまっていた「アライ」と呼ばれて、
「自分って、口だけのアライだと思われていたのか…?」
「自分のセクシャリティだけ言わないのは失礼だったかな…?」
など色々と考えてしまったんです😅

でも、良くも悪くもその言葉で心を動かされたのは事実で、「アライ」という言葉について考え始めました。

私が考えるアライのカタチ

考えれば、一般的にいう「アライ的」な行動はしていたかもしれません。それでも、WannaBeMEのような団体で活動したり、スマホケースにステッカーを入れたり、問題を少しだけ話題にしてみたり…自己満足レベルの、日常でできる小さなことしかしていません。もちろん私の小さな行動が社会を変えるはずもなく。自分はいったい何をやっているんだろう、こんな小さな意思表示で誰も安心できるわけないよな、と思うことも多々ありました。

こんな風に自分がやっていることに自信がなかったから、自分がやっていることはやっぱり上辺だけだと思われたのかも…と不安になったんです。でも、「ありがとう」という言葉に裏は無いように感じました。そう考えなおすと、日々の小さな行いも無駄じゃなかったのかもしれないと初めて感じ、報われた気持ちになりました。

この体験で、「アライ」は支持している人自身を指すのではなく、個々人の行動や問題に対する姿勢を表す言葉として、理解をするようになりました。アライシップは、自分の特権性を自覚して、謙虚な姿勢で当事者の声を聞くことによる、終わりのない学びのことだと。
そう考えると、日頃から自分を理解しようとしてくれる人に対して、その姿勢を感謝するときに使うこともできるし、自身の言動を省みるときに「自分はアライとして行動できているか」という基準としても使えるのではないかと思います。

さいごに

私は社会的にマイノリティである部分もありますが、その他の多くの面で社会的に恵まれた立場にあります。他のどんな問題でも、「アライ」の姿勢を忘れずに、当事者の声から学び続けよう、と改めて強く感じた体験でした。もらった「ありがとう」に報いることができるように、これからも頑張っていきます🔥

以上、今回は「アライ」について考えてみました!🤝
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました😊💜
次回もお楽しみに✨

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