『約束の宇宙』を観て
こんにちは!紫陽花がきれいな梅雨時ですが、皆さんいかがお過ごしですか?
今回は、先日映画館で観てきた『約束の宇宙(そら)』という映画についてお話します。ネタばれが気になる…という方は、ぜひ映画を観た後にまたこのnoteを読みに来てください!
どんな映画?
『約束の宇宙』は、宇宙飛行士の母親・サラとその娘・ステラの心情や関係性、または、男性優位な状況の中でひとりの母親でもある女性が宇宙飛行士として働く際の苦悩や葛藤を描いた映画です。
サラは、物理学者の夫・トマスと離婚して7歳の幼い娘・ステラと2人で暮らしています。欧州宇宙機関(ESA)で日々訓練に励んでいた彼女は、プロキシマというミッションのクルーに選ばれました。長年の夢だった宇宙に行くことが現実のものとなり喜ぶサラですが、このミッションで宇宙に旅立てば、約1年、娘と会えません。ステラを残して宇宙へ飛び立つまでの過酷な訓練の合間に、彼女は娘と「打ち上げ前に2人でロケットを見る」と約束します。
(写真は映画のオフィシャルサイトhttp://www.yakusokunosora.com/から)
ひとりの女性であり母親でもある主人公
映画の中では、ほかの登場人物たちが、“女性”としてクルーに選ばれたサラに男性と同等の能力があるのかを疑ったり、彼女が“母親”であることを不安視したりする心情が、どれも明確な女性蔑視としては表現されていなくとも、確かに彼らの言外に滲んでいました。
例えば、サラと同じプロジェクトに選ばれた男性クルーが彼女に対して、
『訓練のスケジュールをもう少し軽くしてもらえ。』
『君には無理だ。』
『全部をこなす必要はない。そうするのが君のため、関係者全員のためだ。君の能力を問題視しているわけじゃない。訓練の軽減は侮辱じゃないし、観光客扱いする気はないさ。』
などといった言葉をかけるシーンがあります。
それに対してサラは、
『私の能力の何を知っているというの?』
と憤ります。
私もこのシーンを観たとき、こんなの、同じ条件でクルーに選ばれて、同じ宇宙船に乗って協力してミッションに臨む仲間に対して言うべき言葉ではないだろうと思いました。
まるで最初からサラには訓練をこなす能力がないと決めつけているようで、しかも“女性”だからということを理由にそう言っているように感じて、心がすごくモヤモヤしました。
映画の終盤、先ほどと同じ男性クルーとサラが共に自身の子どもについて話している場面では、まだ幼い娘を地球に残していく不安を語るサラに対し、彼は
『完璧な宇宙飛行士なんていない。完璧な母親がいないのと同じだ。』
という言葉をかけます。
この映画では、男性クルーの、“女性”や“母親”であり、かつ宇宙飛行士でもあるサラへの対応の変化も着目すべき点だと思います。
おわりに
宇宙開発の現場においても確かに存在するジェンダーギャップを、ひとりの母親と娘の関係性とともに描き出した『約束の宇宙』。
雨が降って外出の機会も少ないこの季節、おうち時間のお供にぜひ観てみてください~
(ちなみにエンドロールもとても興味深いものになっていました!これは観てからのお楽しみですが、、笑)